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『海国図志[※ 1][※ 2]』、別題『瀛環志略[※ 3]』等の伝来
書名 著者、撰者 翻訳者 発行所 発行年 備考0000
海国図志 魏源 1875(光緒元)年(重刊) 100巻【290-G31k】
海国図志 魏源 撰 林尚書 訳、塩谷甲藏・箕作阮甫 校 須原屋伊八 1854(嘉永7)年 【W335-22】
海国図志–墨利加洲部 魏源 編  中山傳右衞門 校  和泉屋吉兵衞ほか 1854(嘉永7)年 8巻 【W487-N5】
美理哥国総記和解[注釈 15] 雞窓正木篤 1854(嘉永7)年 3編【W335-29】
続亜米利加総記[48] 広瀬竹庵 1854(嘉永7)年 2巻【W335-23】
海国図志–英吉利国部 [※ 2] 魏源( 塩谷宕陰(訓点)、箕作逢谷(訓点) 1856(安政3)5月
元は昌平坂学問所の蔵書、3冊(上、中、下)
海国図志 〔魏源〕編   写 巻39【宍戸璣関係文書(その2)279】
瀛環志略[49][注釈 16] 徐繼畭 撰  棪雲樓 1873(同治12)年 10巻【290-Z52e】
瀛環志略 徐継畬 井上春洋等(訓点) 米津清平 1861(文久元)年 10巻 【W996-N1341】
瀛環志略 徐継畬 井上春洋等(訓点) 1861(文久元)年 巻1,3【W996-N1311】
瀛環志略 徐継畬 10巻 【箕作阮甫・麟祥関係文書(寄託)31】
Handleiding tot de kennis der artillerie, voor de kadetten van alle wapenen[50]。3 druk。[士官候補生のためのあらゆる 武器の砲術の知識マニュアル]。 Overstraten, J. P. C. van Ter boekdrukkerij van de Gebroeders NYS, voor rekening van de Koninklijke Militaire Akademie 1850年 【蘭-1395】[28]
砲科新論 大鳥圭介 縄武館(蔵版) 1861(文久元)年 巻1-4【W451-N17】[51]
Handleiding tot de kennis der versterkings-kunst, ... 2. druk[52] Pel, C. M. H Gebr. Muller 1852 【蘭-3156】吉母波百児 ほか『築城典刑』(陸軍所、1864年)の原書[53]
築城典刑 吉毋波百児 大鳥圭介 1860(万延元)年 5巻【W153-N7】
Beschrijving hoedanig de Koninklijke Nederlandsche troepen en alle in militaire betrekkung staande personen gekleed, ...[54] Gebr. van Cleef 1823 【蘭-832】
和蘭官軍之服色及軍装略図[55] セウプケン 著述 山脇正民 講武塾蔵版 1858(安政5)年 【W442-30】村上文成 画 
地球説略 褘理哲[注釈 17] 著述 箕作阮甫 訓点 1860(万延元)年 【箕作阮甫・麟祥関係文書(寄託)37】[56]
地球説略疏証 〔箕作阮甫〕 自筆本 【箕作阮甫・麟祥関係文書(寄託)20】
種痘略観 Ponpe(Thm. J.L.C. Pompe van Meerdervoort 箕作阮甫[注釈 18] 自筆本  1857(安政4)年(序) 【箕作阮甫・麟祥関係文書(寄託)4】
玉石志林 箕作阮甫 箕作刊 4巻【W473-N8】
遐邇貫珍  〔箕作阮甫〕 自筆本 1853年12月、1855年9月、1855年10月 【箕作阮甫・麟祥関係文書(寄託)87】
和蘭宝函  写 〔江戸後期〕 【111-286】
六合叢談〔刪定本〕 〔洋書調所〕編  老皀館 【WB42-22-3】【特42-560】
中外新報  老皀館 1859年10月1日(第6号)【WB43-1-2】
バタヒヤ新聞[注釈 19] 〔蕃書調所〕 老皀館 1861年(10月5日) 【WB43-82】巻11
Elements of international law.[注釈 20] ヘンリー・ホイートン英語版 London : Sampson Low, son, & co. 1857 第6版【J-7】
万国公法 惠頓(ホートン)撰 丁韙良(ウィリアム・マーティン英語版 1864(同治3)年 4巻【W651-N4】
