肝属川とは? わかりやすく解説

きもつき‐がわ〔‐がは〕【肝属川】

読み方:きもつきがわ

鹿児島県大隅半島中央部流れる川。高隈(たかくま)山地御岳(おんたけ)(標高1182メートル)の東斜面に源を発しシラス台地笠野原迂回して志布志(しぶし)湾に注ぐ。長さ34キロ上流部鹿屋(かのや)川ともいう。支流の串良(くしら)川に高隈ダム建設され畑地灌漑(かんがい)が行われている。下流部には沖積平野肝属平野広がる


肝属川

日本最南端の一級水系肝属平野潤す肝属川
肝属川は、その源を鹿児島高隈山御岳標高1,182m)に発し鹿屋市貫流して姶良川高山川串良川等を合わせて肝属平野流下し、志布志湾に注ぐ、幹川流路延長34km、流域面積485km2日本最南端の一級河川です。

肝属川河口部
肝属川河口部

河川概要
水系肝属川水系
河川名肝属川
幹川流路延長34km
流域面積485km2
流域内人115,578人
流域関係都県鹿児島県

肝属川流域図
○拡大図
1.肝属川の歴史
"弥生時代より米づくり盛んに行われ米どころとして有名でした平安時代より、肝属川は荷物情報の船による輸送手段として利用され有数貿易港として栄えていました流域には大隅半島では数少ない眼鏡橋である大園あります。"

肝属川特有の歴史先人の知恵活用

吾平山稜
吾平山稜
肝属川支川姶良川上流には、神武天皇父君葺草不合尊(うがやふきあえずのみこと)」と母君玉依姫尊たまよりひめのみこと)」の御陵墓である吾平山稜があることから、大隅半島には多く神話残っており、その中にはガラッパ河童)にまつわる神話残されています。

発掘中の王子遺跡
発掘中の王子遺跡
弥生時代には、肝属川下流一帯中国大陸より伝わった米づくり盛んに行われたことにより、多くの人が集まり大きな集落形成しており、南九州代表するもっとも開けた地域一つありました
飛鳥時代には、大和朝廷農業技術進んで米づくり盛んな所を屯倉(みやけ)」と呼ばれる直轄領として、直接治めるようになり、肝属川中流部にも「肝付屯倉(きもつきみやけ)」が置かれた。九州でも数少ない屯倉一つで、当時、肝属川流域注目米どころありました

高山川や本城川に守られた「高山城」
高山川本城川守られた「高山城
平安時代から、米どころとして知られ肝属平野めぐって豪族たちの領地争い舞台となりました外敵備えるため、肝属川の近くにはたくさんの城が築かれ、いざ合戦という時には、敵の侵入を防ぐため、川をせき止めをため、天然の「堀」として利用していましたまた、当時荷物大量に運ぶには、道より川の方が便利であったため、米などの食料をはじめ、いろいろな情報も船を使って各地の城へと運ばれいました

出土した古銭
出土した古銭
13世紀から16世紀にかけての約300年間、肝属川河口の港は、海外開かれた港としてにぎわいました。肝属川の河口から約14km上流鹿屋市川西地区船着場を表す「船塚」という地名があること、また、鹿屋市田崎地区では大量中国古銭出土していることから、昔、そこまで船が上がってきていたことを物語ってます。
江戸時代に入ると、外国との貿易禁止されるが、当時薩摩藩幕府黙って中国大陸琉球との貿易奨励しまた、国内での交易にも力を入れ河口は、鹿児島最大貿易港として九州代表する商人たち活躍の場となっていました

大園橋
大園
明治以降鉄道道路発達により船による交通次第姿を消したその中で明治37年完成した大園は、大隅地方では数少ないめがね橋で、その姿は堅牢優美であり、当時石像技術としては抜群ありました
現在では、肝属川は農業用水発電などによる利水釣り散歩などの憩いの場として利用されまた、生物たちの重要な生活の場となってます。
2.地域の中の肝属川
"肝属川の古くから農業用水として利用されています。また、流鏑馬祭り八月口説踊りなど、昔から地域河川密着した祭りイベントあります最近では、小中学校にて、河川利用した学習活動が行われています。"

地域社会とのつながり

肝属川流域主な市町は、鹿屋市串良町東串良町高山町吾平町の1市4町で、いずれもその市街部を肝属川、支川串良川高山川姶良川流れており、昔から地域と川が密接に係わってきました
田の神様
田の神
肝属川のは、古くから米づくりなどの農業用水として利用され多く農作物収穫されています。なお、流域には南九州独特のもので米の豊作もたらしてくれる神様田の神様(たのかんさあ)があり、五穀豊穣を祈る神事として田の神舞などをの踊りが行われた。最近では、豚・牛などの畜産業盛んなことから、高水敷飼料用採草地として利用してます。

