火曜サスペンス劇場 概要

火曜サスペンス劇場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/02 00:25 UTC 版)

概要

原則として21:00 - 22:54[注 2]JST)に毎週1話完結(極稀に前後編形式の作品もある)のサスペンスドラマを放送していた番組タイトルの通り、サスペンスドラマ専門の放送枠である。一部の放送回ではホラーや時代劇特撮ドラマも放送した。

本番組初期のプロデューサーだった小坂敬は「哀しくなければサスペンスじゃない」が最初のコンセプトであるとして、「単なる謎解きに終始せず、きっちりとした人間ドラマを作ろう」ということで、登場人物はみんな何か重いものを背負っていることをじっくり描くことが最大のテーマだったと話している[1]

第1回放送は、島田陽子主演の「球形の荒野」(松本清張原作)。1980年代は、松本清張作品などの日本の推理作家や海外ミステリーなどを原作として、ベテランのスタッフが映像化する重厚な作品が多く、全盛期には視聴率もしばしば25%を超える人気を誇った。日本テレビにとっては、1980年に放映の始まったよみうりテレビ制作の『木曜ゴールデンドラマ』に次ぐ2時間ドラマ枠であり、1988年からはさらに『水曜グランドロマン』を設けるなど、日本テレビ系列では2時間ドラマ枠が多くなったが、『火曜サスペンス劇場』はその中核であり、最も息の長い枠となった。1990年代以降は、主に50歳代から60歳代の女性を視聴者に絞り定番シリーズを放送する安定路線が敷かれた[要出典]。特に1990年代は、日本テレビの視聴率が全国的に好調になっていた年代でもあり、日本テレビのドラマ枠としては、最も高い視聴率を殆どの回で記録しており、ドラマ視聴率ランキングの上位にもしばしば食い込んでいた。

この番組の開始によって、『木曜ゴールデンドラマ』が、読売テレビ一社の制作に変更された(それまでは、日本テレビと読売テレビが交互に制作していた)。また、札幌テレビ放送テレビ岩手福岡放送といった系列局が制作することがあったり、系列局の地元の“お国自慢”などに絡んだ作品が制作されたこともある。

また、大林宣彦神代辰巳鈴木清順実相寺昭雄ら劇場映画で名声を博している旬の監督たちを起用して演出家主導の意欲作を撮らせる試みもしばしば行われた。その結果、難解なストーリーや前衛的演出も辞さず、2時間ドラマのみならずテレビドラマの枠をも破るような作品群が少数ながら生まれている。

番組のスタッフロールは、当初は「最後に『制作(製作):日本テレビ、(担当の制作プロダクション)』」とクレジット表記されており、1985年4月以降は、「最初に『制作:日本テレビ』、最後に『製作・著作:(担当の制作プロダクション)』」当とクレジット表記されていた(同時に日本テレビ製作番組が製作から製作著作に表記が代わった)。当枠終了後、日本テレビは製作プロダクションとの制作を打ち切り関係も絶縁し、視聴者層を若年層に絞った路線に変更した。

一時期は視聴率が20%を超えることもあったが、2000年代に入ってからは視聴率低下に歯止めがかからず、2005年9月27日の放送をもってを24年間の歴史に幕を閉じた。最終回の放送内容は火サス最多出演俳優の水谷豊主演の「事件記者・三上雄太III 逃走援助」で、放送時刻は19時からの3時間特番により通常より1時間遅い22時 - 23時54分であった。

後継番組は「DRAMA COMPLEX(ドラマコンプレックス)」(2005年11月1日 - 2006年10月17日)のちに「火曜ドラマゴールド」(2006年10月31日 - 2007年3月27日)。これらの番組枠を含め「火曜サスペンス劇場」より継続して副音声による解説放送(作品によりステレオ放送の場合もある)と字幕放送も行われた。

放送終了から5年を迎える2010年9月27日、平日昼の情報番組DON!』の「きょうは何の日」のコーナーで、「『火曜サスペンス劇場』が終了した日」として、本放送枠が取り上げられ、船越英一郎のインタビューや、最多出演俳優(1位は水谷豊)・女優(1位は浜木綿子)、犯人役として出演した最多俳優(女優)(藤真利子)などを放送した。

1983年3月1日から終了までは石丸博也のナレーションにより、副音声による解説放送「アイ・パートナー」を実施(札幌テレビの札幌以外の放送局と常時ステレオ放送だったCS★日テレを除く。音声多重放送が開始時点で未整備・免許がなかった局も後年整備されるまで未実施)。終了後も他のドラマ枠や『金曜ロードSHOW!』などの番組にて続いている。