万国公法 惠頓 撰 丁韙良 萬屋兵四郎 〔江戸時代末期〕 巻4【W651-N5】
万国公法 〔惠頓〕撰 〔丁韙良〕  写 序・第1巻【杉浦譲関係文書119】
和解万国公法  写 【憲政資料室収集文書1247】
性法万国公法国法制産学政表口訣 Vissering 西周  写 【西周関係文書31a】
Volkenregt 万国公法(蘭文)  写 1863(文久3年頃) 【津田真道関係文書3】
万国公法 畢洒林(Vissering) 西周助 銭屋惣四郎ほか 1868(慶応4)年 4巻【W996-N25】
万国公法 4巻 シモン・フィセリングドイツ語版オランダ語版 西周助 竹苞楼ほか 1866(慶応2)年(序刊) 【W358-41】
泰西国法論  Vissering 津田真道 自筆本 1866(慶応2)年5月15日より6月25日稿 巻之一 【津田真道関係文書5】
泰西国法論 Vissering 津田眞一郎 18758(明治)年5月 【津田真道関係文書9-1】
書名 著者、撰者 翻訳者 発行所 発行年 備考

  1. ^ a b 籌海篇』 (俄羅斯國1巻普魯社國1巻)〈海國圖志〉https://www.iiif.ku-orcas.kansai-u.ac.jp/hakuen_bunko/002473933#?page=12024年1月20日閲覧 
  2. ^ a b c 独立行政法人国立公文書館海国図志』 1、国立公文書館〈内閣文庫 > 漢書 > 史の部〉https://www.digital.archives.go.jp/item/4168882.html2024年1月20日閲覧  NATIONAL ARCHIVES OF JAPAN
  3. ^ 塩谷 1870, p. 42 コマ右

注釈

  1. ^ 阿部正弘が厚く信頼した筒井政憲、川路聖謨、岩瀬忠震、古賀増を外交担当の異国応接掛に任命[1]
  2. ^ 箕作、杉田に加わった川本について菅原[7]、高橋[8]、塚原[9]、道家[10]、八耳[11]、吉田[12]らの研究がある。
  3. ^ 1857年2月12日(安政4年1月)の開講当初は、入学を許可されたのは幕臣の子弟に限定された。陪臣の入学は1858年7月3日(安政5年5月23日)に初めて許すが、一定の学力制限を設けた。これらの制限は文久2年6月7日に撤廃。
  4. ^ 箕作阮甫の訳した書書にWay, R. Q. 著『地球説略』(老皂舘、1861年[19])、杉田玄端、坪井信良と子安峻と取り組んだ『疫毒預防説』[20]
  5. ^ 箕作阮甫と川本幸民は洋学者として直参に抜擢された最初とされることがある。
  6. ^ 箕作麟祥は若くして父を亡くし、蘭学を祖父の阮甫から学んだ。父の省吾は祖父阮甫の門人で女婿、地理学者。1845年(弘化2年)に地理書『坤輿図識』を編訳、プリンセン著『世界地理書』など数種類の蘭書を収録。続編『坤輿図識補』を執筆[29]
  7. ^ 当初、英単語集はオランダ語から重訳された[30]
  8. ^ 川本幸民は現在の「科学」という学問分野を命名した。
  9. ^ 文久3年に雇われた辻新次の話では、イオンの溶液に青酸カリや食塩を投じて、青、赤、白などの色を出した。
  10. ^ 精煉方に入った宇都宮三郎[33][34](のち開成所化学[35]に転身)によると、元素の種類や各元素の原子量などを初めて知った日本人は、蕃書調所の科学者達であり、これを黙して外に語らなかったという。
  11. ^ アメリカ大統領の「プレゼント」[36]として扱われ、受領した時には返礼の品がペリーたちにも送られた。東京都江戸東京博物館には1854年に描かれた模型のスケッチ「ペリー舶載汽車模型之図」が保管されている[37]
  12. ^ 1849年嘉永2年)にオランダから江戸幕府に献上された設備。印刷博物館による展覧会(2006年10月14日-2007年1月10日)の図録にスタンホープ手引印刷機の紹介がある[39]ISBN 9784805112205
  13. ^ 江戸の本草学者と親交があった植木屋の柏木吉三郎は学究肌で、幕末から明治期に活躍し著作や、画稿、写本を残した。尾張藩医の伊藤圭介に見出されて幕府薬園や蕃書調所に勤めた柏木は、造園の実務ばかりか伝統的に本草を学ぶ家の出身で、父と兄との共著に『草木名鑑』がある[40]
  14. ^ 表はオンライン版「『海国図志』『瀛環志略』等の伝来」に依拠する。〈開国期における西洋知識の移入シリーズ〉より「知識を世界に求めて―明治維新前後の翻訳事情―[29]」コーナー。
