せいしん‐かんてい【精神鑑定】
精神鑑定
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精神鑑定(せいしんかんてい)は、日本の裁判所が訴訟当事者などの精神状態・責任能力を判断するため、精神科医などの鑑定人に対して命じる鑑定の一つ[1]。裁判所は、鑑定人の鑑定意見に拘束されず、自由に判断をなし得るが、これを採用し得ない合理的な事情が認められるのでない限り、その意見を十分に尊重して認定に用いなければならないとされている(最決昭和58年9月13日、最判平成20年4月25日)。
訴訟上の精神鑑定
訴訟上の精神鑑定は、刑事訴訟上の精神鑑定と、民事訴訟上の精神鑑定の二つに大別される。この他、家庭裁判所が担当する非公開(非訟事件)の家事審判上の精神鑑定がある。
刑事訴訟上の精神鑑定
刑事訴訟上の精神鑑定には、
判断するための精神鑑定などがある。
日本の刑事裁判においては精神医学的診断(疾病診断)によって直ちに責任能力の有無が決められるものではなく、更に個々の事例における精神の障害の質や程度を判断し、その精神の障害と行為との関係についての考察に基づいて責任能力が判断されることになっている[2]。そのため、何らかの精神障害と病院で診断されたとしても、それによって直ちに刑責が軽減されるわけではない。
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の被告人(宮崎勤)の精神鑑定で、日本で初めて複数の鑑定医による鑑定が行われた。
民事訴訟上の精神鑑定
民事訴訟上の精神鑑定には、
判断するための精神鑑定などがある。
家事審判上の精神鑑定
家事審判上の精神鑑定には、
- 後見開始の審判を行うに当たり、審判を受ける者に行為能力があるか否か
判断するための精神鑑定などがある。
関連項目
- 意思能力
- 行為能力
- 精神疾患
- 心神喪失等の状態で重大な他害行為を行った者の医療及び観察等に関する法律
- 精神保健及び精神障害者福祉に関する法律
- 法務技官
- 精神科医
- 臨床心理士
- 措置入院
- 制限行為能力者
- 認知症
- 統合失調症
- アスペルガー症候群
- 心神喪失・心神耗弱
- 自閉症
- 知的障害
脚注
出典
- ^ “精神鑑定”. 2015年9月5日閲覧。
- ^ “刑事責任能力に関する精神鑑定書作成の手引き”. 2023年8月24日閲覧。
精神鑑定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 17:39 UTC 版)
「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件#動機」も参照 1989年8月24日、東京地方検察庁の総務部診断室で簡易精神鑑定を受ける。精神分裂病の可能性は否定できないが、現時点では人格障害の範囲に留まるとされ、これを受けて検察は起訴に踏み切った。初公判では「全体的に、醒めない夢を見て起こったというか、夢を見ていたというか……」と罪状認否で訴えた。 公判開始後の1990年12月より、5人の精神科医と1人の臨床心理学者による精神鑑定が実施される。この鑑定では動物虐待などの異常行動に目が向けられ、祖父の遺骨を食べたことなどは供述が曖昧なため事実ではないとみなされた。1992年3月31日精神鑑定書が提出され、人格障害とされた。祖父の骨を食べた件については弁護側は墓石などが動かされたことを証拠としたが、検察側はそれだけでは確証ではないと反論した。 1992年12月18日より、弁護側の依頼により3人の鑑定医により再鑑定が始まる。1994年12月に鑑定書が提出される。第2回鑑定では1人は統合失調症、2人が解離性同一性障害の鑑定を出した。
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精神鑑定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/19 02:28 UTC 版)
「福山市一家3人殺害事件」の記事における「精神鑑定」の解説
