たじゅう‐じんかく〔タヂユウ‐〕【多重人格】
解離性同一性障害
(多重人格 から転送)
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解離性同一性障害(かいりせいどういつせいしょうがい、英: Dissociative Identity Disorder ; DID)は、解離性障害のひとつである。かつては多重人格障害(英: Multiple Personality Disorder ; MPD)と呼ばれていた[注 1]。
- ^ この疾患名はアメリカ精神医学会・精神疾患の分類と診断の手引によるものである。かつては「多重人格障害」(MPD)と称したが、1994年、DSM-IVの出版と共に「解離性同一性障害」(DID)に改称した。その後の版、DSM-IV-TRにおいてもDIDである。本稿では年代にかかわらずDIDに統一する。
- ^ 岡野憲一郎は、解離による防衛は一時的なものであり、葛藤を棚上げするために、その後の精神病理についてはむしろ悪影響を及ぼす、あるいは防衛にもリスクファクターにもなっていない、という近年の様々な見解を紹介したあとで、「解離はなかば失敗した不十分な防衛という考え方が一番妥当」としている(岡野憲一郎2011 pp.62 - 64 )。精神療法35-2 pp.144 - 148 でも岡野はその問題を論じている。
- ^ パトナムは空想と解離は、慢性的な外傷的状況、あるいはストレス状況におかれた子供にとっては唯一の実行可能な逃避行であると述べている。(パトナム1997 p.348)
- ^ 1993年に、翌年刊行されるDSM-IVで「解離性障害」担当委員会の議長スピーゲルが、「多重人格障害(MPD)」から「解離性同一性障害(DID)」への名称変更について述べた言葉。 岡野憲一郎も1995年の『外傷性精神障害』(p.163 )、2009年の『新外傷性精神障害』(p.137 )でもこのフレーズを用いて、両者つまり「人格を多く持ちすぎること」と「(健全な )人格を一つも持てないこと」との理解の違いは臨床上重要だと述べている。
- ^ [注1]で岡野憲一郎の「解離はなかば失敗した不十分な防衛という考え方が一番妥当」という意見を紹介したが、そこでも「なかば」である点に注意。 DID患者は「統合」に対して、「なかば」成功している部分を手放すことに抵抗するし、「統合」が果たされたあとも、それまでは経験したことのない「全てのことを自分で引き受けなければならない」ということに苦闘する。
- ^ a b ジェフリー・スミスは、この交代人格を隔てるこの壁こそがDIDの本質なのだとしている。(ジェフリー・スミス2005 pp.311 - 312)
- ^ 戦争映画の潜水艦や軍艦の扉をイメージすると良く判る。 船底などに魚雷で穴があいでも、その区画にたとえ人が残っていても閉じてしまい、艦の沈没を防ぐ。
- ^ もちろん神経科学的には、どのような心の動きも脳の生理学的な反応であるし、クラフトの四因子論の第一因子(「解離の資質」として後述)のような資質、あるいは大脳辺縁系の中の海馬とか扁桃体などでの生得的状態が影響することはあるかもしれない。 しかしそれはあったとしても脆弱性としてであり、決定的なものではなく、生誕後の体験の方が大きいと考えられている。
- ^ パトナムも「わずかなりともエキスパート性を持ち合わせるようになった人なら、自分がどれほどものを知らないかを痛いほど意識するものだ、…生の現実においては、単純主義的な治療モデルが大して役にたつことはない。 」と書いている(パトナム1997p.340 )。
- ^ 『こころのりんしょう』 2009 Q&A集Q5 「解離性障害はどのような原因で起こると考えられていますか?」 (p.215) では(3)と(4)を合わせて虐待とまとめているが、ここでは説明の都合上2つを分ける。
- ^ 「地域社会の暴力」とは強盗、銃撃、あるいは刃傷の目撃であり、アメリカの公立小学校の調査では上級生(日本の中学生相当)の40%が調査の前年にそれを目撃している。 「家庭内暴力」は主に父母の間の暴力であるが、アメリカでは家庭内における殴打、刃傷、銃撃は日常茶飯事であるという(パトナム1997 pp.29 - 32)。 日本においても殺傷を目撃した児童はいるだろうが、日常茶飯事ではない。 「戦争と内乱」はベトナム、カンボジアなどの戦災孤児を里親として引き受けていることによる。 「事故と損傷」には持続的な疼痛や生活障害に至る外科的外傷でもDIDを引き起こす場合があるという。
- ^ 柴山雅俊『解離性障害』 冒頭の「症例エミ」も虐待もネグレクトもない家庭環境である。
- ^ 「精神的・心理的暴力(いじめ )」の部分は原著ではpsychological or mental harassment (原著p.38 )。
- ^ 柴山雅俊『解離性障害』 2010 にある「症例K 初診時33歳女性」(pp.73 - 79)によくあらわれている。
- ^ 自傷傾向や自殺企画はDIDだけでなく、うつ病、PTSD、境界性パーソナリティ障害など広範に見られるが、それと外傷体験との関係は1991年にバン・デア・コーク (van der Kolk,B.A.) らも報告している。そこでは、種々の自傷行為をした患者の70% - 90%に幼児期の様々な外傷体験があったという(岡野憲一郎1995 p.39)。
- ^ 両親の不仲が自傷群では約 8割にも登るに対し非自傷群ではその半分である。 また学校での持続的ないじめの経験は同じく約 7割対約 4割である。 両方経験している者が自傷群の半数以上ということになる。 両親の離婚、両親からの虐待はともに自傷群で約 4割、非自傷群ではやはり半分である。 性的外傷体験は約3.5割対約 2割で差は縮まり、家庭内での性的外傷体験は無かったとする。 親のアルコール中毒、母子分離、交通事故、暴力などは両群であまり差は無かったという。
そして「私の体験では、解離の中でも解離性同一性障害(DID)における性的外傷体験の割合が特別高いわけではなく、日本では北米に比較して、性的外傷体験は少ないことは確かだろう」としている。
なお、解離性障害とDIDのそれぞれが受けた虐待等の統計的報告は後で「日本での報告」にあげる国立精神・神経センター病院での白川美也子の2009年の報告が知られるが、そこでも解離性障害全体112人と、DID 23人のデータを比較するとほとんど有意差はない。 - ^ ただし集計数字の統計的結果は結果として、実際に治療の場での総合的な印象は若干ずれることもある。柴山は2012年の著書で、解離性障害の人の55%が学校での持続的ないじめを受けた経験があるとしながら、しかし解離性障害との関係はそれほど強くない述べている(柴山雅俊2012 pp.62 - 63,p.66 )。
