新仁義なき戦いシリーズ
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「仁義なき戦い」の記事における「新仁義なき戦いシリーズ」の解説
『新仁義なき戦いシリーズ』と銘打たれているが、前五作とはほとんど関連性はなく、会社が「このタイトルで出しゃあ客が入るぞ」という理由で付けられたもの。本シリーズになってからの特徴の一つに〈女〉が前面に出てきたことが挙げられる。新シリーズが始まった1974年は洋画人口が邦画人口を上回り、女性客が急増してきたという時代の流れ、実録路線が続くにつれてネタがだんだんなくなり、題材として扱えない現在進行形の事件が多くなる中、何かと差し障りのある抗争事件より女絡みの世話話や濡れ場を増やそうと考えたことなどの理由があるが、何より新シリーズになって脚本家が高田宏治に変わることで、その傾向は助長された。『仁義なき戦い 完結篇』で笠原から脚本を交代した高田は、「何でここまで言われなあかんのや」と呆れ果てる程、笠原の比較、批判を容赦なく受けた。シリーズ五部作の後の新シリーズ1本目『新仁義なき戦い』は、前の五部作の焼直しで広島を舞台にしていたが、『新仁義なき戦い 組長の首』は、脚本の佐治乾と田中陽造が当初考えていたプロットは、「広島山守組の元幹部が、預かった客分の不始末を買って出て刑務所暮らしからの下関落ち」という『仁義なき戦い 完結篇』四部作を受けての〈外伝〉となる予定だった。ところが高田が脚本に入った決定稿で、四部作からスピンアウトした設定は全て消してしまい、舞台を北九州に変更して主人公を広島抗争とは縁もゆかりもないただの流れ者に変えてしまった。但し、周りが九州弁なのに主人公の菅原は広島弁を喋る。高田は四部作との臍の緒を断ち切り『新仁義なき戦い 組長の首』は、『仁義なき戦い』とは名ばかりの、五部作とはまったく関連性もない「純粋アクション映画」にしてしまった。続く『新仁義なき戦い 組長最後の日』は最初から高田に脚本が委ねられたが、本作も『新仁義なき戦い 組長の首』同様、実録ではなくモデルのいないフィクションであった。高田は四部作で笠原があまり表に出さなかった〈女〉を笠原へのアンチテーゼとして前面に出した。これは後に高田が脚本を手掛けた『鬼龍院花子の生涯』や『極道の妻たちシリーズ』などの「東映やくざ女性映画」に繋がっていく。『新仁義なき戦い 組長の首』では、ヤクザ映画には珍しい山崎努が麻薬中毒の破滅的な男に扮している他、前シリーズで山守組長役の候補だった西村晃が出演。「ウルトラセブン」のアンヌ隊員役で知られるひし美ゆり子が、抱いた男がすべて死ぬという「下がりボンボン」と呼ばれるホステス役で出演している。この他、関本郁夫率いる第二班撮影のカーチェイスの迫力が話題を呼び、深作の『暴走パニック 大激突』(1976年)や中島貞夫監督の『狂った野獣』(1976年)と、東映カーアクション路線というべき作品が生まれた。深作はジョン・ブアマン監督の『殺しの分け前/ポイント・ブランク』(1967年)が好きで同作をイメージしたと話している。 前述のように『新仁義なき戦い』が四部作の焼直しで、『新仁義なき戦い 組長の首』と『新仁義なき戦い 組長最後の日』はフィクションであるため実録シリーズといえないが、同シリーズには最終作として製作を予定されていた映画があった。それが『北陸代理戦争』で、本作は映画の製作が原因でモデルとなったやくざを刺激して映画と全く同じシチュエーションで実際にモデルとなった組長が殺害されるという(三国事件)「実録シリーズ」の最たる映画となった。五部作は実録の過去を映像化したものであったが『北陸代理戦争』は、現実を同時進行させた。本作が同シリーズに主演していた菅原文太が病気のため降板して主演が松方弘樹に代わったのため「新シリーズ」に入れられてない。菅原の病気降板は表向きの理由で、実際は『トラック野郎シリーズ』で主演していた菅原がやくざ映画を続けるのを嫌がったといわれる。深作は「彼(菅原)も飽き飽きしていたんじゃないですか」と回顧している。本作は現在進行中の抗争を映画化したことで福井県警から干渉を受けたり、大雪で撮影が難航したり、主役、準主役の交替など撮影時から多くのトラブルにも見舞われたが、飛び交う雑音を無視して岡田社長が「こういう生々しいのはええ」と製作を推し進めさせたといわれる。しかし『仁義なき戦い』というネームバリューを外されたこと、興行力のある菅原が降板したこと、客層が変化したことなどの理由で配収が2億円に届かない記録的な不入りとなった。深作は『北陸代理戦争』を機に実録路線を切り上げたといわれており、実録ヤクザ映画からの脱皮第一作が空手・拳法アクションを卒業しようとしていた千葉真一を主演に据えた映画『ドーベルマン刑事』で、千葉と深作は1966年の日本・台湾合作映画『カミカゼ野郎 真昼の決斗』以来11年ぶりにタッグを組み、新しいアクション映画に挑むこととなる。 2013年3月21日に発売されたブルーレイボックスにボーナスディスクとして収録されている『総集篇』は、1980年4月に変則システムで劇場公開されている(『ミスターどん兵衛#興行』)。第二部と第五部はほとんど使われず、第一部、第三部、第四部で構成されているが、深作はつなぎまでやったところで『復活の日』の南極ロケに出発し、ダビングをチーフ助監督の土橋享に頼んだ。このため深作は出来上がりを見ておらず、また深作は多作でもあるため本作の記憶が薄いようで、2003年の山根貞男とのインタビューで本作を「二時間半程度のダイジェスト」と勘違いしている。本作は三時間四十四分の長尺である。 『仁義なき戦い 完結篇』と「新仁義なき戦いシリーズ」一作目の『新仁義なき戦い』の間に深作が演出を担当したのが、日本テレビ系のテレビドラマ「傷だらけの天使」の第一話と四話。深作は企画に参加する暇がなく「ショーケンでこういうのやりたいんだけど」と言われ参加した。既に有名なタイトルバック(オープニング映像)と二話分を恩地日出夫が撮影していたが、放映では前後して深作が演出した二話分が第一話と四話になった。萩原健一は深作に会うなり「何で僕は『仁義なき戦い』の出られなかったのか」「僕があそこに出てなかったのは自分でも信じられない」と話していたと言い、撮影はスムーズに進んだという。深作がこの「傷だらけの天使」で初めて木村大作カメラマンと組んだが、木村も『仁義なき戦い』を観ていたから、手持ちキャメラでも負けないと、オートバイに乗ってキャメラを担いだという。この第一話で萩原扮する木暮修が古美術屋に強盗用のモデルガンを借りに来るシーンがあるが、その店の店主が金子信雄で広島弁を喋る『仁義なき戦い』の山守親分のようなキャラクターで登場する。萩原がもごもごと「このオジさんむかし広島でヤクザの親分だったから」などと言うシーンがある。「仁義なき戦いシリーズ」撮影中が縁でのカメオ出演と思われる。
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