ドリトル先生の旅行とは? わかりやすく解説

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ドリトル先生の旅行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 02:22 UTC 版)

ジョン・ドリトル」の記事における「ドリトル先生の旅行」の解説

ドリトル先生研究標本採集主な目的に、動物たち連れて長期にわたる旅行航海出掛けることが恒例になっている本編中で言及されている旅行航海以下の通りである。 若い頃オーストリアウィーンヴィエナ)でパガニーニヴァイオリン演奏聴いた1809年4月北極点到達現地ホッキョクグマから地下石炭埋まっていることを教わるが、乱開発を防ぐためその事実を公表しないことを約束した1830年代前半アフリカたちが深刻な伝染病苦しめられている、との一報季節外れツバメよりもたらされ動物たち連れて大急ぎアフリカへ渡航するアフリカ上陸する目前で船が座礁したり、ジョリギンキ王国で捕まる、などのアクシデント経て猿の国へたどり着き伝染病終息させたお礼世にも珍しい2つ頭の有蹄類オシツオサレツ(Pushmi-pullyu)を贈られた(『アフリカゆき』前半)。その帰り道にはガンビア・グーグー国でイワツバメ乱獲止めさせ(『楽しい家』の「あおむねツバメ」)、カナリア諸島近海では、ジョリギンキのバンポ王子調達した船がもうすぐ沈没することをネズミ知らされ急いで上陸海賊襲撃遭うも、先に上陸していた先生は船の沈没逃れ代わりに海賊船接収するその後海賊仲間入り拒んで岩礁置き去りにされた漁師ジップの鼻で居場所特定して救出。この功績で、漁師故郷イングランド南西部コーンウォールか)において、ジップは金の首輪贈呈された(『アフリカゆき』後半)イギリスの冬が体に合わないオシツオサレツの為、避寒兼ねて西アフリカ航海。その帰りイギリス海軍協力奴隷商人撃退したことが発端となり、ファンティポ王国郵便局再建ココ王より依頼される国際郵便局の閉鎖直前には、ファンティポの奥地にある“秘密の湖”ジュンガニーカ湖で、太古より生きながらえるリクガメ・ドロンコ(Mudface)より旧約聖書大洪水まつわる長い物語聞き取った(『郵便局』)。 『キャラバン第3部4章では「5年ほど前」に東南アジア航海しビルマ穫れる特殊な米でポケットサイズの馬を育てた後、シャム国王献上した際の思い出語っている。この際と同じ旅程出来事かは不明であるが『航海記第1部3章ではスタビンズ少年との初対面際しインド糖蜜入った壺を頭に乗せて運んでいた女性ぶつかって糖蜜まみれになったことを回想している。 1839年から1840年頃、助手となったスタビンズを連れてロング・アロー消息を絶った南米孤島クモザル島Spidermonkey Island)への航海。船は嵐で大破するが、イルカ助けで島に到着しロング・アロー救出成功するその後島内勃発した部族間の紛争収める島民全面的な信頼得て王に祭り上げられ、ジョング・シンカロット王として2年余り過ごした後、大ガラス海カタツムリ協力イギリスへ帰還した(『航海記第3 - 6部)。 昆虫言語に関する研究進めていた時期巨大な蛾ジャマロ・バンブルリリイ導かれて月に到達する月世界統治する太古の巨人オーソ・ブラッジ出会い現地1年過ごした(『月からの使い』『月へゆく』『月から帰る』)。 月から持ち帰った植物を基にした不老長寿研究が行詰まり、またジュンガニーカ湖聞き取ったドロンコ伝承に関する記録失われたことから、再び西アフリカ・ファンティポへの航海敢行ジュンガニーカ湖地震により生き埋めになっていたドロンコ救出し再度大洪水に関する口伝聞き取りを行う(『秘密の湖』)。 また『緑のカナリア第1部1章豚のガブガブは「アフリカアジアフィジー行った」と述べているが、アフリカは『アフリカゆき』を指すとしても「アジア」が前述東南アジアインドへの渡航を指すのか、また南太平洋フィジー渡航したのがどの時期で、先生に連れられてのものか否かなどは不明である。 旅行行き先が特に決まっていない場合は、目をつぶって無作為に地図帳をめくりながら鉛筆突き立て筆先指し示した所を目的地とする運まかせ旅行Blind travel)と呼ばれる行事行き先決める。この行事本編中で2回にわたって実施され1回目は『航海記第2部11章ロング・アロー消息を絶ったクモザル島が、2回目は『月からの使い第2部14 - 15章で月(地図帳太陽系図の次のページ掲載され月面図)が目的地となった先生旅行に際して大荷物用意することを好まず医療用具と必要最低限の生活用品だけを愛用の鞄に詰めて持って行く。月世界探索当たった時だけは例外的に、月から飛来し背中に、観測実地調査用の機材大量に乗せて運搬した

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「ドリトル先生の旅行」を含む「ジョン・ドリトル」の記事については、「ジョン・ドリトル」の概要を参照ください。

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