放送時間の変遷

放送期間 放送時間(JST
1981年9月 - 1986年3月 火曜21:02 - 22:54(112分)
1986年4月 - 1988年3月 火曜21:02 - 22:51(109分)
1988年4月 - 1989年3月 火曜21:02 - 22:52(110分)
1989年4月 - 1993年9月 火曜21:03 - 22:52(109分)
1993年10月 - 1994年3月 火曜21:03 - 22:54(111分)
1994年4月 - 1994年9月 火曜21:03 - 22:55(112分)
1994年10月 - 2005年3月 火曜21:03 - 22:54(111分)
2005年4月 - 2005年9月 火曜21:00 - 22:54(114分)

注釈

  1. ^ 日本テレビ系列の置局がある地域であっても、同系列外局で日本テレビでの放映権が切れた作品を遅れネットもしくは再放送していることもある。
  2. ^ 最終回時点における通常編成時のもの。番組開始当初は21:02 - 22:54だったが、2005年4月に21:00からの本放送枠関連ミニ番組枠の終了時刻繰り下げ・後の廃枠による開始時刻の変更。また、1986年4月以降の後続のスポーツニュース(1994年4月以降は『NNNきょうの出来事』)の開始時刻の変動による終了時刻の変更がそれぞれ幾度となく行われた。また、1989年9月26日放送分など時間を拡大する日もあった。
  3. ^ 木森逝去後に製作されたため編曲を近藤浩章が担当
  4. ^ 当時のオープニングでは、この曲の一部をアレンジしたメロディーのみのバージョンが使われていた。
  5. ^ 「浅見光彦ミステリー」はバップからビデオ・DVD化されているが、版権の問題から全作品のエンディングが杉山清貴の「風のLONELY WAY」に変更されており、尺が合わない作品がある
  6. ^ 主人公の服装(特に白いエナメル靴)が原作とあまりに懸け離れている事に原作者から抗議を受けたという話があるが、白いエナメル靴事件は、足音の効果音によって誤解を招いただけで、実際には白いスニーカーを履いていたというのが真相。また、それがシリーズ終了の原因になったとは説明されておらず、むしろ、映画でシリーズ化する計画があったため打ち切ることになったと説明している(DVD-BOXⅠのサービストラックに収録)。また、DVD化にあたって原作者自身が、水谷豊は作者の持つ浅見光彦のイメージとは違っていたとハッキリコメントしているが、このミスマッチが成功の要因だろうとも述べている。しかし、水谷豊が演じるということを喜んだとも述べている(DVD-BOXⅡのサービストラックに収録)
  7. ^ 主役の勝野を始め、身辺警護班のメンバーはエンドロールでは役名が「身辺警護班 班長」「身辺警護官」などと肩書きで表記されていた。ただし、解説放送では「もちづきしろう、勝野洋」など、名前で紹介されている。
  8. ^ 1984年から1986年及び1991年は放映されていない。
  9. ^ 青森放送ではクロスネット局であった1991年9月までは、当該時間帯で「テレビ朝日日曜20時の刑事ドラマ枠」と「テレビ朝日土曜20時の時代劇枠」を放送していた関係で、土曜日の12:02 - 13:51に「土曜サスペンス劇場」として放送されていた(注:青森放送では番組開始から1年間は、火曜21:00と土曜13:00から1時間の前編・後編の分割放送(タイトルは前者が「火サス」(1982年9月28日まで)、後者が「土サス」(1982年10月2日まで))で、1982年10月9日土曜日から2時間放送に統合後、日本テレビ系列のフルネット局となった1991年10月より同時ネットに移行された。)。副音声の解説放送は1990年10月開始で、東北地方の当番組ネット局では1番副音声の解説放送の開始が出遅れた。なお、「土サス」枠は、ABA開局後に「サスペンス傑作劇場」(「火サス」の再放送)と変えてしばらく継続した。
  10. ^ 山形放送では1985年10月から1993年3月までのクロスネット局時代に土曜日の12:00 - 13:55に「土曜サスペンス劇場」として放送されていた(注:山形放送はゴールデンタイムにテレビ朝日の番組を同時、もしくは遅れネットしていることから事実上同時ネット不可能であったことによるもので、遅れネットだった)。その後、日本テレビ系列フルネット局となった1993年4月より同時ネットに移行された。当初は木・金曜日の深夜帯に当初編成されており、「木曜サスペンス劇場」「金曜サスペンス劇場」というタイトルで、共に『NNNきょうの出来事』の後で放送されていた。)。
  11. ^ 初回放送となる1981年9月29日は、21時から「鬼平犯科帳」の同時ネット、22時から「生きる」を時差ネットしていたため、9月29日の23:20 - 翌1:15に放送。NNNフルネットに移行した10月6日放送分からは同時ネットで放送された。
  12. ^ a b 石川県においては、テレビ金沢の開局前(1990年3月)まで「MROサタデー劇場」として北陸放送で土曜13:00から放送されていたが、後に12時からの放送に変更となった。なお、土曜日に当時はデーゲームだった、日本シリーズ中継で放送できない場合は『MRO劇場』というタイトルで、16:00から放送した。その後「MROサタデー劇場」自体は遅れネット元を本枠から『土曜ワイド劇場』枠(テレビ朝日朝日放送〈現在:朝日放送テレビ〉週替わり制作・テレビ朝日系列)に変更の上継続し、北陸朝日放送開局直前(1991年9月)まで放送継続した。
