平等院
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文化財
国宝
- 平等院鳳凰堂 4棟
- 中堂 1棟
- 両翼廊 2棟
- 尾廊 1棟
- 木造阿弥陀如来坐像
- 仏師・定朝の確証ある唯一の遺作。寄木造漆箔、像高284cm。定朝は和様彫刻様式の大成者、また、寄木造技法の完成者として日本彫刻史上著名な仏師である。円満な面相、浅く流れる衣文などを特色とする定朝の優美で温和な作風は、「仏の本様」と称されて平安時代の貴族にもてはやされ、以後の仏像彫刻には「定朝様(じょうちょうよう)」が流行した。定朝が制作した法成寺(藤原道長が建立した寺)などの仏像はことごとく失われ、晩年の作品である平等院像は、彼の作風を具体的に知ることのできる唯一の遺品として、きわめて貴重なものである。像内納入品の木板梵字阿弥陀大小呪月輪(もくはんぼんじあみだだいしょうじゅがちりん)と木造蓮台は国宝の附(つけたり)指定となっている。
- 木造雲中供養菩薩像 52躯
- 鳳凰堂中堂の長押上の壁を飾る浮き彫りの菩薩像。極楽浄土において阿弥陀を讃嘆する菩薩像とする説もあるが、いずれの像も飛雲に乗ることから、阿弥陀如来と共に来迎する菩薩像を表したものとみられる[46]。52躯が現存し、すべて(2008年〈平成20年〉に追加指定された1躯を含む)国宝に指定されている[* 4]。各像のポーズは変化に富み、琴、琵琶、縦笛、横笛、笙、太鼓、鼓、鉦鼓などの楽器を奏する像が27体あり、他には合掌するもの、幡や蓮華などを持つもの、立って舞う姿のものなどがある。菩薩形の像が主だが、僧形の像も5体ある。本尊阿弥陀如来像と同様、天喜元年(1053年)の作とされるが、補修はかなり多く、頭部が明治時代の修理で補作されているもの、像全体が鎌倉時代の補作であるものが各数体ある[* 5]。現存52体であるが、当初全部で何体あったのかは定かでない。52体のうち半数の26体は鳳翔館に移されている[* 6]。
- 鳳凰堂中堂壁扉画(板絵著色) 14面 附:九品来迎図 扉画(上品上生)2面
- 九品来迎図 旧扉画8面(上品中生、上品下生、中品上生、下品上生)、壁画3面(中品中生、下品中生、中品下生、下品下生)
- 日想観図 扉画2面
- 本尊後壁画 1面
- 中堂の扉12面、壁4面は、国宝建造物の一部であると共に、そこに描かれた絵は絵画部門の国宝にも指定されている(扉12面のうち2面は附指定)。主な主題は『観無量寿経』に基づく九品来迎図である。壁扉画の構成は以下のようになっている。
- 正面中央扉(2面)上品上生図
- 正面北扉(2面)上品中生図
- 正面南扉(2面)上品下生図
- 北面扉(2面)中品上生図
- 北面壁(1面)中品中生図
- 南面扉(2面)下品上生図
- 南面壁(1面)下品中生図
- 仏後壁前面(1面)図様不明、諸説あり
- 仏後壁背面(1面)下品下生図・中品下生図
- 西面(背面)扉(2面)日想観図
- 以上のうち、北面壁、南面壁、仏後壁(前面、背面)は当初の土壁を板壁に変更したもので、壁画が描かれたのは鎌倉時代に下るとされていたが、仏後壁前面画については、調査の結果、藤原頼通 在世時(11世紀末)にさかのぼる作とみられている[47]。2004年(平成16年)に阿弥陀如来像を修理のため堂外に搬出した際に、阿弥陀像の背後にあって観察困難であった仏後壁前面画に対する科学的調査が実施された。仏後壁前面画の主題については、釈迦八相(阿闍世太子授記説話)説(渡邉里志)、阿弥陀因位譚説(源豊宗)、弥勒下生説(大原嘉豊)、九品往生のうちの中品下生図とする説(富島義幸)などがある[48][49]。
- 正面中央の2面の扉は、最も消耗が激しかったためか、江戸時代初期の寛文10年(1670年)の修理の際に取り替えた新しい扉になっており、国宝の14面には含まれない「附(つけたり)指定」となっている。その他の画面も剥落が激しく、画面には江戸時代末期の落書きも目立つが、平安時代後期から鎌倉時代にかけての貴重な絵画遺品である。なお、正面と南北側面のオリジナルの扉は取り外して宝物館に収められており、代わりに復元模写の扉がはめられている。
- 木造天蓋 1具
- 本尊・阿弥陀如来像の頭上に吊られた木造天蓋で、像とは別個に、彫刻部門の国宝に指定されている。折上小組格天井形の方蓋と、その内側に吊る円蓋からなり、透彫と螺鈿で装飾されている。
- 鳳凰(鳳凰堂中堂旧棟飾) 1対
- 阿弥陀堂中堂大棟の南北両端部に設置されていた金銅製の鳳凰像。北方像・南方像の一対で、北方像は総高235.0 cm、像高 98.8cm、総幅 34.5cm、南方像は総高 228.8cm、像高 95.0cm、総幅 44.5cm。
