平等院
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/23 18:34 UTC 版)
境内
- 鳳凰堂(国宝) - 当院の現在の本堂。天喜元年(1053年)建立。解説は既述。
- 庭園(国の史跡・名勝) - 鳳凰堂が建っている中島とそれを取り囲んでいる阿字池を中心とした浄土式庭園。1990年(平成2年)からの発掘調査により平安時代築造の州浜が検出され、現在は創建当初の姿に復元整備されている。鳳凰堂への入堂も池の北岸から2つの小橋を渡る当初の形式に復されている。阿字池は極楽の宝池を模し、宇治川や対岸の山々を借景として取り込んでいる。
- 鐘楼
- 南門
- 平等院ミュージアム「鳳翔館」 - 境内南側にある博物館で、2001年(平成13年)に開館した。詳しくは別項「平等院鳳翔館」を参照。
- 浄土院 - 塔頭。浄土宗の寺院である。浄土宗の栄久上人が平等院の修復のために明応年間(1492年 - 1501年)に創建した。
- 最勝院 - 塔頭。天台宗系の本山修験宗聖護院の末寺でもある。承応3年(1654年)に京都東洞院六角勝仙院(住心院)の天台宗の僧が開創した。
- 不動堂
- 地蔵堂
- 源頼政の墓
- 庫裏
- 書院
- 庭園
- 観音堂(重要文化財) - 鎌倉時代初期の建築で本堂跡に建てられた。境内北側、表門を入って左側に建つ。十一面観音立像(平安時代後期)を安置していたが、現在は鳳翔館に移されている。
- 扇の芝 - 治承4年(1180年)に源頼政は「橋合戦」で敗れると平等院に退却し、この「扇の芝」の上で軍扇を広げて辞世の句「埋木の 花咲く事も なかりしに 身のなる果は あはれなりける」を詠むと、自害して果てた。
- 表門(北門)
- 多宝塔跡 - 鳳凰堂の南東、現在は境内の外の公園になっている場所から塔の遺構が検出され、基壇が復元されている。康平4年(1061年)、藤原頼通の娘である四条宮寛子(後冷泉天皇皇后)によって建立された多宝塔。多宝塔とはいいながら実際は巨大な宝塔となっている。
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庭園
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観音堂(重要文化財)
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表門
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鳳翔館
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浄土院
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養林庵書院(重要文化財、奥の檜皮葺の建物)
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最勝院不動堂
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最勝院庫裏
往時の堂塔
かつての平等院には数多くの堂塔が建ち並んでいた[42][23][43]。以下の建物はすべて失われた。
- 本堂(金堂) - 宇治川の近く、現在の観音堂がある場所にあった。
- 講堂
- 釣殿(つりどの) - 宇治川に突出した形で設けられていて、川から直接舟をつけることができた。釣殿と本堂は廊で結ばれていた。
- 懺法堂(せんぼうどう) - 本堂の南にあった。懺法とは、経を誦して罪過を懺悔する儀式作法をいう。
- 小御所(こごしょ) - 東を向いている鳳凰堂のさらに東、池を挟んだ対岸にあった。小御所は天皇や上皇のための殿舎。
- 法華堂 - 天喜4年(1056年)、藤原頼通によって建立された法華堂。正確な位置は未詳。
- 多宝塔 - 解説は既述。
- 五大堂 - 治暦2年(1066年)、右大臣藤原師実(頼通三男)によって建立された五大堂。正確な位置は未詳。
- 不動堂 - 延久5年(1073年)、右大臣源師房(頼通養子)によって建立された不動堂。記録によれば境内の西南隅にあった。
- 経蔵 - 宝蔵ともいう。初出(※最初の記録)は康平6年(1063年)に認められる。一切経のみならず、藤原氏代々の重宝が納められ、「宇治の経蔵」として摂家の権威の象徴とされていた。正確な位置は未詳[44][45]。
注釈
- ^ a b 平等院の山号「朝日山」の読みを明示した公式あるいは研究者による資料は確認できていない。信仰対象の山の名は「朝日山(あさひやま)」であるが、山号になると「○○サン」「○○ザン」と読み換えることが多く(※本件の場合は湯桶読み)、場合によっては全て音読みに変わる(※本件で想定すれば『チョウジツサン』など)。平等院の山号は「あさひさん」と読むのではないかという常識的推定はできるが、確証は無い。
- ^ a b 木瓦葺(こがわらぶき、きがわらぶき)とは、 平瓦と丸瓦とを交互に組み合わせて並べる瓦葺(かわらぶき)の手法。また、それで造った屋根。