広島地方裁判所福山支部にて開かれた公判で、弁護人は「被告人Uは中等度の知能障害を有する精神薄弱者であり、かつ爆発性の異常性格者だ。本件各犯行当時は知能障害のため心神耗弱状態だった」と主張した。同地裁支部は被告人Uの精神状態を調べるため、弁護人・検察官の両者からそれぞれ出された精神鑑定の申請を採用し、鑑定人(庄盛敦子・浅尾博一)にそれぞれ鑑定を命じて各鑑定書を提出させ、両鑑定人を証人として尋問した。 また控訴審でも、広島高等裁判所は被告人Uの責任能力を調べるため、保崎秀夫・斎藤正彦にそれぞれ命じ、計2回にわたる精神鑑定を実施した。その結果、以下の鑑定結果が示された。 精神鑑定結果審級・鑑定人知能程度鑑定結果概要責任能力に関する結論第一審・庄盛敦子 中等度の知能障害(痴愚、知能指数25 - 50程度) 脳のCT検査では異常所見は認められず、脳波検査や神経学的検査でも脳の器質性・機能性などの異常は認められなかった。精神年齢は8,9歳程度で、被告人Uは長年経験した分野(博打や犯罪の計画・実行)においては常人以上の能力もあるかもしれないが、性格面では攻撃性・衝動性・支配性が強く見られる一方で内省的な面が欠如しており、爆発性異常性格と認められる。 異常性格・知能障害のために是非善悪を判断し、それに従い行動する能力を著しく減した状態(=限定された責任能力しかない状態)だった。 第一審・浅尾博一 50 - 51程度の軽愚(=軽度の精神薄弱) 知能年齢は8歳 - 8歳2か月だが、生活能力や社会生活への適応性などを総合して判断すると知能能力は軽愚者の中では高い程度(正常に近い部類)に入ると考えられる。性格面では「些細な原因で激昂し、突然暴力的な反応を起こす爆発的性格、かつ回りくどく迂遠な粘着的性格」と認められる。脳波検査やCT検査は被告人が「受診済み」として拒否したが、神経学的検査では異常は認められない。 爆発的性格から行為抑制能力が幾分欠けていたかもしれないが、著しく減退していた(=心神耗弱状態だった)とはいえず、是非善悪を弁別する能力は有している。 控訴審・保崎秀夫 言語性知能指数 - 55動作性知能指数 - 45以下全検査知能指数 - 48 脳波検査・頭部CT検査とも異常所見は認められず、精神病的症状も認められない。知能程度の判断は知能指数だけでなく性格・日常行動など全体から判断すべきで、それらを総合すると「軽愚」程度の知能低下と考えられ、背景となる器質的障害は認められない。性格傾向として「カッとしやすく、短絡的な行動を起こしやすい」傾向や執拗さ・粘着傾向が認められ、性格にもかなり偏りがある。善悪を判断しそれに従って行動する能力は特に性格面において問題であるが、著しい程度ではない。 犯行前の「Uに対し特別に計画された状況下」では、善悪を判断しそれに従って行動する能力は著しく障害されていた状態と考えられる。 控訴審・斎藤正彦 言語性知能指数 - 58動作性知能指数 - 50 頭部CT検査・脳波検査の結果によれば精神発達遅滞および性格変化と関連した粗大な器質的変化は認められず、てんかんなど一過性の意識障害を来しうる疾患も認められない。面接検査結果・それまでの生活歴などから幻覚・妄想などの病的体験は認められず、精神分裂病など精神病に罹患している可能性もない。知能障害は日常家庭生活を妨げる程度ではなく、Uは社会生活行動においても一定の能力を持っていた。経験的に学んだ事柄にはかなり抽象的な概念でも理解でき、そうした考えに従って自分を律することができることを考慮すれば知的能力は「軽度精神発達遅滞」と診断される。性格面では衝動性・攻撃性や執拗さなどの行動特徴が認められるが、保護的な環境下では十分に情動の安定を保つことができ、感情が高ぶっても必要に応じて自制できることを考慮すれば「性格異常」「反社会的人格障害」などの診断を加える必要はない。 物事の是非善悪を弁別する基本的能力は備えているが、犯行の動機形成には知能だけでなく性格傾向・心理的機序を含んだ精神機能の未発達が大きく影響していると考えられる。 