イチローとの関係
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1990年代中盤以降、松井とイチローはタイプが全く違う選手だが、強打・巧打のそれぞれでずば抜けた実力を持つ2人は同じ時期に日本に在籍しメジャーリーグでもプレーをしていたため、ことあるごとに比較の対象となった。ワールドシリーズMVPを受賞した翌日の朝日新聞「天声人語」は、「イチロー選手がカミソリなら、ゴジラはナタの切れ味だろうか」と評した。同日の産経新聞「産経抄」は、2人を「記録のイチロー」「記憶の松井」として対比した。漫画家のやくみつるは「クールなイチローは現代風ヒーロー。素朴な感じの松井は、長嶋さんや王さんのような昔の選手を思い出させる」と分析している。しかし、松井自身はイチローと比較され続けることについて、「正直、何とも思っていません。比較するのは2人以外のメディアやファンで、自分がコントロールできることではない。僕自身も、自分をイチローさんと比べることはしませんから」と語っている。 1歳年上のイチローは中学時代には既に松井の名前を知っていたという。1990年6月24日に星稜高校のグラウンドで行われた愛工大名電との練習試合で2人は初めて顔を合わせた。その時に一塁ベース上で会話をしたことをイチローは覚えていた。イチローは「一人、でかい選手がいて、振りがすごく速い。それが松井君でした」と語っている。松井は「イチローさんの打撃はうまかった。左へ右へきれいに打ち分けていたなあ」と述懐している。翌年に愛工大名電の合宿所で再び顔を合わせた際には、風呂で偶然一緒になり、その後2人きりで将来のプロ入りについての会話をしている。松井はこの時のことは鮮明に覚えているという。共に高校野球界で頭抜けた存在だった2人は、当時から既に互いを意識していた。 1996年のオールスターゲーム第2戦では、9回裏二死走者なし、打者松井の場面で全パの仰木彬監督がイチローをマウンドに送ったが、全セ監督の野村克也は松井に代打高津臣吾を送ったため、両者の対戦は実現しなかった。松井は「野村(監督)さんに『どうする』と聞かれたんで『どっちでもいいです』と答えたら、『なら代われ』と言われた」とコメント。また、「仰木さんの遊び心が出たんでしょうけど、自分が監督ならやらないと思う。野手には野手、投手には投手の役割がありますから」と語っている。 日本時代は異なるリーグに所属していたため、交流する機会はほとんどなかったが、マリナーズと同じアメリカンリーグに所属するヤンキースに移籍後は、対戦の際にしばしば松井の方からイチローへ挨拶に赴いていた。2003年5月7日のマリナーズ対ヤンキース戦では、4回一死三塁(走者は松井)の場面で、フェンス手前への大飛球をキャッチしたイチローが、本塁へノーバウンドの大返球をみせた。到底間に合わないタイミングであったが、イチローは「松井を刺せばネタになるでしょ。100パーセント意識しましたよ」と語った。同年のオールスター戦では、試合前にはイチローから「一緒にやろうよ」と声をかけられ、2人でキャッチボールを行った。シーズンオフには、テレビ番組の企画で2時間にも及ぶ対談を行っている。しかし、2005年を最後に、両者の接触はほとんどなくなった。このことを巡って、2006年のWBC前後には、複数のタブロイド紙や週刊誌などでWBC出場辞退の経緯を巡る「イチローの陰謀」説や2人の不仲説が伝えられた。ニューヨーク・タイムズ紙は2009年に松井の去就問題を特集した記事の中で、「松井はイチローと友達ではないので、マリナーズで共にプレーすることを望まないだろう」と述べた。2009年12月に松井のエンゼルス入団が決まると、途絶えていた両者の交流も復活。イチローは「ウェルかめ to west Division」「バディを鍛えてお互いがんばろうぜ!」と、独特の言い回しで同地区への移籍を歓迎した。同地区に所属することになった2010年、オープン戦で5年ぶりの会話が実現した。シーズン中にも松井とイチローが試合前に談笑する様子が報じられている。 2004年には、イチローは松井の印象について「愛嬌のある雰囲気というか、プレーそれぞれに憎めなさがある」と語っていた。一方で、「松井とイチローという2人は、考え方もやり方も対極にあると思っている」とも語っている。 2009年9月にイチローが史上初の9年連続200本安打を達成した際には、松井は「球をバットの芯でとらえる技術は大リーグでもトップクラス」、「イチローさんは常にファンを魅了することを意識しているのがすごい」とイチローを賞賛するコメントを出した。 2012年7月、イチローがヤンキースに電撃移籍した折には、アメリカでも二人の比較論が盛んに交わされた。イチローのヤンキース入りについて松井は、「ヤンキースは常に戦力を厚くしようとしている。驚き?それはなかった」とコメントした。一方イチローは「ヤンキースで長く過ごしていたこと自体が、松井の選手としてのみならず人間としての偉大さを示している」と、ヤンキースの先輩に対して最大限の賛辞を送った。 2012年12月、松井が現役引退を発表すると、イチローは「中学生の時から存在を知る唯一のプロ野球選手がユニホームを脱ぐことが、ただただ寂しい」と感傷的なコメントを出した。