- 製作は阿弥陀堂の創建と同時期であると考えられているが、藤原資房日記『春記』の長久2年(1041年)条に拠れば同年2月23日と翌24日に仏師・定朝に対して龍頭の製作が命じられていることから、鳳凰像も定朝により原型が製作された可能性が考えられている。また、源師時日記『長秋記』の長承3年条(1134年付の文)の記述から製作は本体部分が鳥羽の鋳物師、翼や風切羽は鳥羽の鋳物師によって鋳造された可能性が考えられている。近世には本像にちなんで阿弥陀堂は「鳳凰堂」の通称で呼ばれるようになる。
- 頭部・胴部・翼・脚部の各部は別々に鋳造され、銅板製の風切羽と共に鋲で留められ組み立てられている。一部に鍍金が残されているが、現在は全体が銅錆で覆われている。円盤状の台座に立つ鳳凰像で、頭部には鶏冠・冠毛・肉垂が表現され、太い眉と鋭い嘴をもつ。首から胴体には魚鱗紋が表現され、頚部には宝珠の付いた首輪がはめられている。風切羽は多くが後補であるが、鋤彫により波並が表現されている。現在は屋根上に複製像を設置し、鳳凰像は鳳翔館に収蔵されている。
- 梵鐘
- 鳳凰堂と同じ11世紀頃の制作と推定される。全面に天人、獅子、唐草文様などの繊細な浮き彫りを施した、他に例を見ない鐘である。「音の三井寺」、「銘の神護寺」、「姿、形の平等院」と謳われ、神護寺、園城寺(三井寺)の鐘と共に、「天下の三名鐘」に数えられ、国宝に指定されている。現在鐘楼にある梵鐘は複製で、実物は鳳翔館に収蔵されている。この梵鐘は1980年(昭和55年)11月25日発行の60円普通切手のデザインにも採用されている。2006年(平成18年)時点でも利用可能であったが、販売は2002年(平成14年)に停止している。
重要文化財
- 観音堂
- 木造十一面観音立像
- 養林庵書院 - 塔頭浄土院所有。
国の史跡・名勝
京都府指定有形文化財
- 平等院修造勧進状 1巻 - 塔頭浄土院所有。
- 平等院旧起 1巻 - 塔頭浄土院所有。
京都府指定名勝
- 養林庵書院庭園 - 塔頭浄土院所有。
宇治市指定有形文化財
- 木造地蔵菩薩立像
- 木造不動明王立像及二童子像
- 浄土院羅漢堂 - 塔頭浄土院所有。
- 養林庵書院障壁画 13面 - 塔頭浄土院所有。
- 木造帝釈天立像 - 塔頭浄土院所有。
- 木造阿弥陀如来立像 - 塔頭浄土院所有。
- 和漢朗詠集巻下断簡(平等院切)(禁中・古京) 1幅 - 塔頭浄土院所有。
- 平等院境内古図 2幅 - 塔頭最勝院所有。
雲中供養菩薩像の画像
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北4号
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北5号
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北6号
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北7号
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北9号
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北11号
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北12号
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北13号
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北14号
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北15号
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北16号
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北17号
注釈
- ^ a b 平等院の山号「朝日山」の読みを明示した公式あるいは研究者による資料は確認できていない。信仰対象の山の名は「朝日山(あさひやま)」であるが、山号になると「○○サン」「○○ザン」と読み換えることが多く(※本件の場合は湯桶読み)、場合によっては全て音読みに変わる(※本件で想定すれば『チョウジツサン』など)。平等院の山号は「あさひさん」と読むのではないかという常識的推定はできるが、確証は無い。
