インディ‐ごひゃく【Indy 500】
インディ500(いんでぃごひゃく)(Indy 500; Indianapolis 500)
今年で86回目を数えるアメリカ伝統の自動車レースのこと。正式名称は「インディアナポリス500マイル・レース」だが、「インディ500」と呼ばれ親しまれている。
インディ500は、F1モナコ・グランプリ、ルマン24時間耐久レースと並ぶ世界3大自動車レースのひとつで、特にアメリカでは、F1を超える人気があるとさえ言われている。米国インディアナ州にあるインディアナポリス・モータースピードウェイで毎年5月のこの時期に開催されている。
インディ500の数字の由来は、1周2.5マイル(約4km)のオーバル・コースを使い、200周して勝負するところから来ている。公道を使うF1モナコGPやルマンとは違って、いわゆる卵形のオーバル・コース全体を観客が見渡せることが大きな特徴だ。
エンジンやタイヤなどを製造する自動車関連メーカーは、レースに勝てば自社の技術が世界的に広く認められるとあって、このような自動車レースは格好の宣伝の場となっている。インディ500には、すでに参戦している日産のほか、トヨタとホンダもインディ500をはじめとするインディ・レーシング・リーグの2003年シリーズから参戦する。
(2002.05.28更新)
インディアナポリス500
(インディ500 から転送)
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インディアナポリス500 (Indianapolis 500) は、アメリカ合衆国インディアナ州インディアナポリス市近郊のスピードウェイにあるインディアナポリス・モーター・スピードウェイで毎年5月に開催されるアメリカンモータースポーツイベントである。略称のインディ500 (Indy 500) で呼ばれることもある。
- 1 インディアナポリス500とは
- 2 インディアナポリス500の概要
インディ500
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 17:36 UTC 版)
「エリオ・カストロネベス」の記事における「インディ500」の解説
年シャシーエンジンスタートフィニッシュチーム2001年ダラーラ オールズモビル 11 1 チーム・ペンスキー 2002年ダラーラ シボレー 13 1 チーム・ペンスキー 2003年ダラーラ トヨタ 1 2 チーム・ペンスキー 2004年ダラーラ トヨタ 8 9 チーム・ペンスキー 2005年ダラーラ トヨタ 5 9 チーム・ペンスキー 2006年ダラーラ ホンダ 2 25 チーム・ペンスキー 2007年ダラーラ ホンダ 1 3 チーム・ペンスキー 2008年ダラーラ ホンダ 4 4 チーム・ペンスキー 2009年ダラーラ ホンダ 1 1 チーム・ペンスキー 2010年ダラーラ ホンダ 1 9 チーム・ペンスキー 2011年ダラーラ ホンダ 16 17 チーム・ペンスキー 2012年ダラーラ シボレー 6 10 チーム・ペンスキー 2013年ダラーラ シボレー 8 6 チーム・ペンスキー 2014年ダラーラ シボレー 4 2 チーム・ペンスキー 2015年ダラーラ シボレー 5 7 チーム・ペンスキー 2016年ダラーラ シボレー 9 11 チーム・ペンスキー 2017年ダラーラ シボレー 19 2 チーム・ペンスキー 2018年ダラーラ シボレー 8 27 チーム・ペンスキー 2019年ダラーラ シボレー 12 18 チーム・ペンスキー 2020年ダラーラ シボレー 28 11 チーム・ペンスキー 2021年ダラーラ ホンダ 8 1 メイヤー・シャンク・レーシング 2001年から2003年までのカストロネベスの決勝平均順位は1.33であり、3年単位のアベレージフィニッシュとしては歴代最高タイの記録(1970年から72年のアル・アンサーと同率)である。 インディ500で4勝を記録しているが、2位も3回記録しており、こちらも歴代最多タイ記録である。
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インディ500
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/04 10:01 UTC 版)
インディ500のみに出場し、優勝したドライバーの一覧。 名前初優勝所属チームジョニー・パーソンズ 1950 カーティス リー・ワラード 1951 マレル・ベランガー トロイ・ラットマン 1952 クリストファー・J.C・アガジャニアン ビル・ブコビッチ 1953 ハワード・ケック ボブ・スウェイカート 1955 ジョン・ジンク パット・フラハーティ 1956 ジョン・ジンク サム・ハンクス 1957 ジョージ・サリー ジミー・ブライアン 1958 ジョージ・サリー ロジャー・ウォード 1959 リーダー・カーズ ジム・ラスクマン 1960 ケン・ポール