- ^ 中でも性的外傷体験はその点でもっとも際だっているとする。2012年時点では性的外傷体験は解離性障害の45%に見られ、その内の77%が家庭外、33%が家庭内である。そしてその両方が重なる者が11%ありその人達はすべてDIDと診断されたという、(柴山雅俊2012 pp.62 - 63 )
- ^ これは北米での近親者からの児童虐待・性的虐待でも同じである。 深刻なことはこうした関係は遺伝はしないが伝染はするということである。 子どもを虐待する親は、本人自身がさらにその親から虐待されていたか、あるいは十分な愛情を感じとれなかった場合が多い。
- ^ 1991年にはリン(Lynn,S.J.)とルー(Rhue,J.W.)の、高い催眠感受性を持つ対象者は低い傾向の人と比較すればより高い空想傾向を持ってはいるが、催眠感受性と空想傾向の間の相関はわずかであり、高い催眠感受性を持つ対象者の大多数は空想傾向であるということはできないとする研究もある(岡田他2004 p.154 )。
またパトナムの1997年には「催眠と解離との関係はほとんどない」と述べ、クラフトの四因子論にみられるような「外傷-自己催眠仮説」「解離連続体仮説」から離散的行動状態モデル (discrete behavior states) つまり病的解離モデルにシフトしている。
それらを重ね合わせると、「空想傾向」と「催眠感受性」は必ずしもイコールではないが、両方とも兼ね備えた一群があるということになる。 - ^ リン(Lynn,S.J.)とルー(Rhue,J.W.)そしてグリーン (Green,J.P.) は1988年に「空想傾向が虐待や心的外傷のエピソード以前から発達していたのか、その後に発達させたかについては定かではないが、過酷な子ども時代の環境が空想傾向と結びつくことによりその個人が後に多重人格と診断される可能性が増大するのであろう」と述べている(岡田他2004 p.154 )。
- ^ 国内では小塩真司らによる研究もあり、レジリエンスは「新奇性追求」「感情調整」「肯定的な未来志向」の3因子で構成され、また苦痛に満ちたライフイベントを経験したにも関わらず自尊心が高い者は、自尊心が低い者よりもレジリエンスが高いとする(小塩真司2002 pp.57 - 65 )。
- ^ ここでは専門用語としてではなく、一般用語として用いている。 解離理論での専門用語としては解離性障害の「ホームズの「離隔」と「区画化」」を参照されたい。
- ^ この場合は主にその体を支配している交代人格を主人格と呼び、基本人格と区別することもあるがこれは人による例えば町沢静夫2003 p.34 でその体を支配している交代人格はあくまで交代人格、8年間眠っている元々の人格を主人格と呼んでいる。 ただしここまで来ると本来の人格と交代人格との差はほとんどなくなる(柴山雅俊2010 p.137 )。
- ^ 例えば先のオクスナムの事例がそれである。
- ^ 「重要な個人的情報の想起が不能であり、普通の物忘れで説明できないほど」(DSM-IV-TRの定義 )であれば、治療者はDIDを疑うが、別人格が確認できなければ解離性健忘と診断される。
- ^ 事件・トラウマの記憶、感情を別人格に切り離すことによって、主人格守ってきた現れと解釈されている。
- ^ こちらは逆に、その事件によって失われかねない子供の無垢な心を守るために切り離したと思われるケースである。 大矢大が報告した2歳の交代人格を本人は「生まれ変わりたい、育てなおされたい願望」の現れと自ら位置づけている。 似たような例はオクスナムの別人格「子供ボブ」である(ジェフリー・スミス2005 p.311 )。
- ^ 普通の感覚では信じられないが、普通人間は脳から抑制がかけられていて100%の筋力は出せない。 オリンピック選手でもそれは変わらない。 瞬間的にでも出せば筋線維を激しく損傷する。 その脳からの抑制が解除されて100%に近い最大筋力が発揮される。 「火事場の馬鹿力」などと言われるものと同じである。
- ^ 普通の人間が見ると全く別人の文字に見えるが「多重人格概念の復活」で後述する『イブの3つの顔』のケースではセグペン (Thigpen, C.H.) は陸軍の犯罪調査研究所に鑑定を行ってもらっている。 それによると熟達した鑑定者が精密に調査では同一個人によって書かれたものであることは一点の疑いがないが、ただし筆跡を偽ろうとする意図的な痕跡は発見できないという報告をうけている(セグペン1957 pp.174 - 175 ) 。
- ^ 「多重人格概念の復活」で後述する『失われた私(シビル )』のシビルは美術を専攻していたが、画風は人格毎に異なり、統合されるに従って画風も変化している。
- ^ 1983年の古い調査だが、臨床医の1/3が担当患者の人格間で利き腕の逆転を、患者の半分ほどに同じ薬物に対する異なった反応を、1/4にはある人格だけのアレルギー反応を観察したという。
- ^ いささか古い症例ではあるが、1946年の17歳の女子学生のケースを荻野恒一が『精神病理学入門 』(pp.19 - 30,pp70 - 77) で詳しく分析している。そのなかで荻野は、このDID患者の 6つの人格は、ジャネの「行動傾向の階層的秩序」の 発達の8段階のうちの7段階(8段階目は限られた天才である)にほぼ当てはめられるとする。 ジャネの「行動傾向の階層的秩序」の 発達の8段階とはボールドウィン(Baldwin,J.M.)の発達心理学などを取り入れたものである。1920年のロンドン大学での講義では「反射的動作の段階」「知覚行動の段階」「社会的行動の段階(社会的といってもメダカの群れのように原始的な)」「原始的知性の萌芽の段階」「断言的思考と意志の段階」「反省的思考と意志の段階」「理性的、実行的の段階」「実験的、創造的傾向の段階(限られた天才)」の8段階としている(荻野恒一1964 pp.30 - 44)。 1905年にアメリカのモールトン・プリンス (Prince,M.) が発表したミス・ピーチャムの症例の3つの人格もこの枠組みの中で理解できると荻野はいう(荻野恒一1964 pp.28 - 29)。 これらの段階は生まれ落ちてから大人になるまでに段階的に切り替わるようなものではなく、外側から包み込む様に重ねられてゆくもので、ジャネは、様々な精神疾患を「より低級な段階に転落(退行)した行動様式」の具体的表現ととらえている(荻野恒一1964 p.31)。 そして荻野は「従来不可思議な現象と考えられていた二重人格、三重人格の現象もうまく説明でき」(荻野恒一1964 p.28)、「多数の全く異なった人格、ないし精神が、ひとつの肉体を交互に占領しているのではなく、一個の人格の持っている様々な様相が、おのおのの人格像のなかで、具体的に物語れているように思われる」と述べている(荻野恒一1964 p.25)。