流鏑馬祭り
流鏑馬祭り
高山町にある四十九所(しじゅうくしょ)神社毎年10月第3日曜日行われる流鏑馬やぶさめ祭りは、約900年伝統を誇る行事で、毎年勇壮華麗な歴史絵巻をひと目見ようと、県外から多く観光客詰めかけますまた、当日の肝属川の支川高山川河川敷では、やぶさめ祭り開かれ若武者パレードつかみ取り大会で大い盛り上がります
鹿屋市旧暦8月28日行われる八月口説踊りは、新田川水神奉納合わせ五穀豊穣祈ったものであります。唄は、和田新田川水路工事加わった琉球人望郷の念悲哀思いがこの唄の元唄となった伝わってます。また、永良部・徳之島喜界島等に元唄があることから波見港を通じて伝来したという説もあります
あじさい祭り
あじさい祭り
串良川の上流にある大隅湖では毎年6月2日曜日行われるあじさい祭りは紫や水色の花をつけた約4,000本のあじさい鑑賞できますまた、当日ニジマスつかみ取りブラックバス釣り大会開かれます。
鹿屋市にあるホタルの里では、5月下旬頃から6月中旬にかけて、約500~1,000匹のホタルが川いっぱい飛び交うホタルの光ショー見られます。

肝属川河口清掃
肝属川河口清掃
毎年、「河川愛護月間」「海岸愛護月間」にあわせて肝属川を始め支川串良川高山川姶良川において、流域団体ボランティアとともに河川及び河口海岸にの清掃活動行い清流取り戻す取り組みが行われています。
市町小中学校では、環境教育一環として河川利用した学習活動が行われており、その中でも、総合学習時間で川の生物調査水質調査地域住民連携した清掃活動などが盛んに行われてます。

カヌーラリー
カヌーラリー
肝属川水系の各河川川面カヌー・いかだを利用した地域取組が行われており、特に姶良川では、カヌーラリーなどカヌー利用促進が行われています。
3.肝属川の自然環境
"肝属川は、最南端を流れ1級河川で、流域の約70%がシラス覆われています。また、台風通り道でもあることから降水量多く流域内では、動植物約2,700種が確認され中でも全国でも珍しいサシバの渡り見られます。"


肝属川流域
肝属川はその源を高隈山御岳標高1,132m)に発し鹿屋市貫流して姶良川高山川串良川等を合わせて肝属平野流下し、志布志湾に注ぐ、幹線流路延長34km、流域面積485km2日本最南端の一級河川です。
肝属川流域の約70%は、火砕流堆積物である「しらす」に覆われています。しらすは通し易くを吸うと非常にもろくて崩れやすいという特徴あります
また、梅雨台風季節中心に多く過去10年間の年降水量平均は約2,650全国平均比較して多いです。肝属川流域では洪水の約70%が台風よるものであり、毎年多く台風接近上陸し大きな被害発生することもしばしばあります

黒ブタ
ブタ
流域面積の約51%が平地であり、九州河川の中では、平地広く、他の河川比較すると約2.5倍もあります。このことから広い平地利用した農業が盛んであり、特に畜産業全国ブランドとして有名な”黒ブタ”を始め肉用牛ブロイラーなど全国でも上位占めます

水質は、近年九州内一級河川20水系の中でBOD生物化学的酸素要求量値の評価ワースト上位占めていますが、数十年前比べる改善傾向あります
温暖多湿な気候のため自然環境にも恵まれており、近年水辺国勢調査等によると肝属川流域には、動植物が約2,700確認されており、そのうち約6割は陸上昆虫類です。また、特定種としては、オオタカメダカシオマネキなど60確認されており、そのうち約4割は鳥類です。
サシバ
サシバ
肝属川流域での特徴一つとしては、数多く旅鳥渡り鳥がみられ、冬鳥たちの重要な越冬地となっており、日本では愛知県伊良湖岬大隅半島だけでしか見ることが出来きないとても珍しいサシバの渡りも見ることが出来ます。なお、確認できる数は大隅半島の方がはるかに多いと言われています。

シラスウナギ漁
シラスウナギ
肝属川はシラスウナギがのぼる川として有名であり、12月から3月までの漁期になると、漁をする人の明かりあちこち灯り幻想的な雰囲気作り出します。また、養鰻業もさかんであり、全国の上位を占めます
4.肝属川の主な災害


発生発生原因被災市町村被害状況
昭和13年10月15日台風高山町死者行方不明者259
全・半壊家屋1,018戸
浸水家屋5,067戸
昭和46年8月5日台風19号鹿屋市死者2人
全・半壊家屋70
浸水家屋409
昭和51年6月24日梅雨前線鹿屋市死者4人
全・半壊家屋30
浸水家屋187
平成5年8月1日前線鹿屋市全・半壊家屋26
浸水家屋605
平成9年9月16日台風19号鹿屋市浸水家屋910

(注:この情報2008年2月現在のものです)

肝属川

読み方:キモツキガワ(kimotsukigawa)

所在 鹿児島県

水系 肝属川水系

等級 1級


肝属川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/24 08:10 UTC 版)

肝属川(きもつきがわ・肝付川とも表記)は、鹿児島県南東部、大隅半島中部を流れ太平洋に注ぐ肝属川水系の本流で、一級河川である。上流部を鹿屋川と称する。「肝属川」の川の名前は「肝属郡」の郡名に由来する[1]


  1. ^ 【肝属川】の概要/国土交通省九州地方整備局河川部”. www.qsr.mlit.go.jp. 2019年9月8日閲覧。
  2. ^ 吾平川氾濫で麓地区に濁流『九州日報』(昭和13年10月16日)『昭和ニュース辞典第6巻 昭和12年-昭和13年』p216-217 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  3. ^ a b 明治建造のアーチ橋 氾濫恐れで撤去検討 鹿児島・鹿屋市 南日本新聞、2021年9月16日閲覧。


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