  15. ^ 海国図志のうちアメリカ部分の翻訳。魏 源; 林 則徐 (嘉永7年). 美理哥國總記和解. 正木 篤. NCID BA49131211 出版地不明、正木仙八「序」。和装, 2, 21, [1]丁, 23cm。マイクロフィルムリール1巻 : ネガ、35mm、国際日本文化研究センター
  16. ^ 徐繼畬が編集した『瀛寰志略』(1849年=道光29年)は、19世紀半ばの西側諸国の情勢を記した書物で全10巻、約14万5千語、図版42点で構成される。ヨーロッパの地図を転写し、清と朝鮮と日本の地理地図を添えた。
  17. ^ 原文表記はWay, Richard Quarterman。その他別称あり(Ki, Ritetsu。Wei, Li-che。Wei, R. Q.。Wē, Richādo Kwōtāman)。褘 理哲(キ・リテツ、イ・リテツ)。
  18. ^ 扉に「痘瘡病及行預防牛痘種法以点化是病之略観」「日本長崎排刷一千八百五十八年」の和文と、欧文「door Thm. J.L.C. Pompe van meerdervoort, Officier van Gesondheid bij de koninglijke Nederlandsche Zeemagt」が記された(Thm.・ヨハネス・L・C・ポンペ・ファン・メールデルフォールト、オランダ海軍衛生士官)。
  19. ^ オランダ領東インドのバタビヤ(現・ジャカルタ)で発行された総督府政庁機関新聞『Javasche courant』が原典。1861年の北アメリカなど欧米のニュースを洋書調所が抄訳した。
  20. ^ 『万国公法』の原書。
  21. ^ 岩瀬忠震が地理の漢籍を翻刻した『地理全志』1858年(安政5年)があり、原典は宣教師ミュアヘッドの漢訳版(1853年-1854年)[29]

出典

  1. ^ a b c 沼田 1969, pp. 1-10(コマ番号4-8)
  2. ^ 東京大学史料編纂所 編纂1986a, p. 48, 「安政六年己未 キリスト紀元千八百五十九年 二八 10月28日 将軍申渡書 小普請組支配竹本図書頭正雅へ 外国奉行任命の件」。東京大学史料編纂所 編纂 1986b, pp. 183, 195, 「安政六年己未 キリスト紀元千八百五十九年 八四 12月17日 横浜運上所対話書 神奈川奉行堀織部正利熙同竹本図書頭正雅と瑞西(スイス)使節リンダウと 条約取結断りならびに出府切手の件」、「八八 12月18日 横浜表対話書 神奈川奉行堀織部正利熙同竹本図書頭正雅目付神保伯耆守長興と英国総領事オールコックと 石炭飲水渡方蒸汽船取扱方蒸汽船乗組員洋銀引替ならびに類焼の外国人家屋賃借等の件」。東京大学史料編纂所 編纂 1986c, pp. 78, 195, 「万延元年庚申 耶蘇紀元千八百六十年」。東京大学史料編纂所 編纂 1986d, p. 1, 「万延元年庚申 キリスト紀元千八百六十年 一 三月朔日 横浜運上所対話書 神奈川奉行堀織部正利熙同竹本図書頭正雅ならびに神奈川在勤目付神保伯耆守長興と各国領事と 横浜居留地の件」。
  3. ^ 精選版「日本国語大辞典」『洋学所』‐ コトバンク
  4. ^ 科研費研究、八百「19世紀江戸幕府におけるオランダ語百科事典の翻訳」2006年 - 2008年。
  5. ^ 上野 2013, 「科研費研究」2013年度 - 2019年度
  6. ^ 古賀謹一郎[4][5]
  7. ^ 菅原 2003, 「科研費研究」2003年 - 2004年
  8. ^ 高橋 2006, 「科研費研究」2006年 - 2007年
  9. ^ 塚原 1995, 「科研費研究」1995年 - 1995年
  10. ^ 道家 1990, 「科研費研究」1990年 - 1992年
  11. ^ 八耳 2002, 「科研費研究」2002年 - 2005年
  12. ^ 吉田 1988, 「科研費研究」1988年 - 1990年
  13. ^ 一坂 1999, pp. 60–65
  14. ^ 大島 1993, pp. 21–22
  15. ^ 落合 2004, pp. 13–25
  16. ^ 芝 2000, pp. 54–63
  17. ^ 村田 2009, pp. 104–107
  18. ^ 村田に関する研究は一坂[13]、大島[14]、落合[15]、芝[16]、村田[17]らが手がけた。