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インディ500(1968年)
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「関西精機製作所」の記事における「インディ500(1968年)」の解説
玩具をヒントに作られた、影絵式のドライブゲーム。これも2000台以上出荷された。海外ではコピーゲームが一万台も売れ、賞も取ったという。
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インディ500
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 22:30 UTC 版)
開催地 - インディアナポリス・モーター・スピードウェイ(2.5 miles)/アメリカ合衆国・インディアナポリス 初開催 - 1911年 観客動員数40万人を誇るアメリカ最大のモータースポーツイベント。決められた距離を走るスプリントレースながら総走行距離が500マイル(約806 km)と非常に長く、ドライバーはその中を350 km/hを超える速さで走り続ける。クラッシュが度々起こるため何度もレースがリスタートされることや、フルコースコーション中の一斉ピットワーク、ストレート、ターンを問わずに続くサイド・バイ・サイド、ドラフティング(スリップストリーム)を駆使したオーバーテイクなどによって頻繁に順位が入れ替わる。そのため最終周の残り数メートルまで誰が勝つか分からないエンターテイメント性に富んだレースが展開される。
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インディ500
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1951年にインディ500に初参戦するが、この際は予選20位からリタイヤと、見せ場無く終わった。翌1952年はファステストラップ(以下:FL)を記録し、終盤までトップを走行。しかしステアリングが故障し、結果的には17位となった。 1953年はポールポジションからスタートし、決勝でもFLをマークしての優勝。前年に目前で逃げた勝利を、圧倒的な成績で掴んだ。更に1954年も優勝、1939年・1940年のウィルバー・ショウ、1947年・1948年のマウリ・ローズに続く3例目の連覇を達成した。
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インディ500
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 05:38 UTC 版)
年シャシーエンジンスタートフィニッシュチーム2002年Gフォース シボレー 5 28 モー・ナン・レーシング 2003年ダラーラ ホンダ 2 3 アンドレッティ・グリーン・レーシング 2004年ダラーラ ホンダ 5 2 アンドレッティ・グリーン・レーシング 2005年ダラーラ ホンダ 1 8 アンドレッティ・グリーン・レーシング 2006年ダラーラ ホンダ 5 5 アンドレッティ・グリーン・レーシング 2007年ダラーラ ホンダ 2 12 アンドレッティ・グリーン・レーシング 2008年ダラーラ ホンダ 6 29 アンドレッティ・グリーン・レーシング 2009年ダラーラ ホンダ 6 27 アンドレッティ・グリーン・レーシング 2010年ダラーラ ホンダ 33* 11 アンドレッティ・オートスポーツ 2011年ダラーラ ホンダ 22 4 KVレーシング・テクノロジー 2012年ダラーラ シボレー 8 3 KVレーシング・テクノロジー 2013年ダラーラ シボレー 12 1 KVレーシング・テクノロジー 2014年ダラーラ シボレー 16 26 チップ・ガナッシ・レーシング 2015年ダラーラ シボレー 4 26 チップ・ガナッシ・レーシング 2016年ダラーラ シボレー 18 4 チップ・ガナッシ・レーシング 2017年ダラーラ ホンダ 7 5 チップ・ガナッシ・レーシング 2018年ダラーラ シボレー 10 25 A.J.フォイト・エンタープライズ *カナーンはバックアップカーで予選32位であったが、レースではメインカーを使用することに決めた。これによりスタート位置は33番グリッドに降格した。
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インディ500
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 06:25 UTC 版)
年シャシーエンジンスタートフィニッシュチーム注釈1992年 ローラ ビュイック DNS メナード フリー走行でクラッシュ。以後を欠場。 1993年 13位 32位 エンジントラブルで38周リタイア。