- ^ 例えば有名な症例の中では 『イブの3つの顔』の中のイブ・ホワイト、 『失われた私(シビル )』の中のシビル本人、 『17人の私』のカレンなどがそうである。 『多重人格者の日記』のボブはそうでは無かったが。
- ^ 一部には精神科医に不信の念を抱く者もいるが、これは1990年代には多くの精神科医はDIDを知らず、または懐疑的で、統合失調症や境界性パーソナリティ障害と診断しがちであったためである。 現在では公然とDIDを否定する意見は影を潜めたが、古い世代の精神科医にはその傾向はまだ残っている。 またDIDとの診断は行えても、治療経験がないことから治療を断る病院も多いという(岡野憲一郎2011 pp.162 - 163 )。 ただし2010年前後には精神科医や臨床心理士向けのテキストも充実してきており、それに取り組む治療者は確実に増えてきている。 『多重人格者-あの人の二面性は病気か、ただの性格か』とか『わかりやすい「解離性障害」入門 』の巻末には「多重人格の治療はどこで受けられるか」「対応可能な機関一覧」がある。 大学病院の精神科にも解離性障害の専門医がいる可能性が高く、あるいはそこから専門医を紹介してもらえる可能性も書かれている。
- ^ a b ジェフリー・スミスは、「われわれは恐怖や苦痛に満ちた出来事の衝撃を柔らげるために共感的な繋がりを活用する。 他者と再び繋がることができるという希望だけでも、トラウマの衝撃からわれわれを守るに十分となることがある。 …ほんの少しでも他人に知って貰える機会があるだけで、感情的損傷に対処し、これを回避する能力は強化されるのである」と述べている(ジェフリー・スミス2005 p.310 )。
- ^ 柴山は2010年の『解離の構造』 p.198、および2007年の『解離性障害』でもほぼ同じ10項目であげている。
- ^ ロス (Ross,C.A.) の治療ステップは服部雄一1998 p.145 に「人格システムの構成図をつくること」とあるのがマッピングのことである。 この服部雄一の本が出版されたときには既にロス (Ross,C.A.) は方針を変えていたことになる。
- ^ 次章「除反応かレジリエンスの強化か」および「親達の反撃・虚偽記憶」でも1997年がひとつの区切りであることを見てとれる。
- ^ 除反応と同様のものにPTSDの予防法として一時期提唱された心理的デブリーフィング(Psychological Debriefing )がある。 これは災害などの2,3日後から1週間目までの間に行われるグループ療法であり、2 - 3時間をかけて出来事の再構成、感情の発散(カタルシス )、トラウマ反応の心理教育などがなされるものである。
しかし日本トラウマティック・ストレス学会によると、1990年代後半からPDの有効性の問い直しを迫る論文があいつぎ発表され、Rose S, Bisson J, Wesley S: Psychological debriefing for preventing posttraumatic stress disorder(PTSD)(Cochrane Review). In: The Cochrane Library, Issue 4. Oxford: Updated Software; 2002. では「デブリーフィングは心理的苦痛を緩和することも、PTSD発症を予防することもない」「トラウマ犠牲者・被災者への強制的なデブリーフィングはやめるべきである」と云われている。 デブリーフィングを受けない自然経過で予想以上に被害者のPTSD症状の改善が見られ、個々人やそれを取り巻くサポートの持つ自発的・自助的な回復力が改めて見直されてきている。
2001年の厚生労働省 災害時地域精神保健医療活動ガイドラインにもこうある。 「一般に、体験の内容や感情を聞きただすような災害直後のカウンセリングは有害であるので、行ってはならない。 …その効果は現在では否定されており、国際学会や米国の国立PTSDセンターのガイドラインでも行うべきでないと明記されている。 心理的デブリーフィングを行うと、そのときには良くなった感じが得られるのだが、将来的にはかえってPTSD症状が悪化する場合さえある。 現在でも、こうした古い考えに基づいた援助が提案されることがあるが、行ってはならない。」 - ^ 「環境も整え」とは、屈強な看護師を待機させ、外来の場合には最初の1/3をそれに充て、かつ患者に付き添いの人を同伴してもらうなども含む。 岡野は「患者が除反応のあと解離状態のままクリニックを出て、道にふらふらと飛び出して事故などに遇いはしないか、などという懸念は現実的なものである」と述べている。
- ^ パトナムは自分のDID患者との面接時間は90分であり、特に除反応を行うときは50分では短かすぎるとしている。 しかし日本の精神科での診療時間で90分もかけられる病院はまずない。長くても30分ぐらいである。 心理療法士による保険対象外のカウンセリングでやっと50分ぐらいというところである。
- ^ 『解離』(1998年 )の副題は「若年期における病理と治療」であり、児童・青少年に関してはとの保留付きであるが、除反応を治療技法として用いることに反対を表明し、治療の根本は自然回復力が発揮されるのを援助することであって「重視すべきことは、自己統御、感情と衝動の調整、行動の統合、意識と自己の表象との統一の強化」であるとしている。 細澤 仁は「パトナムの病理理解が発達論に傾いたことからの論理的必然であると思われる」とコメントしている(細澤仁2008 p.40 )。
- ^ 細澤は「患者は外傷記憶を治療の場で語らない方がよい」とまで云っている。ただしここまで言い切る治療者は細澤以外にはあまり居ない。 細澤のユニークな精神分析的治療論を要約することは難しいが、簡単に云えば患者自身の治癒力を高めることで症状は改善し、結果として交代人格は統合されてゆくとする(細澤仁2008 pp.62 - 63 )。 細澤仁は交代人格を区別しそれぞれの名前で呼ぶこともしない。 ただし、交代人格をそれぞれの名前で呼ばないことが全ての場合において良いことなのかどうかについては異論もある。交代人格が自分の存在を無視されたと感じれば逆効果となりうる。
- ^ 大矢大は「外傷性精神障害を疑った際は、安全を確立することを取り敢えずの目標にすることが大切である。治療が進み、安心感を確立できれば自ずと外傷は語りはじめられる」という。
- ^ この愛着理論 (Attachment theory) の側からの治療論は、1997年の『解離』におけるパトナムの離散的行動状態モデルへの転換の契機となったものである。 直接的には発達論的精神病理学への接近(パトナム1997 pp.13 - 16 )なのだが、愛着理論も同じ流れにある。