第一審段階で行われた両鑑定とも被告人Uの性格異常を指摘したが、それを「責任能力を限定すべき要因」とはみなさなかったため、地裁支部判決 (1991) は被告人Uの犯行時の行動を検討した結果「甲の居場所を探す際にはその目的に適った合理的な行動を取り続けていたほか、B夫婦やDの殺害を計画・実行した際にもかなり用心深い行動を取っている。突発的にCを殺害した以外は一貫した強い意志や周到な計画・準備の下で犯行を決行しており、犯行時点でも意識は清明だった。知能障害・異常性格や動機から見て是非善悪の弁別・行動制御の能力が正常人よりやや劣っていたことは否定できないが、それらも著しく劣っていたわけではなく、心神耗弱ではなかった」と事実認定した。 弁護人は控訴審で「庄盛鑑定が『知能障害は中等度だ』とする結論を排斥した根拠は薄弱であり、浅尾鑑定は検査の正確性に問題がある」と指摘したが、控訴審・広島高裁判決 (1998) は「いずれの鑑定からも幻覚・妄想などの病的体験は認められず、精神分裂病などに罹患している可能性もない。被告人Uの知能障害は日常家庭生活を妨げる程度ではなく、知能障害の程度を軽度(軽愚)とした原判断に誤りはない。浅尾鑑定も被告人Uが文盲であることを考慮して行っており正確性に問題はない」と退けた上で、被告人Uの性格面について「被告人Uは(斎藤鑑定が述べるように)実際に犯行に至るまでの間にしばしば追い詰められたり侮辱されたりしていたが、暴力的行為には及ばず一定の自制を働かせていた。爆発的・執着的な性格を知能障害とは別に性格異常を見るか、あるいは(斎藤鑑定が指摘したように)知能障害に付随する性格とみるかは別として、『被告人Uの性格は責任能力に影響を与える程度には至っていない』と認められる」と結論付けた。また被告人Uの犯行前後の行動などから検討して「犯行動機は了解不可能なものではない。犯行時の意識は声明で記憶の混乱もなく、殺害行為の際も(当初から殺害を計画していたA・B夫妻と、当初は殺害するつもりがなかったCとで全く異なる配慮を示している点などから)目的に適った合理的な行動を取っている。それらの点を考慮すれば『是非善悪を弁別し、それに従って行動する能力』は存在し、かつその能力は著しく減退した状態ではなかった(=完全責任能力を有していた)と認められる」と結論付け、弁護人の「犯行当時、被告人Uは心神喪失もしくは心神耗弱状態だった」とする主張を退けた。
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精神鑑定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 14:25 UTC 版)
解任された佐藤は軍法会議で作戦失敗の非を訴えようとしたが、結局不起訴処分となり、牟田口は佐藤の精神鑑定をビルマ方面軍司令官河辺正三中将に上申した。結果、「精神病(心身喪失)」扱いでジャワ島に送られたとされている。第16軍司令部付という形での、事実上の軟禁である。これは、すでに抗命罪による死刑を決意した佐藤により、撤退理由をはじめとするインパール作戦失敗の要因が明らかにされると共に、その責任追及が第15軍、ビルマ方面軍などの上部組織や軍中枢に及ぶことを回避するためである。また「問題のある人物を親補職に任命した」という任命大権を持つ天皇への責任にまで及ぶことを恐れた軍部の措置であったと推測されている。しかし、そもそも現場の司令官が親補職たる師団長を解任する権限はなく、牟田口による解任は任命大権を犯す行為である。 「師団司令部条例」(明治21年5月12日勅令第27号)師団長の権限等としては次のものがあった。 中将を以て補し、直に天皇に隷し、師管内にある軍隊を統率し、軍事に係る諸件を総理する。 鑑定の実際は次のような内容であった。以下、精神鑑定については山下實六の手になる『九州神経精神医学』の記事を元に述べる。 この鑑定について当時首相・陸相に加え陸軍参謀総長を兼職していた東条英機は、「その件は一切南方総軍に任せる。内地は関与しない」との電報を送った。精神鑑定を実施したのはマニラに開設されていた陸軍病院第一分院から派遣された2名の精神科の軍医、山下實六軍医大尉と南方総軍軍医部高級部員の宮本軍医中佐であった。