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インディ500
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「アメリカグランプリ」の記事における「インディ500」の解説
1950年からインディ500がF1世界選手権に組み込まれた。選手権ポイントも他のGP同様与えられたが、インディ500と他のF1GPに参戦するドライバーも少数だった。1960年をもってF1世界選手権から除外された。
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インディ500
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ロータス・56は1967年のSTP-パクストン・ターボカー(「サイレント・サム」)で使用されたST6ガスタービンエンジンの改良型を搭載した。ST6は史上最も人気があった小型航空機用ターボプロップエンジンの一つである。しかし車そのものは葉巻型ではなく空力的に優れた独特のくさび形ボディを導入した全く新しい、より進んだデザインであった。1968年はF1にウィングが導入された初めての年でもあった。インディ500の統括団体であるUSACは、吸気量を大幅に削減してガスタービンエンジンの出力を抑える新しいルールを導入した。ロータス・56はサイレント・サムの四輪駆動コンセプトを維持しながら、軽量化と高度な空力特性を備えたボディ、洗練されたサスペンション設計でエンジン出力の低下に対抗した。 ロータスはドイツでのフォーミュラ2レースでジム・クラークを失っていた。マイク・スペンスはインディアナポリスで4台の56の内の1台をテスト中に事故死した。残された3台はグラハム・ヒル、ジョー・レオナード、アート・ポラードの手によってレースに参加し、レオナードはポールポジションを獲得した。前年とは異なり、STP-パクストン・ターボカーがレースで他のクルマを容易に凌駕したのとは異なり、ガスタービンカーは他のトップ候補と比較的均等に調和していた。その要因はガスタービンエンジンではなく空気力学とシャシー設計に起因するものでなければなかった。ヒルの車は110周目にクラッシュし、ポラードの車は188周目に燃料シャフトの破損でリタイアした。一方レオナードはレースをリードしながら、残り数周というところで燃料シャフトトラブルでリタイアした。レースの後間もなく、USACはガスタービン車に追加の制限を課し、それは本質的にレースからガスタービン車を排除することとなった。2年連続のガスタービン車の出走はインディ500に革新をもたらしたが、USACはガスタービン車と四輪駆動車を完全に禁止した。マテルがホットウィールの一つとして「ロータス・タービン」のダイキャストカーを生産したのは珍しいことであった。 1971年、ロータス・56はチーム・ロータスからF1世界選手権に投入された。しかしながら燃料補給無しで完走するために必要な大型燃料タンクは過重量となり競争力は無かった。 ロータス・56はレースで勝利することはなかったが、ジム・ホールのシャパラル同様にレーシングカーの空力特性の重要性を実証し、その後のオープンホイールカーの典型的な形状を設定した。チャップマンのロータス・72は同じくさび形のノーズを採用し、F1世界選手権で3度のタイトルを獲得した。
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インディ500
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/02 05:25 UTC 版)
インディ500における「ペースカー」は、1911年の初開催以降、一貫してインディアナポリス・モーター・スピードウェイのオフィシャルによって選ばれている。また、このペースカーは優勝者への副賞となることが多い。
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「インディ500」の例文・使い方・用例・文例
- 女性ドライバーがインディ500で4位に
- 米国人女性レーシングカードライバー,ダニカ・パトリック選手が,5月29日の第89回インディアナポリス500マイルレース(インディ500)で4位になった。
- それはインディ500で,女性として史上最高のゴールだった。
- 23歳の新人であるパトリック選手は,200周中56周目に,インディ500でトップに立つ初めての女性となった。
- 昨年のインディアナポリス500マイルレース(インディ500)では,彼はもう少しで優勝だったが,最終周でクラッシュしてしまった。
- 佐藤選手は「今日はすべてが完璧だった。これで僕が勝てると証明できた。次のブラジルのレースに備え,その後はインディ500だ。」と続けた。
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