- ^ a b 木瓦葺(こがわらぶき、きがわらぶき)とは、 平瓦と丸瓦とを交互に組み合わせて並べる瓦葺(かわらぶき)の手法。また、それで造った屋根。
- ^ 残っている1560枚のうち向山瓦窯製は1273枚で、後は奈良で製造された瓦とされている。
- ^ 菩薩像は本尊の左右(南北)の壁に各26対ずつ懸けられており、北1号 - 北26号、南1号 - 南26号の整理番号が付けられている。南26号像は長らく「番外」とされ、国宝指定外であったが、2008年(平成20年)に国宝に追加指定された。
- ^ 北23号と南6号像は作風から鎌倉時代の補作とされている。出典は、特別展図録『国宝平等院展』、東京国立博物館ほか、2000年(平成12年)。
- ^ 鳳凰堂内にはレプリカ像も含め30数体が残っている。
出典
- ^ 小埜雅章「仏とともに観想する景色 平等院阿弥陀堂池庭」『別冊太陽 平等院 王朝の美 国宝鳳凰堂の仏後壁』、p.90
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- ^ 冨島 (2010) pp.178-179
- ^ “冨島 義幸”. 京都大学 教育研究活動データベース(公式ウェブサイト). 京都大学 (2019年6月17日更新). 2019年6月19日閲覧。
- ^ 冨島 (2010) pp.123-130, 179
- ^ 上島享「中世庄園制の形成過程-〈立庄〉再考」『日本中世社会の形成と王権』名古屋大学出版会、2010年(平成22年) ISBN 978-4-8158-0635-4 所収
- ^ 藤本孝一「平等院領」『平安時代史事典』角川書店、1994年(平成6年) ISBN 978-4-04-031700-7)
- ^ 尻池由佳「儀式構成と準備運営からみた〈宇治入り〉」初出:『古代文化』63-3、2011年/所収:倉本一宏 編『王朝時代の実像1 王朝再読』臨川書店
- ^ 『別冊太陽 平等院 王朝の美 国宝鳳凰堂の仏後壁』、127頁の年表
- ^ 宇治市平成10年12月定例会-12月15-05号-P.245「市長(久保田勇君)」(日本語)
- ^ “平等院鳳凰堂、本尊の魂移す 大規模修理に備え 京都”. 朝日新聞デジタル (朝日新聞社). (2012年9月3日). オリジナルの2012年9月4日時点におけるアーカイブ。 2021年8月24日閲覧。
- ^ “平等院鳳凰堂:平安の色 平成の大修理終了後のCG画像公開”. 毎日jp (毎日新聞社). (2013年7月10日). オリジナルの2013年11月1日時点におけるアーカイブ。 2021年8月24日閲覧。
- ^ “2年の修理終え落成式 京都・宇治の平等院鳳凰堂”. 産経フォト (産経新聞社). (2014年10月1日). オリジナルの2014年10月17日時点におけるアーカイブ。 2021年8月24日閲覧。
- ^ a b “『2019年環境報告書』”. スタンレー電気. 2020年12月20日閲覧。
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- ^ 伊藤 (1992) pp.117-118
- ^ 吹田直子「平等院庭園発掘調査の記録」『国宝 平等院展』、pp.162-164
- ^ 小埜雅章「仏とともに観想する景色 平等院阿弥陀堂池庭」『別冊太陽 平等院 王朝の美 国宝鳳凰堂の仏後壁』、pp.90-95
- ^ 冨島 (2010) pp.28, 100
- ^ a b c 鳳凰堂、平安期の瓦1500枚 創建50年後 屋根ふく? 『京都新聞』 2月14日(木)22時49分配信
- ^ a b c d e 国宝・平等院鳳凰堂で大量の平安期の瓦 修理で確認 『産経新聞』 2月14日(木)23時40分配信
- ^ 伊藤 (1992) pp.90-91
- ^ 杉本宏「12世紀中頃の宇治と平等院の復元想像図」『国宝 平等院展』、pp.166-167
- ^ 杉本 (2000) p.200
- ^ 冨島 (2010) pp.18-19
- ^ 冨島 (2010) pp.95, 110
- ^ 『別冊太陽 平等院 王朝の美 国宝鳳凰堂の仏後壁』、p.64(執筆は有賀祥隆)
- ^ 渡邉 (2009) pp.40-41
- ^ 冨島 (2010) pp.70-73
- ^ “平等院鳳凰堂を無断撮影してジグソーパズルに 在庫廃棄などで平等院と玩具会社和解 京都地裁”. 京都新聞. 京都新聞社 (2020年10月12日). 2022年10月17日閲覧。
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