この内山下はガダルカナル島の戦いに参加したある兵団長の精神鑑定を実施した経験があった。2名はラングーンへ移動し、鑑定作業は7月22日、ラングーンへの佐藤の到着後、24日より下記3つの観点より実施されている。 身体的検査:マラリア等疫病による心身喪失の可能性を検査 現在の精神状態:佐藤との面談による。 事件当時における精神状態:戦闘及び撤退中に躁状態であったかが問題とされた。佐藤と副官の世古中尉との面談の他、当時の15軍司令部への電報の写しを参照して実施された。 鑑定書の写しはその後空襲で焼失したが、その内容は概略次のようであったという。 鑑 定 主 文作戦中の精神状態は正常であった。時おり、精神障害を疑わしめるごとき感情の興奮による電文の遣り取りがあるが、これは元来の性格的のものであって軽躁性の一時的の反応であって、その原因は全く環境性のもので、一過性反応に過ぎない。従って法曹界のいわゆる心神喪失はもちろん、心神耗弱状態にも相当しない正常範囲の環境性反応である。 現在の精神状態は全く正常である。 附記:現在、精神状態全く正常なりといえども心身の疲労、直ちに法廷などに出席することは尚早であろうから、暫く静養されたがよい。と口頭で追加した。(それは若し法廷で争うことになれば、悲劇の主人公は複数になりかねぬことをおそれたからである) — 山下實六「インパール作戦における烈兵団長の精神鑑定」『九州神経精神医学』24巻1号 1978年4月 精神病ではないと言う診断について山下は「我等の鑑定の結果は林軍司令部の期待に添えなかった」と述べている。マニラに戻って梛野軍医長に事実を報告したが、軍医長もよく理解した。佐藤自身は精神病ではないと言うことで、後は法務部の作業となったと言う。佐藤は、後に「大本営、総軍、方面軍、第15軍という馬鹿の四乗がインパールの悲劇を招来したのである」という言葉を残している。
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精神鑑定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 16:55 UTC 版)
「青森県新和村一家7人殺害事件」の記事における「精神鑑定」の解説
青森地裁弘前支部は1954年4月26日の第4回公判で、弁護人側からの申請を受け、安斎精一(弘前大学医学部精神科講師)にMの精神鑑定を委嘱することを決定。当時、公判は鑑定結果の提出(同年6月下旬ごろ)を待ち、同年7月1日の第6回公判で論告求刑を行い、結審することが見込まれていた。 しかし、同公判で明かされた安斎鑑定書は、「実父Xの凶暴・残虐性、長兄A1の低能(数字を数えることもできなかったなど)と学業成績から考え合わせると、Mは手のつけられない低能」と評した上で、「犯行時は飲酒して酔っていたため、味噌を盗みに入った時点で心神耗弱状態にあり、かつて自分を虐待したXやA1の姿が頭に浮かんだことで、『Xを殺さなければ自分が殺される』と思いついて犯行に至ったが、この時点では突発的な感情性朦朧状態にあり、心神喪失状態だった」とするものだった。これに対し、沖中は鑑定人の安斎が、鑑定にあたって通常の病人と犯罪人の心理を混同していることや、Mに対し「お前さんは気が変じゃないか」などと誘導尋問していること、判定を鑑定人の尋問だけに依存しており、警察の捜査記録・公判記録などが一切無視されている点を指摘。また、「Mは学業成績は悪かったが、落第は一度もしておらず、高等小学校2年の時は可3、良10とだいぶ成績が向上している。また、A1も低能ではあるが、金銭の取引関係はしっかりしている。Xは『非道』とされているが、Mが麻疹で右目を失明した際、自分が片目のウサギを撃ち殺した祟りであるとの風評が立ったため、好きな猟をやめ、猟銃をA1に譲ったことがある」などとも指摘し、作成者の経験不足も理由に、「安斎鑑定書は信憑性を欠くため、東大精神科か松沢精神病院の権威ある医師に再鑑定をしてもらいたい」と申請した。これに対し、丸岡は「安斎鑑定は非常に詳しく、別に不足の点はない」と主張したが、裁判官による合議の結果、沖中の再鑑定申請が採用された。 