  13. ^ 山口放送ではクロスネット局であった1993年9月までは、当該枠でテレビ朝日系列の遅れネット番組(1993年9月の時点では「さんまのナンでもダービー」と「テレビ朝日水曜9時枠刑事ドラマ」)を放送していた関係で、土曜日の13:00 - 15:00に「土曜サスペンス劇場」に改題、独自の静止画OPとアイキャッチにて放送された(注:番組開始当初の半年間は、火曜21:00から1時間の前・後編の分割放送(タイトルもそのまま火曜サスペンス劇場)だったが、1982年4月から上記の時間帯に移動した)。日本テレビ系列フルネット局となった1993年10月より、同時ネットに移行された。なお、フルネット化後も土曜日に「土曜サスペンス劇場」の名で再放送枠を設置していたが「サタデーギュッたいむ」へと改題されて終了した。
  14. ^ 南海放送では放送時間こそキー局と同一であったが、1992年9月22日放送分までは約半数の提供スポンサーを地元企業に差し替え、オープニング/クロージングタイトルと提供クレジット・CMを自局送出としていた。そのためもあり、音声多重放送開始当初の1990年7月24日から1992年9月22日までの期間は、オープニング部分のみ副音声解説がなかった。
  15. ^ a b 長崎国際テレビの開局前(1990年9月)まではテレビ長崎が日本テレビ系列とフジテレビ系列のクロスネット局であったため、1990年9月まで火サスの本放送時間帯はフジテレビの番組(「なるほど!ザ・ワールド」など)を同時ネットしていたことから、番組開始当時(1981年9月)は火曜22:00(タイトルはそのまま火曜サスペンス劇場)から1時間遅れで前編を、日曜15:00(日曜サスペンス劇場に改題)から5日遅れで後編を、それぞれ1時間ずつ分割して放送していた。その後、1983年4月頃に土曜13:00(この時点でタイトルを土曜サスペンス劇場に改題)に枠移動となり、2時間フルバージョンの放送になった。そして1980年代半ば頃には1時間繰り上がって土曜正午からの放送となり、1991年3月まで続けた。なお、特別編成などで土曜日に放送できない場合は「サスペンス劇場」というタイトルで他の曜日に放送した。
  16. ^ a b 熊本県では、熊本放送にてくまもと県民テレビの開局前(1982年3月)まで単に「サスペンス劇場」のタイトルで放送していた。
  17. ^ a b 鹿児島県では鹿児島テレビにて鹿児島読売テレビの開局前(1994年3月)までクロスネット局のため、開始当初の火曜はフジテレビの番組が優先された(なるほど!ザ・ワールドの放送開始による)ため、1時間遅れの22時スタートで、1時間枠による前編・後編の分割放送を行っていた。鹿児島放送開局直後、日曜へ移動し、「日曜サスペンス劇場」(1982年10月3日 - 1985年3月31日放送・21:00 - 22:54)として、日曜洋画劇場の終了枠に番組が移動、ここまでは、提供スポンサーもそのままネットされた(スポンサーのCMも日本テレビと同じものが流れていた)。その後、1985年4月から1990年3月までの5年間は放送休止。1990年4月6日から金曜深夜に移動の上、放送を再開。「金曜サスペンス劇場」というタイトルにて1992年3月27日まで放送。
  18. ^ a b 1992年4月3日 - 1992年9月25日は、TBS系列の南日本放送(日本テレビのネット局外の放送)へ番組が移動し、金曜0:54 - 2:48(木曜深夜)に「木曜サスペンス劇場」の名称にて放送、さらに1992年10月3日 - 1994年3月26日は、土曜0:54 - 2:48(金曜深夜)に移動し「MBCサスペンス劇場」の名称にて放送された(KTSの日本テレビ系深夜番組放送枠撤廃に伴う措置)。
  19. ^ テレビ大分ではタイトルを「土曜サスペンス劇場」に差し替えて放送していた。テレビ大分は火曜サスペンス劇場終了をもって日本テレビの2時間ドラマ枠のネットを打ち切ったため、「DRAMA COMPLEX(ドラマコンプレックス)」と「火曜ドラマゴールド」を放送しなかった。
  20. ^ a b 宮崎県では宮崎放送にて一時期のみ異なる放送日時とタイトルで放送していた。のちにテレビ宮崎に移動。
  21. ^ テレビ宮崎では土曜深夜に「UMKサスペンス劇場」というタイトルで放送されていた。また、テレビ大分同様、火曜サスペンス劇場終了をもって日本テレビの2時間ドラマ枠のネットを打ち切ったため「DRAMA COMPLEX(ドラマコンプレックス)」と「火曜ドラマゴールド」を放送しなかった。
  22. ^ 沖縄テレビ放送ではタイトルを「土曜サスペンス劇場」に差し替えて放送していた。番組開始から1年半の間は火曜22:00から1時間の前・後編の分割放送(タイトルもそのまま火曜サスペンス劇場)だったが、1983年4月から上記の時間帯に移動した。なお、特別編成などで土曜日に放送できない場合は「サスペンス劇場」というタイトルで他の曜日(主に日曜午後)に放送した。
  23. ^ 現在はフジテレビ系列に統一。
  24. ^ 現在はフジテレビ系列に統一。1982年9月まではテレビ朝日系列にも加盟。