- ^ 柴山雅俊は2010年の『解離の構造』の最後の章「解離の治療論」をこう結んでいる。 「解離性障害の治療において重要なことはたんにひとつの人格にすることではない。 必要なことはそれぞれの魂が「包まれる」とともに「つながり」を回復してゆく課程であり、それによって〈むすび〉すなわち生成する生命の力を奮いたたせることにある」 「むすぶ」ということばは「つつむ」( = 掬ぶ )ことと「つなぐ」( = 結ぶ )ことの両義を持ち、神道では「産霊」を〈むすび〉と読む。 「むす」は「産す」「生す」であり「ひ」は霊力のことである。 従って柴山のいう「むすぶ」とは単に人格を結合することではなく、鎮魂の意味も込めている。 何を鎮魂するのかというと「ネガティブな心的内容」を受け持った、心的外傷をひとりで抱え込んだ「切り離されたわたし」「身代わり部分」としての別人格である。 誰がというとそれは治療者でありパートナーや家族であり、そして何よりも身代わり人格によって助けられていた本人自身によってである。 それによって身代わり人格はその存在意義を認められ、尊厳を回復して止まっていた時間が動きだし、記憶をみんなで分かち合うことに目を開く。
- ^ ロバート・オクスナムの事例でも母親の死という精神的ショックに際し、一時的なもので済んでいるが統合されたはずのトミーや魔女が再び姿を現している。
- ^ 本明寛が『あなたに潜む多重人格の心理』で述べた内容はほぼ正常な範囲である。 それは多面性であって多重人格 (MPD=DID) ではない。
- ^ DAM-IV-TR「特定不能の解離性障害」での定義
- ^ DESを用いて解離連続仮説を説いていたパトナム自身が離散的行動モデルに移行している。 解離性障害の「スクリーニングテスト」にあるDESからDES-Tの導出が典型的である(細澤仁2008 p.35 )。
- ^ DAM-IV-TR全般で障害とみなすものの一般的理解。 ただしDSM-IV のDIDについての定義の中にはこの条件はない。 厳密に言えば、統合が完全に済まなければ、記憶が共有できても、本人(達 )がなんら苦痛を感じず、社会生活上の困難がなくなっても、いつまでも「障害」であることになる。 DIDの最後の「D」は「障害」の意味である。 しかし現在では多くの治療者はこうした立場をとらない。 また最終決着ではないものの、DSM-5での試案ではこの条件が加えられている。
- ^ 「させられ」を「感情」「思考」「行為」に分解すると11になる。ここでは柴山雅俊2010 pp.165 - 175を参考にして、注釈はこちらで付けている。 柴山は1 - 3を「幻聴」(pp.167 - 179)、4 - 6を「思考過程の障害(pp.169 - 170)」、7は感情、思考、行為、または意志、感情、欲動の「させられ体験」(pp.170 - 173)とまとめている。 「幻聴」「思考過程の障害」「させられ」についてはDIDにも統合失調症にも見られるとするが、統合失調症とDIDの差を同書で論じている。 最後の8と9はDIDでは基本的にみられないとする。
- ^ ブロイラー (Bleuler,E.) の説明の中にはこうある。 「私は早発性痴呆をschizophrenieと呼ぶが、それは異なる心的機能の多少なりとも明確なスプリッティングを目の当たりにする。 もし病気が顕著であるならば、人格は統合を失う。 …ひとつの複合が人格を支配し、ほかの考えや動因によるグループはスプリットオフされ一部が、あるいは完全に無力化されてしまうのである(Gainer,K 1994 : Dissociation and Schizophrenie :an historrical review of conceptual development and relevant treatment approaches.Dissociation 7,261 - 269 より岡野訳。 岡野憲一郎2007 p.87 )。
- ^ やっかいなことは、数は少ないものの併発しているケースもあることである。
- ^ 1980年代には北米の多くのDID研究者が抗精神病薬を用いた場合に、高い確率で有害な副作用をもたらすことを発表している(西村良二2006 p.111 )。
- ^ DSM-III-Rの時代であるが、1984年のホルビッツ (Horevitz. R.) とブラウン (Braun. B.G.) の調査によればDIDの7割はBPDの基準も満たしてしまうとする。 ロス(Ross,C.A.) らの1989年の調査でも同様の結果が出ている(岡野憲一郎2009 p.145 )。
- ^ ただし柴山雅俊は「少なくとも攻撃的で衝動的な交代人格の存在が推定されるケースでは抗うつ薬の選択は慎重にすべきであろう」と述べている。
- ^ DSMは現在のDSM-IV-R からの改訂作業中であるが、DSM-5試案ではPTSD関連を「不安障害」から独立させて、「解離性障害」とも別の「外傷とストレッサー関連障害」という分類を新設する方向で検討されている。
- ^ 現在の改訂案(Updated April-30-12: 2012年6月17日確認)でもっとも大きい点は B.の「(人格の )少なくとも2つが反復的に患者の行動を統制する」という項目がなくなり、その内容が A.に含まれていること。C.の「重要な個人的情報の想起が不能であり、普通の物忘れで説明できないほど強い」に該当する部分を含め、文言が大幅に変更されていること。 および「社会的・職業的機能、または他の重要な領域で、臨床的に著しい苦痛または障害の原因になる」という他の障害に一般的に付けられている条件が加わっていることである。 DSM-IVで「解離性障害」担当委員会の議長であったスピーゲルらが2011年に提案した「DISSOCIATIVE DISORDERS IN DSM-5」によると、DIDについての議論の焦点は特定不能の解離性障害との間の仕分けである。
- ^ つまり「人格 (personality)」と言われていたものが「人格または人格状態 (personality or personality states)」と薄められ、さらに「同一性または人格状態 (identity or personality states)」となって「人格 (personality)」という表現がなくなっている。 「人格状態 (personality states)」は「人格のごとき状態」であって「人格」ではない。
- ^ 実はこの名称変更に裏にはDSM-IV 編集時の確執があったという。 アリソン (Allison,R.) によればDSM-IVの検討メンバーの中に「多重人格症の存在を疑う人達」が居て、その主張が「一人の人にはひとつの人格が原則である」というものであったという。 それらのメンバーの意見の一部を取り入れ「多重人格」という言葉を避けて解離性同一性障害という名称を用いることで政治的決着を見たらしい(岡野憲一郎2007 pp.33 - 34 )。