同年8月5日、松沢病院の院長・林暲に再度の精神鑑定が依頼された。同月から林による精神鑑定が始まり、鑑定書は依頼から約1年4か月後の1955年(昭和30年)11月28日に提出されたが、安斎鑑定と違って心神喪失とは断定していないものの、強度の心神耗弱または心神喪失と判断した内容だった。林は鑑定書で「Mはある程度、癲癇性の遺伝的素質を潜在的に有していたか、明らかに癲癇と認められる。また、アルコールへの反応が異常となる素質を有しており、それに加えて犯行前から家庭的環境に起因する不快・憤懣の感情的緊張があり、被告人の住居に絡んでそれが一層高まっていた」という背景を説明した上で、「犯行当夜、Mは多量に飲酒したことにより、実家の味噌小屋に入るころから病的なある程度の意識障害を生じていたが、その状態で鉄砲を発見したことが契機となり、被害妄想的思考および、それによる恐怖的感情の興奮により、突然意識に著しい障害を生じた」として、Mの犯行時の不完全な記憶は、その一過性の発作的精神障害による朦朧状態に陥った結果であると位置づけた。そして、「Mはこのような意識障害のもとに理性的な判断抑制を喪失し、平素の鬱積した激情の爆発した憤怒的状態から、原始的動物的の凶暴な攻撃行動におよんだと判断される可能性が非常に大きい。このような異常な意識障害を起こしたものとすれば、その意識障害の状態は、単なる心因性の意識障害とは違い、純然たる癲癇性朦朧状態とほとんど同様の状態にあったと判断される。その状態では、事態の正しい認識判断や、それに従って行動することは全く不可能〔心神喪失状態〕であるか、少なくとも非常に困難〔心神耗弱状態〕である」と結論づけた。 鑑定書が提出されたことを受け、公判は12月8日の第7回公判で、1年3か月ぶりに再開された。同日、林鑑定書に対する異論がなければ検事の論告求刑まで進むと見られていたが、山本検事から「林鑑定書は非常に難解であり、安斎鑑定書と比較する余地もあるので、10日ほど後に公判を再開してほしい」との申立があり、弁護人も鑑定中に担当検事が交代していたことを理由に「(審理の続行に)異存はない」と意見表明したため、審理は続行されることとなった。続く第8回公判(12月22日)では、犯行直後から送検までMを取り調べた相馬長三郎(弘前署捜査係長)が証人として出廷し、当時のMの精神状態などについて証言したほか、山本が「Mは1954年1月、弘前拘置支所で次兄と接見した際、『死刑を免れられれば良い』と発言しており、鑑定人はこの点を考慮したかどうか疑問だ」と指摘した。その上で、鑑定書の信憑性を問うため、林・安斎の両鑑定人を証人尋問するよう申請した。 そして、1956年(昭和31年)1月26日に開かれた第9回公判では、安斎が山本から被告人Mの血族関係に関する尋問を受け、「母方に生来性高度の精神薄弱者や、痙攣発作症状を起こす者がいる。また、父方の従兄弟に神経性疾患を有する人物もいるが、うち1人は高度の精神薄弱者であり、もう1人は脳膜炎で死亡している。父も精神病質者であるなど、Mは高度の精神障害を有する血統を有している」と証言した。また、Mの犯行時の精神状態については、「猟銃を見て『殺される』と恐怖して犯行におよんだが、気がついたら死んだXの前に立っていて、何人殺したかわからない」というMの陳述内容から、「部分的に刺激の強い場面を記憶しているところから、Mは複雑な関係から自己意識がなく、精神朦朧状態にあって犯行に至った」と説明し、自身が行った臨床的問答検査法により、Mの知能指数 (IQ) は27(普通人は80点以上)で、知能年齢は9年6月であるという旨も証言した。 林は、3月1日に開かれた第10回公判で、「事件当時のMの精神状態は、心神喪失と断言することはできないが、ある程度それに近い状態だった。Mが朦朧状態に陥った原因は、癲癇性による病的なものが主因で、それに加えて平素の不快、飲酒などが蓄積してさらに強度なものになったと思われる。鑑定時には様々な質問をしたが、Mの性質は割合単純で、『死刑を免れたい一念』からくる作為的な供述は本当の意味では少ない」という見解を示している。