  19. ^ NCID BC06216088、全3巻中現存するのは2巻
  20. ^ 『疫毒預防説』杉田玄端、箕作阮甫、坪井信良、子安峻 共訳『疫毒預防説』萬屋兵四郎出版代表、1862年、NCID BB18719522
  21. ^ 櫻井 豪人「第1節 蕃書調所・洋書調所・開成所の単語集俯瞰」『維新前後西洋語対訳単語集の基礎的研究』名古屋大学、2000年、106-(59コマ目)頁。doi:10.11501/3165231 博士(文学、甲第4490号)
  22. ^ 東京大学史料編纂所 編纂 1986c, pp. 78, 195, 「27 5月2日 横浜表対話書 神奈川奉行竹本図書頭正雅ならびに同松平石見守康直と江戸在勤英国副領事代理ユースデンと 蘭人殺害につき取計方の件」「39 2月6日 対話書 神奈川奉行酒井隠岐守忠行、同竹本図書頭正雅ならびに同松平石見守康直と神奈川在勤和蘭副領事ファン・ポルスブルックと蘭人殺害者探索方ならびに蘭人葬送の件」
  23. ^ 日本教育史資料7 蕃書調所起源考略 文部省編
  24. ^ Perry, 鈴木 & 明治45年, pp. 181–186, 七、林大学頭
  25. ^ 金子金子 2004, pp. 236–239, 『歴史読本』第49巻第8号
  26. ^ 日本歴史地理学会 1911, p. 108, 『歴史地理』
  27. ^ [25]、日本歴史地理学会[26]
  28. ^ a b c Overstraten, J. P. C. van、杉田 成卿、木村 軍太郎『砲術訓蒙』(天真樓蔵板、1858年)NCID BA43781600
  29. ^ a b c https://ndlsearch.ndl.go.jp/gallery/exhibit2022/211
  30. ^ Pijl, Rudolph van der (1822) (オランダ語). Gemeenzame leerwijs : voor degenen, die de Engelsche taal beginnen te leeren, het Engelsch naar den beroemden Walker en het Hollandsch naar de heeren Weiland en Siegenbeek (2e, veel verb. uitgave ed.). Blusse en Van Braam. NCID BC17110679 オランダ語版の参考書。仮題『一般的な教授法: 英語を学び始めた人向け、有名なウォーカーに英語とウェイランド氏とジーゲンベーク氏のオランダ語校訂 動詞編』第2巻。
  31. ^ 開成所 編『英吉利單語篇』開成所、1866年。 NCID BC06435718 
  32. ^ 『英吉利單語篇』開成所、1866年。 NCID BC06807528 
  33. ^ 道家 1991, p. 54-58
  34. ^ 天野 & 新井 2014, pp. 593–595
  35. ^ 藤田 2020, pp. 544–546
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  37. ^ 東京都江戸東京博物館 2019, 「125 ペリー舶載汽車模型之図」 1枚 紙本著色 1854年(嘉永7年3月)
  38. ^ 児玉 1965
  39. ^ 樺山紘一『印刷博物館とわたし』千倉書房、2020年。 NCID BC03404897 
  40. ^ 平野 2005
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  42. ^ 平野 2005
  43. ^ 原, 平三『市川兼恭』温知會、1941年https://ci.nii.ac.jp/ncid/BN06951441 
  44. ^ 東京大学、東京大学文書館デジタル・アーカイブ『(受)東京学士会院、学士会員市川兼恭博物場備雛形触手観覧ノ件』特定歴史公文書等原本資料所蔵者 : 東京大学文書館、1881年9月12日https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000102-I000025322。"【参照コード】S0001/Mo040/0203【年代域】明治14年9月12日【利用条件】公開【収蔵情報】本郷"。 
  45. ^ 金子 一『近代日本美術教育の研究:明治時代』東京芸術大学、1993年。doi:10.11501/31035622 博士(美術、乙第3号)