- ^ ここでの「同一性」は、エリクソン (Erickson,E.H.) が「同一性拡散」という場合の「同一性」とは別物である(西村良二2006 p.100 )。 障害名の理解としては上記で十分である。 さらに英語と日本語の翻訳の誤差というものもある。 personalityにはいくつもの意味がある。 そのひとつが「人間であること、人間としての存在」であり、ロス (Ross,C.A.) が「一人の人間が複数の人格を持つことはあり得ない」というときの「人格」の意味はこれである。 しかし「個性、性格」の意味の方が辞書では上位であって、「a personality test」は性格検査であり、「a television personality」はテレビタレント、「personality journalism」はゴシップジャーナリズムである。 これを「人格検査」「テレビ人格」「人格ジャーナリズム」と機械的に直訳すると訳がわからなくなる。 一方「identity」は「同一人であること、本人であること、正体、身元」「独自性、主体性、本性、帰属意識」である。
- ^ 問題は b)であり、DIDの定義では「C. 重要な個人的情報の想起が不能であり、普通の物忘れで説明できないほど強い」の部分である。 主人格と交代人格が互いの存在を知っている場合などは「重要な個人的情報の想起が不能」とはならず、よってDIDではないということになる。
- ^ ICD-10の作成時のDSMはIII-Rだったので、その時点では同期は取れていた。
- ^ 下記以外にも様々な解離性尺度があり、田辺 肇 (2007) 「解離性の尺度と質問紙による把握」『精神科治療学』 22-4 p.401 )に紹介されている。
- ^ この時代のDIDの詳しい症例で日本語訳があるもののひとつは、 ブロイアー (Breuer,J.) とフロイトとの共著『ヒステリーの研究』の中で、ブロイアー (Breuer,J.) が書いた「観察1 アンナ・O 嬢」であり、『フロイト全集』 の2巻に収録されている。 そしてもうひとつは、ジャネの、症例リュシーについての1886年の論文の「別人格の出現」と、翌年の「リュシーの再発」である。両方とも、ジャネの代表症例を編集した『解離の病歴』に収録されている。
- ^ 岡野憲一郎は、フロイトの関心は、性的な外傷により動かされる性的欲動にあったのであって、彼がよってたつ理論はあくまでリビドー論でありそれと連動した抑圧理論であったとする。 つまり抑圧の対象、人が自分の中に認めまいとするものとして、自分自身の性的な衝動や、攻撃的な本能をもっぱら想定していて、そうした衝動を無意識に追いやるのが抑圧であると(岡野憲一郎1995 p.14 )。 だから「誘惑理論」の頃でさえ、同じ「外傷」を扱ったとしても両者の関心は正反対であったとしている(岡野憲一郎2011 p.52 )。
- ^ この転換をもっとも扇動的に攻撃したのが1984年のマッソン (Masson,J.) であり、フロイトは孤立を恐れて自説を放棄したというものである。それに対する反論の中で重要なものは、1991年のスタントン (Stanton,M.) によるもので、フロイトは性的外傷が原因になりうるということを全面的に否定したわけではなく、個人の持つ空想や近親相姦願望が、その外傷の結果にどのような二次的、付加的な意味づけをするかを考慮すべきだということを主張しているとする(岡野憲一郎1995 pp.50 - 51 )。 ただしこの議論は、一見正反対な主張をしながらひとつだけ共通する点がある。「誘惑理論」は実は正しかったとする点である。しかしこの「誘惑理論」といわれる「ヒステリーの病因論のために」という講演の原稿を読むと、フロイトはこののちに完成する精神分析のセオリーのひとつ「中立性」に反する「暗示」を行っている。「患者達は分析を用いる前には、幼児期の初体験については全く知りません。そしてそのような初体験が浮かび上がってきますよと知らされると、彼らは憤慨するのが常です。治療による非常に強い強制を受けることによってのみ、彼らはそれらの再現を始めてみようかという気になるのです」(フロイト全集1896 pp.236 - 237)。その後に、催眠によりその追体験をさせている。そしてその28年後の1924年に「これらのことはすべて正しい。ただし、私が当時、現実に対する過大評価と空想に対する過小評価から自分をまだ切り離していなかったことは考慮に入れておかなければならない」(フロイト全集1896 p.237)と注記しているが、事実上の暗示についての言及はない。 この「誘惑」、つまり実際にあった性的外傷か、それとも「欲動」、つまり想像の産物なのかという問題が、精神分析の世界を離れて、現実の場で再燃するのが「虚偽記憶」問題(後述)である。
- ^ 邦題は『ミス・ピーチャム あるいは失われた自己』。 なおこの概要は1900年にパリで開かれた国際心理学会において「多重人格の諸問題」というタイトルで発表されている。
- ^ 「少なくとも北米の精神医学の世界から」と限定したのは、エレンベルガー (Ellenberger, H.F.) が『無意識の発見-力動精神医学発達史』を著す10年以上前の1958年に村上仁、荻野恒一が『異常心理学講座』 第4部 で「異常心理学史の代表者たち」のひとりとして「ジャネ」を紹介していることによる。荻野恒一は1964年に、『精神病理学入門』でもジャネを論じている。
- ^ 相変わらず非常にまれであるか、あるいは催眠術による人工的なもの、つまり医原性のものと考えられていたようである(西村良二2006 p.98 )。 ただし悪いのは当時の精神医学界での評判だけでなく、後の時代の治療者達も誰ひとりこの本を褒めない(イアン・ハッキング1995 p.51 )。
- ^ なお『失われた私(シビル )』ではシビルは治療を終え教職を得てウィルバー (Wilburn,C.B.) の元を離れたことになっており、「物語」の最後は「私は彼女の物語がハッピーエンドで終わったことが嬉しかった」と結んであるが、ここは事実ではない。 シビルは本名をShirley Arbell Mason という。 結婚もぜず古い友人や家族とも接触を断って、人目を避けてウィルバー (Wilburn,C.B.) の家の近くで暮らし1998年に亡くなった。 ウィルバー (Wilburn,C.B.) はシビルの支えになり、1992年に亡くなったときには遺産の一部をシビルに残している(鈴木茂2003 p.83 その情報源は「Unmasking Sybil」In Nwesweek Magazine Jan 24, 1999 である )。