※この「精神鑑定」の解説は、「青森県新和村一家7人殺害事件」の解説の一部です。
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精神鑑定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 16:20 UTC 版)
「弘前大教授夫人殺し事件」の記事における「精神鑑定」の解説
10月25日になってようやく、長引いていた精神鑑定の結果が地検に提出された。しかしその鑑定を9月10日に嘱託されていた精神科医は、Sと松永を通じて利害関係にあるはずの丸井清泰であった。その鑑定書では丸井は9月10日から10月25日まで那須を検診して鑑定を行ったとしているが、実際に丸井が那須を検診したのはある一日の15分間のみで、検診の内容も「日本一高い山は」「馬の脚は何本」「いろはを答えよ」といった内容ばかりであった。丸井は那須の知人十数人の供述から、那須の責任能力を認めながらも「所謂変質状態ノ基礎状態テアル生来性神経衰弱症」「表面柔和ニ見イナカラ内心即チ無意識界ニハ残忍性『サディスムス』的傾向ヲ包蔵シテ居リ両極性相反性ナル性格的傾向ヲ顕著ニ示ス」と鑑定した。「謹厳」「おとなしい」といった肯定的な評判も、残忍性や女性への興味を抑圧した結果の反動であると解釈された。 丸井に対して嘱託されていたのは那須の精神状態に関する鑑定のみであったが、丸井はさらに鑑定書に以下の文言を付け加えた。 以上ニ細説シ来ッタ如ク精神医学者、精神分析学者トシテ鑑定ハ凡テノ事実ヲ各方面ヨリ又アラユル角度カラ考察シ被疑者ハ少ナクトモ心理学的ニ見テ本件ノ真犯人テアルトノ確信ニ到達スルニ至ッタ — 丸井鑑定書(10月25日付)より
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精神鑑定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 18:43 UTC 版)
12月7日、さいたま地方検察庁は、男が事件直前に「誰かに殺される」などと不可解な言動をしたり、逮捕後に「仕事をしていて気がついたら病院にいた」と供述したりしたことから、事件当時の精神状態を調べ、刑事責任能力の有無を判断するためにさいたま地方裁判所に鑑定留置を請求し、認められた。留置期間は8日から2016年3月11日までで(のちに5月13日までに延長)、男の身柄は8日に熊谷署からさいたま拘置支所に移される見通しである。 さいたま地検は、2016年5月13日まで実施した鑑定留置の結果、事件当時の被疑者には刑事責任能力があったと判断した。 拘留期限満期となる2016年5月20日、さいたま地検は、起訴容疑を殺人から、強盗殺人と死体遺棄などに切り替え、男をさいたま地方裁判所に起訴した。裁判員制度導入後では初めて、殺害被害者数6人以上の大量殺人事件の犯人が起訴されたケースとなった。
※この「精神鑑定」の解説は、「熊谷連続殺人事件」の解説の一部です。
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精神鑑定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 17:05 UTC 版)
東京地方裁判所刑事第Z部T受命裁判官の命により、小田晋及び助手によって1997年6月6日、7月11日、7月16日、7月25日、8月13日、8月21日、9月26日、10月8日に東京拘置所において岡﨑の精神鑑定が行われた。 【鑑定事項】(1)岡﨑が本件犯行に及ぶに至った心理状態、(2)右の心理状態は岡﨑の行為等を評価する上でいかなる意味を持つか。
※この「精神鑑定」の解説は、「岡崎一明」の解説の一部です。
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「精神鑑定」の例文・使い方・用例・文例
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