  46. ^ 国立国会図書館, 2018 & 「95. 蕃書調所職員明細帳」, pp. 107-
  47. ^ 国立国会図書館、企画展示「知識を世界に求めて―明治維新前後の翻訳事情―」を開催中”. カレントアウェアネス・ポータル. 国立国会図書館 (2022年11月17日). 2024年1月20日閲覧。
  48. ^ 広瀬 竹庵『續亞米利加總記』須原屋源助、1854(江戸時代)。 NCID BB11716559 
  49. ^ 徐繼畬が編集した『瀛寰志略』(1849年=道光29年)は、19世紀半ばの西側諸国の情勢を記した書物で全10巻、約14万5千語、図版42点で構成される。ヨーロッパの地図を転写し、清と朝鮮と日本の地理地図を添えた。
  50. ^ Overstraten, J. P. C. van (1850) (オランダ語). Handleiding tot de kennis der artillerie, voor de kadetten van alle wapenen. Ter boekdrukkerij van de Gebroeders NYS, voor rekening van de Koninklijke Militaire Akademie [王立陸軍士官学校を代表してNYSブラザーズ書籍印刷所に依頼]. NCID BD03229615. "Mulken, van J.J. Krijgskundige leercursus ten gebruike der Koninklijke Militaire Akademie. [J・J・ファン・マルケン著『王立陸軍士官学校用の軍事訓練コース』]。" 
  51. ^ 大鳥 圭介『砲科新論』全12巻(存5巻、繩武館、1861年)NCID BB19551055
  52. ^ Pel, C. M. H (1852). Handleiding tot de kennis der versterkings-kunst, ten dienste van onder-officieren, die zich tot het examen voor officier der infanterie willen voorbereiden. 2. druk,. Gebr. Muller. NDLJP:R100000002-I000006419539 
  53. ^ 国立国会図書館、NDLJP:R100000002-I000003284687
  54. ^ Beschrijving hoedanig de Koninklijke Nederlandsche troepen en alle in militaire betrekkung staande personen gekleed, geëquipeerd en gewapend zijn ... [仮題:オランダ王国の軍隊と軍の陣地にあるすべての人々がどのように服を着、装備し、武装しているかの説明...]. Gebr. van Cleef. (1823). NDLJP:R100000002-I000007946405. "Gevolgd van 51 platen met eene titel-plaat, voorstellende officieren en manschappen van alle wapenen, in hunne volle kleeding en wapenrusting. [続いて、正装と鎧を着たあらゆる軍の将校と男性を描いた図版 51点、題名プレート付き。]" 
  55. ^ Teupken, Jan Frederik、村上文成 画 著、山脇正民 訳『和蘭官軍之服色及軍装略図』講武塾蔵版、安政5(1858)年。doi:10.11501/3508069NDLJP:R100000002-I000003280234。"電子展示会「江戸時代の日蘭交流」より。セウプケン著述の原著を模写した木版彩色刷。原題『Kleeding en wapenrusting van koninglyke noderlandsche troepen』"。 
  56. ^ Way, R. Q.『地球説略』3巻、箕作 阮甫 訳(老皂館 [萬屋兵四郎]、萬延元年)(1860年)NCID BA81540493






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