年譜・行啓歴とは? わかりやすく解説

年譜・行啓歴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 22:40 UTC 版)

昭憲皇太后」の記事における「年譜・行啓歴」の解説

1894年明治27年3月9日大婚二十年祝典(銀婚式)の参内者へ授与され大婚二十五年祝典之章(左:男性用、右:女性用)。皇族向けの金章1849年嘉永2年5月9日京都一条烏丸入・一条家 桃花殿にて生誕する。 1867年慶応3年7月29日明治天皇女御内沙汰同年皇居に初目見え参内する1868年明治元年12月28日入内皇后冊立1869年明治2年1月1日元日節会正月一日)・白馬節会正月七日)・踏歌節会正月十六日)の三節会臨席する1871年明治4年8月1日宮中大奥改革英断をする。 1872年明治5年6月17日箱根離宮の下温泉行啓する。同年7月18日還啓10月21日ロシア帝国アレクセイ皇子英語版)を謁見する1873年明治6年3月新政府に基づき皇后自らが黛とお歯黒をやめる。同年5月皇居宮殿火事があり赤坂離宮避難し爾来そこを仮御所として住居にする。 同年6月13日下野国甘楽郡富岡群馬県富岡市)の富岡製糸場行啓する。同月28日還啓同年8月3日明治天皇と共に箱根離宮行幸啓する。同月31日還幸啓同年12月7日天皇と共に現在の神奈川県横須賀市にあった横須賀造船所行幸啓する。同月8日還幸啓1875年明治8年11月29日東京女子高等師範学校現在のお茶の水女子大学)の開業式臨席する1876年明治9年6月2日明治天皇奥州地方巡幸見送りのため、皇后宮千住駅行啓する。同年11月20日京都行啓する。同年12月5日京都御所到着する1877年明治10年2月28日明治天皇と共に皇族として史上初の蒸気船廣島丸乗り同月30日横浜港入港し東京還幸啓する。同年10月26日天皇と共に東京の上公園行幸啓し、第一回内国勧業博覧会巡覧する。 同年11月27日義母英照皇太后と共に女子師範学校幼稚園紙幣製造場に行啓する。 1878年明治11年3月25日天皇と共に日比谷原において大日本帝国陸軍近衛兵らの操練巡覧する。 1879年明治12年4月28日横浜行啓する。軍艦扶桑』・『金剛』・『比叡』等を巡覧する。同年5月29日ドイツ帝国皇族ハインリッヒ皇子謁見する同年7月4日、第18アメリカ合衆国大統領ユリシーズ・グラント将軍夫妻謁見する同年11月27日宮城吹上御苑において、島津忠義傳家犬追物観覧する1880年明治13年3月22日皇居吹上御苑において松浦詮等の騎射犬追物観覧する1881年明治14年5月25日横浜から軍艦迅鯨』に乗艦横須賀行啓する。同年6月2日武蔵府中連光寺河原行啓し、鮎漁観覧する1882年明治15年6月21日向島行啓し、隅田川催されていた海兵短艇競漕台覧する。 1883年明治16年9月香川敬三皇后宮大夫命じ皇太子嘉仁親王心身安全のため島根県出雲大社毎年正月九日両度供物献上し祈祷する1885年明治18年7月8日現在の東京都品川区にあった伊藤博文邸に行啓する。 1886年明治19年3月30日軍艦武蔵』の進水式行啓する。同年7月30日華族女学校現在の学習院女子中・高等科前身行啓洋装公にする同年11月26日明治天皇と共に相模国長浦現在の神奈川県横須賀市)に行幸啓し、軍艦浪速』・『高千穂』に試乗する1887年明治20年1月17日女性洋服着用奨励する「思召書」を出す。1月25日天皇と共に孝明天皇二十年祭のため京都行幸啓する、2月21日京都発で同月23日武豊港より軍艦浪速』に乗艦24日横浜港到着同年5月有志共立東京病院に約2万円1200万円相当)を下賜病院に「慈恵」という名を与え、「東京慈恵医院現在の東京慈恵会医科大学附属病院)」と改称する1888年明治21年10月15日横須賀軍艦高雄』の命名式に行啓する。同年11月21日天皇と共に現在の埼玉県さいたま市行幸啓大日本帝国陸軍近衛兵演習台覧する。 1889年明治22年2月12日東京上野公園行啓憲法発布祝賀会臨御する。 1894年明治27年3月9日大婚二十五年御祝典(銀婚式)を挙行する同年4月19日横須賀行啓し、新造艦松島』・『吉野』・『千代田』を台覧する。 1897年明治30年1月11日英照皇太后崩御4月17日京都行啓英照皇太后御陵参拝する1898年明治31年4月8日東京の上公園行啓し、「奠都三十周年祝賀会」に臨御する。同年11月28日横須賀行啓する。軍艦八島』に乗船し艦橋上より軍艦富士』・『高砂』を台覧する。 1902年明治35年11月15日神奈川県横須賀市軍艦新高』の進水式行啓する。 1903年明治36年4月23日明治天皇と共に大阪行幸啓し、第五回勧業博覧会連日博覧会観覧し、5月11日東京還啓1907年明治40年10月21日横須賀軍艦鞍馬』の進水式行啓する。 1909年明治42年1月15日沼津御用邸避寒のために行啓する。 1910年明治43年4月27日観桜会園遊会)のため赤坂御用地行啓する。同28日慈恵病院行啓する。 1911年明治44年5月18日伊勢神宮参拝のため東京出御し、名古屋一泊する。同19日山田到着し外宮参拝し21日内宮参拝し還啓1912年明治45年/大正元年5月8日ドイツ帝国ヴァルデマール皇子謁見する4月国際赤十字に対して10万円を下賜、これを基金として「昭憲皇太后基金」が国際赤十字設立されそれまで戦時救護だった赤十字活動平時救護理念導入された。 7月18日明治天皇倒れ以後毎晩看護する7月30日明治天皇崩御皇太后となる。 10月13日桃山御陵参拝同月17日還啓1913年大正2年7月21日沼津御用邸より還啓青山御所に入る。 1914年大正3年3月26日狭心症発作起こす4月9日午前1時50分に崩御。公式発表では「4月9日重体に陥り、同月10日午後1125分に東京還啓し、11日午前2時50崩御」。 5月9日追号を『昭憲皇太后しょうけんこうたいごう)』に治定する(大正天皇勅定)。 5月24日大喪儀執行同月25日東京発5月26日京都府紀伊郡堀内村堀内古城山現在の京都市伏見区)にて斂葬の儀執行

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