小野皇太后とは? わかりやすく解説

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おの‐の‐こうたいこう〔をの‐クワウタイコウ〕【小野皇太后】

読み方:おののこうたいこう

[1021〜1102]後冷泉(ごれいぜい)天皇皇后藤原教通(ふじわらののりみち)の娘。歓子(かんし)。関白頼通(よりみち)の娘が宮中に入ると、怒って小野山房移り出家した


藤原歓子

(小野皇太后 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/02 08:11 UTC 版)

藤原 歓子(ふじわら の かんし、治安元年(1021年) - 康和4年8月17日1102年9月30日))は、平安時代後期の后妃。名は「よしこ」とも読む[1]。第70代後冷泉天皇皇后。通称、小野皇太后


  1. ^ 角川書店出版の『平安時代史事典』で採られた角田文衞の説
  2. ^ 中右記』康和四年(1102)八月十九日条にいう、「臨天皇晏駕之剋、忽冊為皇后」、と。同書大治五年(1130)二月二十一日条には、「無立后儀、只宣旨被下也」と記されている。通例に反して立后の宣命が下されることなく、代わりに宣旨を以て異例の立后が果たされた背景には、積年の雌伏から前日「一の人」の座についたばかりの藤原教通の強い意志を見ることができる。


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