巡礼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/17 15:15 UTC 版)
キリスト教の巡礼
キリスト教は、当初から殉教者を出したが、その墓所に詣でて敬意を表する信者がいた。これをmartyrium マルティリウムと言う。そうした場所は礼拝の場である教会堂と並び、教会(=キリスト教コミュニティ)にとって重要な場所となった。
4世紀にキリスト教が公認されると、キリスト教発祥の地であるパレスチナ、ことにイエス・キリストの生地であるベツレヘム、受難の地であるエルサレムの遺構に参拝するために信者が旅をするようになった。また各地の殉教者記念堂も巡礼の対象となった。
キリスト教における巡礼は聖地への礼拝だけでなく、巡礼旅の過程も重要視されている。すなわち聖地への旅の過程において、人々は「神との繋がり」を再認識し信仰を強化するのである。ルイス・ブニュエルの映画『銀河』(仏: "La Voie lactée" / 英: "The Milky Way"、1969年)は、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼を、「時間と空間を越える神の存在への問いかけの物語」として描いている。
地中海沿岸からヨーロッパ各地に諸聖人の遺骨(聖遺物または不朽体)または十字架、ノアの箱舟の跡などの遺物を祭ったとされる教会、聖堂などが多数あり、そのような地への巡礼が行われた。巡礼は多くの旅人を集めた(『カンタベリー物語』など)。もっとも有名なものには、エレナが発見したとされる十字架の遺物、アルメニア王アブガル(アウガリ)に贈られ、シリアのエデッサ(Edessa)からコンスタンティノポリスにもたらされた自印聖像(マンドリオン、手で描かれたのではない聖像)、コンスタンティノポリスの聖母マリアの衣、洗礼者ヨハネの首などがある。これらの宝物は中世後期に失われた。また、巡礼者を惹きつけるために他の教会から聖遺物を盗んできたり、偽造するということもあったとされる。また西方では、中世中期からミラノのキリストの聖骸布、聖杯(聖杯伝説や騎士道物語を生み出す元になった)などの伝承が生まれた。
古代後期から、殉教者の遺骨によって奇跡がおき、参拝した巡礼者の中に病気が治癒したり歩けなかった足が動くようになったなどの事例が報告されるようになった。こうした奇跡が起こったということから巡礼者が集まるようになったというものも多い。たとえばピレネー山中のルルドや、カトリックの三大巡礼地の1つサンティアゴ・デ・コンポステーラなどである。麦角病(四肢が壊疽したり、精神錯乱を招く)は「巡礼に赴くことで癒える」とされた[注 2]。
こうした巡礼の旅で病に倒れた人、宿を求める人を宿泊させた巡礼教会、その小さなものを「hospice ホスピス」と呼んだが、そこでのもてなしから「hospitality ホスピタリティ(歓待)」の語がうまれ、病人の看護などの仕事をする部門が教会の中に作られるようになって今日の英語でいう「hospital ホスピタル」が派生した。ゆえに「hospital ホスピタル」は、「病院」だけではなく、「老人ホーム」「孤児院」の意味も持つ。またhospiceは、現代では終末期の患者が残りの時を過ごす近代的な「ホスピス」の語源となっている。
- カトリック(西方教会)の三大巡礼地
カトリックの三大巡礼地は、ローマのサンピエトロ大聖堂(=聖ペトロが眠る場所)、サンティアゴ・デ・コンポステーラ(=9世紀に羊飼いが聖ヤコブの墓を見つけとされる場所)、そしてエルサレムともされる。
正教会の巡礼地としては、アヤ・ソフィア大聖堂(=かつてのビザンティン帝国の首都コンスタンティノープル、つまり現在のイスタンブールにある大聖堂)、アトス山(=東方正教の一大中心地)、聖カタリナ修道院(=モーセが十戒を授けられたとされるシナイ山にある修道院)、エルサレムなどが挙げられる。またロシア内、ロシア正教会に限ると、至聖三者聖セルギイ大修道院(=ラドネジの聖セルギイの不朽体のある場所)なども挙げられる。
- プロテスタントの巡礼に対する態度
宗教改革後、プロテスタントは、巡礼に対して(も)冷淡な態度をとっている[1][注 3]。
- ^ 明治以降、日本語の「巡禮(巡礼)」も各宗教の聖地を訪ねること全般を指している。そもそも「巡禮」という言葉自体にもともと、「神社や寺院でなければならない」などという意味はまったく込められていない。 なお日本語では類語に「巡拝(じゅんぱい)」もあるが、「巡礼」は宗教色が強く、「巡拝」はどちらかと言えば観光や娯楽の意味合いが強い[要出典]と言う人もいる。
- ^ 麦角病はライ麦につく麦角菌に起因する病気であるが、巡礼中の断食により、汚染したライ麦を食べなくなったため治ったとも言う。このように「奇跡」とされるものには、科学的に説明がつく例もある。
- ^ プロテスタントの立場としては、そもそも聖書に神ヤハウェやイエスの命令として「(カトリックやオルトドクスの聖地への)巡礼を行え」とは全然書いていないので、聖書に本当に書かれていること(だけ)を重視するプロテスタントの大半の教派としては、巡礼は(/も)人間が勝手に作りだした習慣だと判断され、(カトリックが熱心に巡礼を行っていた歴史を知っているが)それを行ってきたことも間違いなのだ、と判断しているわけである。カトリック教会(や正教会)の幹部の人間の都合で勝手に作りだした諸習慣(悪名高き免罪符や、その他の無数の、教会組織の幹部が(自分に都合よく)勝手に作りだした根拠の無い(奇妙な)習慣)による悪影響を取り除くために命がけで抗議し その間違いを命がけで正した、という起源を持つプロテスタントの立場としては、「巡礼」という習慣(聖書に照らすと、そもそもそれを行なわなければならない根拠が不明で、聖書的には かなり怪しい習慣)に対しても冷淡にならざるを得ないわけである。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s スーパーニッポニカ「巡礼」星野英紀 執筆
- ^ a b 大稔哲也「イスラームの巡礼・参詣―エジプトの聖墓参詣を中心に―」『四国遍路と世界の巡礼』法藏館、2007年、169-183頁。ISBN 9784831856814 。
- ^ a b c Paul Gwynne (2009). World Religions in Practice: A Comparative Introduction. Blackwell. ISBN 9781405167024
- ^ 渡辺研二『ジャイナ教 非暴力・非所有・非殺生―その教義と実生活』論創社、2005年、293-297頁。ISBN 4846003132。
- ^ a b NHK BS「チベット カイラス巡礼」2015年1月4日放送。
- ^ 精選版 日本国語大辞典『右繞・右遶』 - コトバンク
- ^ 大辞林 第三版『右繞』 - コトバンク
- ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)『ボン教』 - コトバンク
- ^ Pilgrimage to Broken Mountain: A Nahua Ritual for Abundant Crops, Aztec Page at Mexicolore
- ^ Witschey, Walter R. T. (2016). “Rites and Rituals”. In Walter R. T. Witschey. Encyclopedia of the Ancient Maya. Rowman & Littlefield. pp. 295-296. ISBN 0759122865
巡礼と同じ種類の言葉
品詞の分類
名詞およびサ変動詞(信仰) | 奉遷 崇拝 巡礼 参社 初詣で |
名詞およびサ変動詞(信心) | 奉幣 鎮魂 授戒 巡礼 回向 |
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