出典

  1. ^ 『テレビ夢50年 番組編4 1981〜1988』日本テレビ50年史編集室、2004年、69頁。 
  2. ^ 読売新聞社文化部『この歌この歌手―運命のドラマ120』 下〈現代教養文庫〉、1997年、177頁。ISBN 4390116029 
  3. ^ 長田暁二『歌謡曲おもしろこぼれ話』社会思想社、2002年、284頁。ISBN 4390116495 
  4. ^ 『スポーツニッポン』1998年11月17日付22面。
  5. ^ (オムニバス) | 火曜サスペンス劇場 -主題歌集DX-(ALBUM)| ビクターオンラインストア
  6. ^ 火曜サスペンス劇場-主題歌集DX-”. ORICON STYLE. 2016年1月12日閲覧。
  7. ^ 出逢い”. ORICON STYLE. 2016年1月12日閲覧。
  8. ^ ハナミズキ”. ORICON STYLE. 2016年1月12日閲覧。
  9. ^ 空蝉”. ORICON STYLE. 2016年1月12日閲覧。
  10. ^ 小さな恋の夕間暮れ”. レコチョク. 2016年1月12日閲覧。
  11. ^ 「DVD-BOX I」のサービストラックより。
  12. ^ 脚本「結婚」詳細情報”. 脚本データベース. 2022年6月23日閲覧。
  13. ^ 出典:1981年11月付け『東奥日報』及び1982年9月21日から10月10日までの『陸奥新報』のそれぞれ青森放送テレビ欄
  14. ^ 福島民報」1981年9月29日、10月6日付朝刊テレビ欄。
  15. ^ 『北國新聞』1982年4月10日付朝刊、テレビ欄。
  16. ^ タイムテーブル 2023年5月号”. 千葉テレビ放送 (2023年4月20日). 2024年1月9日閲覧。
  17. ^ タイムテーブル 2024年1月号”. 千葉テレビ放送 (2023年12月20日). 2024年1月9日閲覧。
  18. ^ 日テレアナ・ザ・ワールド!✨@ntvanotherworldのポスト”. X(旧・Twitter) (2024年2月3日). 2024年2月5日閲覧。
  19. ^ デジハネPA火曜サスペンス劇場 最後の推理機種情報”. 777パチガブ (2022年6月6日). 2023年1月27日閲覧。






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