昭憲皇太后
明治天皇の后(きさき)。明治天皇と共に明治神宮の御祭神として祀られている。父は江戸幕府の従一位左大臣、一条忠香。
「皇太后」は先代天皇の皇后に付される称号。祭神として祀られる際に「昭憲皇太后」とされたため、基本的に「昭憲皇后」とは呼ばれない。
昭憲皇太后は、日本赤十字社やお茶の水女子大学(の前身である東京女子師範学校)の設立に深く関わるなど、明治時代における社会福祉事業や女子教育の発展・振興に多大な影響をもたらしたお方であると評される。また書や和歌に秀で、生涯に数多くの歌を詠まれた。
1912年に明治天皇が崩御した翌々年の1914年に、後を追うように昭憲皇太后も崩御。2014年には昭憲皇太后の崩御後100年を記念する行事が催された。
関連サイト:
昭憲皇太后様について - 明治神宮
しょうけん‐こうたいごう〔セウケンクワウタイゴウ〕【昭憲皇太后】
昭憲皇太后
昭憲皇太后
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