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イチローとの関係
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坪井がイチローの存在を知ったのは高校の時で、愛工大名電高校に入学した知人を通し、「鈴木っていうすごいやつがいる」という話を聞いていた。イチローも坪井の知人を通し、「PL学園に坪井ってやつがいるよ」という話を聞いていて高校時代からそれぞれの存在は認識していた。そして坪井がプロ入りした1998年に当時阪神の打撃コーチを務めていた福本豊が、オープン戦でウォーミングアップしていた時にたまたまイチローが近くにいて、「同じ左バッターの新人だからいろいろ教えてやってくれ」と坪井を紹介した。その後食事に行った時に連絡先を交換した。この時がイチローとの初対面になる。イチローは坪井の第一印象は?と聞かれ「僕と同じように足上げて打ってて、『俺(坪井)の方が先だ』っていう話が出回って、『コイツふざけんな』って」と話しているように、会う前の印象は決していいものではなかったが、坪井と食事に行き、直接話していて感じたのは「好奇心が大きな人」と坪井に対する印象が変わったことを話している。そして親交が深まり、2001年のオフシーズンから毎年1月頃にはイチローの古巣・オリックスのスカイマークスタジアムで合同自主トレを行うほどの仲になった。この合同自主トレは坪井が阪神から日本ハム・オリックスに移籍した後にも続けられていた。イチローは、坪井が2006・2010年に日本ハムから、2011年にオリックスから戦力外通告を受け、現役にこだわってトレーニングを続けていた坪井をメールで励ましていた。2011年にオリックスに入団が決まり、ほっともっとフィールド神戸で新入団を受けての取材対応を予定した坪井に合わせ、イチローも自主トレを敢行している。この時にイチローは「背番号51をつけてほしかったね」と、坪井のオリックス入団を祝福。「アイツ(坪井)は野球が大好き。そういう選手が現役でプレーできる立場をつかんだわけだから、その事実がよかった」と話している。 坪井はイチローのことを「野球生活の中で一番影響を受けた人物」と話し、引退を決断した時に家族以外で最初に報告したのはイチローで、「3.4時間ずっとしゃべってました。相談ではなく引退の報告というか、意志を伝えにいきました。野球人生の中で、一番影響を受けた人物ですし、尊敬している。イチローは独立リーグの環境の悪さとか、びっくりしていました」と引退会見で明かした。 坪井が現役引退することを本人から直接聞いたイチローは、「技術を突き詰めていく、自分の能力の行けるところまで、っていうのは(坪井から)常に感じていた。それはいくつになってもそう、今年もそうだった。野球が好き、と言っても、子供の、リトルリーグのそういう感覚じゃない。ストレスがないものではない」と坪井の野球に対する姿勢に共感していたと同時に、「(坪井は)好きで野球をやっている。それ(引退)を決めるのが大変なタイプ」、「けがで(十分に)やれなかったのは残念」と坪井の現役引退を残念がっていた。 坪井自身も引退会見で「できるなら10年、20年、30年野球を続けたい。今でも野球は大好き」と現役引退に未練ものぞかせていた。 イチローが2018年5月3日、マリナーズと“スペシャルアシスタントアドバイザー”〈会長付特別補佐〉の契約を結び、選手としては同年の残り試合は出場しないことが発表された。これにより半永久的にマリナーズに留まることとなった。この報道に対して坪井は「僕はプレーヤーとしての彼を見ていたいので、応援するというスタンスに変わりはない」、「映像を見ていてもまだできると思う。単純にプレーしている姿を見たいし応援したい」とコメントし、2018年にイチローがマリナーズに復帰することが決定した際には祝福メールを送り、今もオフには熱い談議を交わす仲である。 2019年3月21日をもってイチローが現役引退すると発表した際、「僕の野球人生に凄く影響を与えてくれた人」「ただただ驚いている。50歳までできると思っていた。毎年一緒に練習をしていて、今も勉強のために自主トレを見させてもらっている。動きは変わらないし、まだできると思っている。春先が悪いのはいつものことだから心配していなかった」とオープン戦の不調は気にしていなかったが、突然の引退発表に驚いていた。また、打撃コーチ就任後のコーチングへのアドバイスをもらっていたことも明かし、「45歳であれだけ動けるのは驚異でしかない。打席に立てばまた打ち出すんじゃないかって期待もある。でも彼が決めたことだから」とイチローの現役引退を惜しんだ。阪神タイガースに所属していた若手時代から近くでイチローの姿を見てきた坪井は、「友達であり、野球選手として付き合ってきた。いろいろなことを考えていて私生活も全て野球に捧げてきた人」とイチローの現役時代を振り返った。3月20日のマリナーズ開幕戦では東京ドームに駆けつけ「国民的ヒーローなんだとあらためて感じた。昨夜の会見も全て見たけどさすがですね」と敬意を表した。
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