- ^ 残っている1560枚のうち向山瓦窯製は1273枚で、後は奈良で製造された瓦とされている。
- ^ 菩薩像は本尊の左右(南北)の壁に各26対ずつ懸けられており、北1号 - 北26号、南1号 - 南26号の整理番号が付けられている。南26号像は長らく「番外」とされ、国宝指定外であったが、2008年(平成20年)に国宝に追加指定された。
- ^ 北23号と南6号像は作風から鎌倉時代の補作とされている。出典は、特別展図録『国宝平等院展』、東京国立博物館ほか、2000年(平成12年)。
- ^ 鳳凰堂内にはレプリカ像も含め30数体が残っている。
出典
- ^ 小埜雅章「仏とともに観想する景色 平等院阿弥陀堂池庭」『別冊太陽 平等院 王朝の美 国宝鳳凰堂の仏後壁』、p.90
- ^ a b c 杉本 (2000) p.198
- ^ 冨島 (2010) pp.178-179
- ^ “冨島 義幸”. 京都大学 教育研究活動データベース(公式ウェブサイト). 京都大学 (2019年6月17日更新). 2019年6月19日閲覧。
- ^ 冨島 (2010) pp.123-130, 179
- ^ 上島享「中世庄園制の形成過程-〈立庄〉再考」『日本中世社会の形成と王権』名古屋大学出版会、2010年(平成22年) ISBN 978-4-8158-0635-4 所収
- ^ 藤本孝一「平等院領」『平安時代史事典』角川書店、1994年(平成6年) ISBN 978-4-04-031700-7)
- ^ 尻池由佳「儀式構成と準備運営からみた〈宇治入り〉」初出:『古代文化』63-3、2011年/所収:倉本一宏 編『王朝時代の実像1 王朝再読』臨川書店
- ^ 『別冊太陽 平等院 王朝の美 国宝鳳凰堂の仏後壁』、127頁の年表
- ^ 宇治市平成10年12月定例会-12月15-05号-P.245「市長(久保田勇君)」(日本語)
- ^ “平等院鳳凰堂、本尊の魂移す 大規模修理に備え 京都”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2012年9月3日). オリジナルの2012年9月4日時点におけるアーカイブ。 2021年8月24日閲覧。
- ^ “平等院鳳凰堂:平安の色 平成の大修理終了後のCG画像公開”. 毎日jp (毎日新聞社). (2013年7月10日). オリジナルの2013年11月1日時点におけるアーカイブ。 2021年8月24日閲覧。
- ^ “2年の修理終え落成式 京都・宇治の平等院鳳凰堂”. 産経フォト (産経新聞社). (2014年10月1日). オリジナルの2014年10月17日時点におけるアーカイブ。 2021年8月24日閲覧。
- ^ a b “『2019年環境報告書』”. スタンレー電気. 2020年12月20日閲覧。
- ^ 伊藤 (1992) pp.89-90, 128-130
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- ^ a b 伊藤 (1992) p.130
- ^ 冨島 (2010) pp.24, 30
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- ^ 百橋明穂「鳳凰堂彩色復元」『国宝 平等院展』、pp.158-160
- ^ 伊藤 (1992) pp.108, 113-114
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- ^ 伊藤 (1992) pp.117-118
- ^ 吹田直子「平等院庭園発掘調査の記録」『国宝 平等院展』、pp.162-164
- ^ 小埜雅章「仏とともに観想する景色 平等院阿弥陀堂池庭」『別冊太陽 平等院 王朝の美 国宝鳳凰堂の仏後壁』、pp.90-95
- ^ 冨島 (2010) pp.28, 100
- ^ a b c 鳳凰堂、平安期の瓦1500枚 創建50年後 屋根ふく? 『京都新聞』 2月14日(木)22時49分配信
- ^ a b c d e 国宝・平等院鳳凰堂で大量の平安期の瓦 修理で確認 『産経新聞』 2月14日(木)23時40分配信
- ^ 伊藤 (1992) pp.90-91
- ^ 杉本宏「12世紀中頃の宇治と平等院の復元想像図」『国宝 平等院展』、pp.166-167
- ^ 杉本 (2000) p.200
- ^ 冨島 (2010) pp.18-19
- ^ 冨島 (2010) pp.95, 110
- ^ 『別冊太陽 平等院 王朝の美 国宝鳳凰堂の仏後壁』、p.64(執筆は有賀祥隆)
- ^ 渡邉 (2009) pp.40-41
- ^ 冨島 (2010) pp.70-73
- ^ “平等院鳳凰堂を無断撮影してジグソーパズルに 在庫廃棄などで平等院と玩具会社和解 京都地裁”. 京都新聞. 京都新聞社 (2020年10月12日). 2022年10月17日閲覧。
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