- ^ 一般的には「多重人格」のドキュメンタリーとして有名であるが、日本国内では、自己顕示欲が強く、周りの者を思うがままに操作しているところなどむしろ人格障害とアレキシサイミア(失感情症 )の合併症ではなかろうかという意見もある(酒井和夫1995 p.104 )。
- ^ 同事件の精神鑑定書は事実上3つあり、1つが「極端な性格の偏り(人格障害 )」(鑑定者6名 )、2つ目が「離人症およびヒステリー性解離症状(多重人格 )を主体とする反応性精神病」鑑定者2名 )、3つめが「精神分裂病(破瓜型 )」鑑定者1名 )である。 しかし判決では「性格の極端な偏り(人格障害 )以外に精神病的な状態にあったとは思われない」と明確に否定していることはあまり知られていない。 またヒステリー性解離症状との鑑定を行った学者も交代人格に出会ってはいない。 DSM-IV-TRの定義ではDIDの診断は交代人格の存在の確認をもってなされる。 そのためには精神科医(または臨床心理士 )が交代人格と出会う必要がある(細澤仁2008 p.17 )。 次に第1次精神鑑定の段階で拘禁反応が観察されているので、さらにその2年後の第2次精神鑑定がどこまで正確にできるものかを考慮する必要があるとの指摘もある(酒井和夫1995 p.128 )。
- ^ 舛田亮太と中村俊哉が1995年から2004年の間に学会、あるいは専門誌で発表された事例の中から十分な情報が得られるものを選んで集計したものである。「特に報告無し」は、「一時的ストレス型」と「持続的ストレス型」の合計。岡野憲一郎の「関係性のストレス」は2004年当時には提起されていなかったので、現在であればそう呼ばれたケースもここに相当含まれていることになる。 (一丸藤太郎 「解離性同一性障害(多重人格障害)」 『精神科臨床リュミエール』 2009 pp.123 - 124 、舛田亮太、中村俊哉 「近年の国内における解離性同一性障害の分類について/一時的ストレス型DIDの心理臨床的研究」 『心理臨床学研究』25巻4号 pp.476 - 482 )。
- ^ なお調査対象はDIDを含む解離性障害者であり、数字は何割との表記を%に改めた。 なおDIDと解離性障害の原因を比較できるものは白川美也子の2009年報告だけであるが、それを見るかぎり両者の間に有意差はない。
- ^ 白川報告(「子供の虐待と解離」『こころのりんしょう』 2009 p.307 )はアリソンの定義に従い、7歳以前に重度のトラウマを受け、非常に多くの人格群が現れたケースをMPDとして分けているが、表には含まれていない。 それを含めると112人になるはずだが、表の編集ミスと思われる。 ここではデータのある105人で計算している。 「DDNOS」は特定不能な解離性障害。 「その他DD」とは「その他解離性障害」であるが、PTSDの中で解離障害症状を持つ患者も含めている。 白川の報告は本人の患者の2000年から2006年3月までの集計であり、警察や児童相談所、行政の困難例からのからの紹介が多く、白川自身がいうように他の報告者よりも、虐待症例の集まりやすい状況である。
- ^ 一丸藤太郎が1996年に始めてDIDに出会ってから、2009年までの間に自身が心理療法を行ったり、スーパービジョン(簡単にいえば心理療法実施者への指導)の中で十分な情報が得られた19人の集計。(一丸藤太郎 「解離性同一性障害(多重人格障害)」 『精神科臨床リュミエール』 2009 pp.123 - 124 )。
- ^ 性的虐待は家庭内・家庭外とも、解離性障害全体の中で他よりもDIDの方が少ないという結果になっているが、標本数の少なさから有意差はないと見るべきである。
- ^ 北米以外ではブーン(Boon,S)による1993年のオランダの統計報告があるが以下とほぼ同等の傾向にある。
- ^ この記憶は流産のあと心理療法を受けていたとき、催眠によるトランス状態の中で想起されたものである。 Michelle Smith & Lawrence Pazder 「Michelle Remembers」 Congdon and Lattes,1980。 同書は邦訳はされていないが、ローレンス・ライト1994 p.101 に同書についての記述がある。
- ^ 「Satanic-Ritual Abuse」を検索すると、アメリカではこの手の番組が今も繰り返しテレビで放送されていることが判る。 ポール・イングラム一家も家族でこの手の番組を見ていた。
- ^ 原題「癒す力(The Courage to Heal)」、邦題『生きる勇気と癒す力―性暴力の時代を生きる女性のためのガイドブック』、「近親相姦を思い出す運動のバイブル」ともされ、著者のエレン・バス(Bass, E.) とローラ・デイビス (Davis,L.) は詩人と短編小説家であり臨床心理学を修めた臨床心理士(clinical psychologist)ではない。 しかし両者とも「記憶回復のワークショップ」を運営している。
- ^ 偽記憶症候群財団の調査では親を告訴した者の90%は女性でそのほとんどが『生きる勇気と癒す力』を読んでいる。 ちなみに一人っ子はわずか2%で平均は3.6人である。 75%のケースでは他の兄弟姉妹は告発内容を信じなかったという(ローレンス・ライト1994.p.222 )。
- ^ キリスト教ペンテコステ派のある一派の牧師がほとんど集団睡眠状態の中で「この中に性的虐待を受けた人間がいる」と透視したことから、信者たちは「それは私のことだ」と次々に告白し始めた。 ポール・イングラムはそうした二人の娘から告発される。 娘たちはこの村に悪魔崇拝のカルトの拠点が存在するとまで主張した。 ポール・イングラムは娘達からの告発を聞いて、そうだったような気がしだして自白してしまうという冤罪事件である。 親子ともに暗示にかかりやすく解離傾向にあったのだろうとされる。
- ^ 自分を性的虐待していた父親が自分の友達もレイプした後に殺した記憶が蘇ったとして父親を告発した事件である。 検察側証人となったレノア・テアが『記憶を消す子供たち』でその事件を書いた後の1997年に、父親は上告によって無罪となり、逆にレノア・テアは訴えられることになった。(AP通信 )。
- ^ 日本の臨床心理士は大学院で臨床心理学を学んでいることが前提のひとつだが、アメリカのサイコセラピストは病院勤務の場合を除いてそれほど厳格ではなく、州によっては届出だけで良いところすらある(ローレンス・ライト1994 p.207他 )。 そうしたセラピスト、カウンセラー達の多くは催眠を行った。
- ^ 精神科医で国際多重人格および解離研究学会(ISSMP&D:現在の国際トラウマ解離研究学会の前身 )の設立メンバーであり、一時期は会長でもあったブラウン (Braun,B.G.) までもが含まれていた。 ブラウン (Braun,B.G.) は1988年の「新たな臨床症候群-幼児期に悪魔崇拝者集団から儀式的虐待をうけたと訴える患者たち」という論文の共著者であり、そこで「悪魔的儀式虐待は真実であるというのが我々の見解である」とし、DIDを患う者の1/4までが悪魔的儀式虐待の犠牲者である可能性があるとしていた(ローレンス・ライト1994 pp.105 - 106 )。 アリソンがDIDをめぐる精神医学界内部での三大論争のひとつに「悪魔的儀式虐待論争」をあげているぐらいだから悪魔的儀式虐待(SRA)の存在を信じていたDIDの治療者はブラウン (Braun,B.G.) 以外にも多数いたことになる。
- ^ 現在の国際トラウマ解離研究学会の前身
- ^ 同じ時の学会かどうかは不明だがアリソンもSRA患者が大量に見つかった大きな精神病センターで開かれた大会に出席したとき、発表者があるタイプの交代人格を「患者が子ども時代に悪魔教の礼拝をされたときに作り出される」と説明していたのを聞いている(アリソン1980 p.257 )。 ISSMP&Dは悪魔的儀式虐待(SRA)の存在を信じるグループと、それに懐疑的なグループの調停をめざして、クラフトを長とする特別調査委員会の設置を決めたが、調停は不可能と思ったのかすぐに辞任してしまった(イアン・ハッキング1995 p.147 )。
- ^ アメリカ心理学協会とアメリカ心理学会は、メンバーは多く重なっているが組織としては別物である。 アメリカ心理学会は当初は学術団体であったが、次第に学術団体というよりは職能団体としての色彩が強くなった。 そのため心理学研究者はそれとは別に、アメリカ心理学協会を組織し、2006年1月に科学的心理学会に改名している。
- ^ 悪魔的儀式虐待(SRA)を受けたと主張するDID患者に関するドキュメンタリーで邦訳されたものには『ジェニーの中の400人』がある。この事例では、本人はもちろん著者も、治療に当たった医師やカウンセラーも、そして訳者もそれを信じている。著者のジュディス・スペンサーはその「まえがき」でこう述べる。「幼児虐待と多重人格化のあいだの関係は、かなりはっきりと照明されている。いまでは、サタン崇拝の宗教儀式に参加して多くの子供達が多重人格化した件数がうなぎのぼりに増えている。ベネット・G・ブローン医師が編纂してアメリカ精神医学出版社から刊行された『多重人格障害の治療』という本の中の一節はとくに示唆的である」。この「ベネット・G・ブローン医師」は本稿ではブラウン (Braun,B.G.) と表記している。ブラウンが患者から訴えられて敗訴したのは同書が邦訳された後である。
- ^ 実際に先述のブラウン(Braun,B.G.) はイリノイ州専門家管理局から「動物実験で安全性が確認されている量を超える薬物の大量投与」「自説(悪魔的儀式虐待を原因とするDID発症 )を補強する材料にするために、バルガス一家を実験対象として扱った」として処分をうけている。(後述)。
- ^ ただし、悪魔的儀式虐待の犠牲者であると申告する者の全てが虐待とは無関係であるといっているわけではない。 ギャナウエイ (Ganaway,G.K.) も1989年の論文 "Historical versus narrative truth: Clarifying the role of exogenous trauma in the etiology of MPD and its variants." Dissociation,vol.2,no.4 では悪魔的儀式虐待の「背後にあるものは、残酷ではあるがありふれている虐待…に過ぎない」としているし、多重人格の信頼性を危うくし「幼児虐待の研究一般を危険にさらす」(イアン・ハッキング1995 p.144 )と考えている。 『17人の私』にはDIDの女性の交代人格の中に悪魔的儀式虐待の記憶を持つ子供がいる。 ただし統合された後にはあの記憶はおかしすぎると本人自身が述べるが。
- ^ ジュディス・ハーマン『心的外傷と回復-増補版』(1992年)に増補された「付 外傷の弁証法は続いている」によく現れている。 ロフタス (Loftus,E.F.) は1994年の著書『抑圧された記憶の神話』の冒頭「読者の方々へ」の最後を「本書が子どもへの性的虐待、近親姦、暴力などの現実やその恐怖を否定するものではないことを、心にとめておいていただけるようお願いしたいと思います。これは記憶の論争なのですから。」と結んでいる。
確かにジュディス・ハーマン (Herman,J.L.) とロフタス (Loftus,E.F.) の間では「記憶の論争」であるが、もうひとつの問題を岡野憲一郎が指摘している。 それは「DID概念を推進する人々の背後に読み取ることのできる、ある種の政治的な意図に対する反発もあった。 それは患者を社会における権力や暴力ないしは虐待の犠牲者として規定する方向であり、それは一部のフェミニズムの姿勢に通じるものである」という疑念を持つ者が多くいたということである。(岡野憲一郎2009 p.147 )
「一部のフェミニズム」の代表がジュディス・ハーマン (Herman,J.L.) であるが、しかしDIDに取り組んだ治療者の全てがラディカル・フェミニズムだったわけではない。 イアン・ハッキング (Hacking, I.) がいみじくも「多重人格運動」と呼んだ動きは、当時注目を集めつつあった「児童虐待」「児童性的虐待」やキリスト教的な「悪魔的儀式虐待の犠牲者発見」の中に自らの存在意義を見いだしたものが多くいたということもある。 キリスト教的なといっても、ファンダメンタルなプロテスタントとそうではない流れではまた異なる。
さらに複雑なのはそれがDID対反DIDの対立としてあっただけでなく、DID陣営(ISSMP&D、現在のISS-D )自体を二分していった。 DID治療者のギャナウエイ (Ganaway,G.K.) はロフタス (Loftus,E.F.) に続いて「回復記憶」を反証する催眠実験を行っている。 1991年当時、ISSMPD&Dの会長であったキャサリン・ファイン (Fine,C.) は、悪魔的儀式虐待問題はISSMPD&Dの「不和の種--それどころか、命取りの要素になる可能性も持っている」と述べている(イアン・ハッキング1995 p.144 )。 なお、この対立を「政治的対立」と評した最初の人間はイアン・ハッキング (Hacking, I.) であり、『記憶を書き換える』の15章のタイトルは「記憶政治学」である。
当初FMSFはしばらくはDIDに対する論評を控えていたが(イアン・ハッキング1995 pp.154 - 156 )、ついにDID治療者も巻き込まれ、FMSFに攻撃されるような事態になる。 先のブラウン (Braun,B.G.) も患者に訴えられた。 FMSFは、ウィルバー (Wilburn,C.B.)の患者の治療記録『失われた私(シビル )』についても全面否定している。 もっともシビルはDIDではないと言い出したのはDIDの専門家スピーゲルであり、1995年にボルフ-ヤコブセン (Borch-Jacobsen,M.) のインタビュー )の中で話したことなので、DID治療者対FMSFという単純な構図ではないのだが。 - ^ 最初のDIDクリニックが置かれた病院で、ISSMPD&D年次総会が開かれる本拠地だったという(イアン・ハッキング1995 p.155 )。
- ^ バルガス夫人は産後うつ症状でブラウン (Braun,B.G.) の勤める病院を訪れたが、DIDと診断されて子供二人まで半強制的に入院させられたという。 ブラウン (Braun,B.G.) はバルガス夫人に300もの別人格を「発見」したうえ、夫人が悪魔的儀式虐待を「思い出す」のを助長した(イアン・ハッキング1995 p.155 )。 さらに刑事訴追もされ、ブラウン (Braun,B.G.) は医師免許の2年間停止、アメリカ精神医学会、イリノイ州精神科医協会からの除名処分となっている(The BENNETT BRAUN STORY ( Illinois-Wisconsin FMS Society )。 ブラウンと同様に告訴された事例は榎本博明2009 pp.34 - 36 や、岡野憲一郎2007 p.35 にも複数あげられている。
- ^ 岡野憲一郎は2000年の『心のマルチ・ネットワーク』(pp.168 - 173)の中で「偽りの記憶」と催眠に関して例を示したあとでこう述べている。 「偽りの記憶がいかに確からしく当人に感じられるかは、その記憶を植え付けた人がどの程度それに確信をもっていたかによるということです。 ・・・治療者が心から虐待の事実を確信していたばあい、患者もそれに対する確信が増す傾向にあります」と。岡野はこのころ、アメリカでDIDの治療にあたっていた。
- ^ 薬物依存症の母親がクスリ代欲しさに幼児を男に売っていたと噂されている。父親はいない(パトナム1997 pp.427 - 428 )。
- ^ ウイルソンとバーバーは、1983年の論文で、空想傾向の強い対象者の65%は「全ての感覚モダリティにおいて幻覚的な強度をもつ空想を経験することができ、また85%は(対象群が24%であったのに対して )彼らは空想したことの記憶と実際に体験したことの記憶を混同する傾向がある」としている(岡田他2004 p.153 )。
- ^ ロバート・オクスナムの治療を行った精神科医ジェフリー・スミスも、オクスナムがDIDと診断された後に『失われた私(シビル )』を読んで自分と多くの共通点があることを報告してきた時にやんわりと諫めている。(オクスナム2005 p.69 )。
- ^ パトナムは『イブの3つの顔』はDIDを誤解させる書き方をしており、臨床的な特徴を曖昧にした責任がありそうであるとする。 さらに「統合に対する非現実的な期待と憶測」とまでいう(パトナム1989 p.54 p.407 )。
- ^ 『存在の深き眠り』もモチーフとして『イブの3つの顔』を忠実に用いているが、しかしイブ本人クリス・コスナー・サイズモアの自伝 『私はイヴ』はネグっている。 自伝によれば『イブの3つの顔』の後に現れた別人格の方が圧倒的に多い。 パトナムの『イブの3つの顔』評はここにも当てはまる。
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多重人格
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 05:57 UTC 版)
ゲイシーは精神鑑定のため、シカゴのセルマック精神病院の犯罪精神科病棟に移送された。そして「私の中には4人のジャックがいます。全員のことを詳しくは知りません。家であったことはすべて4人目のジャック"ジャック・ハンリー”が行ったことなのです」と証言した。 ゲイシーによれば彼の中の4人のジャックがゲイシーの肉体をコントロールし、そのあいだの記憶はまったくないのだという。1人目のジャックは、酒と麻薬をやってから少年を漁りに出かけ、少年を車に連れ込んでセックスをする。そうした中で2人目のジャックが現れ、行為が終わると裸のまま車外に放り出し、そのまま逃亡しては楽しむという。俺は殺人課のベテラン刑事であるとゲイシーに語っていたという。2人目のジャックが引っ掛けた少年を、自宅まで無事に届けるのが3人目のジャックで、心優しい警察官であるという。そして、3番目のジャックが少年を諭しているときに突然現れて、手の届かないところへ少年を連れ去っていくのが4人目のジャックである、という。 ちなみにゲイシーの証言を得たのは1978年9月27日。コロンバス・シティズン・ジャーナルが、ビリー・ミリガンの事件について、ミリガンが10の人格を備えていることを一面トップの記事にした3か月後のことであった。 ゲイシーは、多重人格症として診断されることに全力を尽くした。1980年2月6日から始まった公判で、ゲイシーは自分が多重人格であることを主張し続け、無罪を訴えた。しかし陪審は訴えを退け有罪評決を下した。33人の若い男性を殺害した理由に多重人格を持ち出しても「詐病」であるとされた。1980年に12回の死刑判決と21回の終身刑判決を受けたが、数百万ドルに及ぶ莫大な資産を利用して、20回以上の上訴と模範的な服役生活により刑を免れ続けてきた。また自分を妬む人や警察の陰謀であるとして冤罪を主張し、死刑制度の違憲性を訴えて上告を繰り返した。これにアメリカ国内で非難が集中し、いち早い死刑執行を願う人たちがデモ活動を行ったこともある。 ゲイシーを心理学的に鑑定した臨床医は「彼のIQはかなり高く、神経学テストをはじめとする7種類のテストでも、脳障害の兆候は見られなかったと診断した。一方でロールシャッハテストや主題統覚検査では異常を感じさせる反応を示し、心理面の安定をみるミネソタ多面人格目録(MMPI)でゲイシーが極めて異常であり、思考の混乱から精神分裂かもしくは妄想症の可能性が強い」とされた。 この検査結果では、ゲイシーは「自分を有利にしようと動いているわけではない」ということが認定された。元スタンフォード大学行動科学課長および研究センター会長ローレンス・フリードマンは、ゲイシーを極めて凶暴で歪んだ性欲に巻き込む人格相として存在しているとした。ゲイシーのトラウマをアルコールに耽っていた父親と現在までに及ぶ本人自身の発作によるものと指摘、幼いころから彼を責め苛み続けた心身症と神経症が、彼の犯罪性を作り上げる土壌となったと証言した。一方「このような症例を罰するか罰しないかの判断は、法と社会の境界上の問題であり、心理学の立場からは言及できません」とも話した。
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