巡洋艦
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非防護巡洋艦
装甲艦の影響を受けた装甲帯巡洋艦と対照的に、高速軽快なフリゲート・通報艦を母体にした非防護巡洋艦も建造されていた。これらの艦は、通商破壊や商船護衛、前路哨戒や植民地警備といった様々な任務に投入されていた[8]。
また1884年度でイギリス海軍が建造したスカウト級のように、水雷攻撃を意図した水雷巡洋艦の任務を帯びた艦もあった。しかし巡洋艦としての設計であったため船殻重量過大であり、また軽量大出力の適切な機関が得られなかったことから所期の速力を達成できず、その後の進化に繋がることはなかった[8]。
防護巡洋艦
もともとイギリス海軍では、「インコンスタント」に見られるように石炭庫を空間装甲のように配置することで防御に利用するという設計思想があった。1876年度計画のコーマス級では、これに加えて、機関部と弾薬庫の上方に相当する部分の甲板を装甲で覆う防護甲板の手法が導入された[12]。そして1880年度計画のリアンダー級では、水平に近い弾道で艦内に突入した砲弾に対する避弾経始を配慮して、防護甲板に反りを持たせて亀甲型とした。装甲帯のような重く高価な垂直防御と比して、このように水線部より若干下方に防護甲板を設ける水平防御の手法であれば、比較的軽い重量で、かつ重心の上昇も抑制しつつ艦の防御力を向上させられると期待された[5]。
そして1883年には、チリ海軍がイギリスのアームストロング造船所に発注していた巡洋艦「エスメラルダ」が進水した[13]。同艦は帆装を全廃するとともに、従来は枢要部のみに設けられていた防護甲板を艦の全長にわたって装着するなど、防護巡洋艦の原型となった。特に装甲帯巡洋艦に限界を感じていたイギリス海軍はこの艦種に着目し、これに範を取ったマージー級を端緒として多数を建造し、シーレーン防護のため世界各地に配備した[8]。
しかし1880年代後期以後の速射砲の普及は、防護巡洋艦に破滅的な影響をもたらした。防護巡洋艦では、船体内の艦枢要部は防護甲板の下で守られており、上部構造物については、ここに浸水が生じても隔壁により防止できるという目論見から無防備に晒されていた。しかし1894年の黄海海戦では、短時間に大量の榴弾を投射された結果、艦枢要部が直撃弾を受けずとも、非装甲部が徹底的に破壊されて戦闘能力を喪失する例が多発した。この戦訓から、垂直防御をもたない防護巡洋艦の価値は急激に衰退した[8]。
装甲巡洋艦
防護巡洋艦の戦術価値低下とともに、防護巡洋艦のうち大型の艦では、再び垂直防御の導入が図られた[8]。これが装甲巡洋艦であり、その端緒とされるのが、フランス海軍が1890年に竣工させた「デュピュイ・ド・ローム」である[14]。また上記の通り、ロシア帝国海軍が1875年に竣工させた「ゲネラール=アドミラール」は、その先鞭をつけたものとして評価されている[10]。
かつての装甲帯巡洋艦で断念された広範囲の装甲と航洋性能の両立を実現した背景の一つが、製鋼技術の進歩であった。この時期にはハーヴェイ鋼やクルップ鋼のように耐弾性の高い装甲用鋼板が開発され、従来の普通鋼より薄い装甲板でも所期の防弾性能を発揮できるようになっていた。しかしそれでもなお、装甲重量の抑制のためには防弾性能の妥協が必要であり、中口径速射砲に抗堪する程度に留められた。この結果、艦砲の大口径化に伴って装甲板の厚みを増すことができず、自艦の主砲に堪えられない防御力を持つ軍艦として発達していくこととなった[8]。
これらの装甲巡洋艦は、通常の巡洋艦と同様に通商破壊や商船護衛、前路哨戒や植民地警備といった任務に投入されていたが、19世紀末ないし20世紀初頭には、更にこれを準主力艦として位置付けて、同種艦数隻で戦列を構成して戦艦部隊とともに行動する運用法が生じた。日本海軍の六六艦隊計画(1896年開始)も主力艦として戦艦6隻・装甲巡洋艦6隻を整備する計画であり[11]、日露戦争の日本海海戦にも主力艦として投入されている[11]。
さらに、装甲巡洋艦の攻撃力を戦艦に匹敵するほどに増大させたイギリスのインヴィンシブル級大型装甲巡洋艦が1908年に竣工した[15]。これは、戦艦「ドレッドノート」の影響を受けた単一口径巨砲搭載艦であり、高速力であったが、防御力は従前の装甲巡洋艦と同等であった[15]。この種の艦は、後に巡洋戦艦(Battlecruiser)と類別されるようになった。しかしこれらは、攻撃力に比して弱体な防御力という弱点を有しており、特にこれが顕著だったイギリス海軍の巡洋戦艦は、ユトランド沖海戦において砲塔への直撃弾によって瞬時に轟沈した艦もある[14]。
注釈
出典
- ^ 青木 1982, pp. 80–84.
- ^ 田中 1996.
- ^ 青木 1982, p. 117.
- ^ a b 鳥居 1984.
- ^ a b c d 青木 1996.
- ^ a b Friedman 2012.
- ^ Friedman 2012, §0.
- ^ a b c d e f g h i j k l m 中川 1996, pp. 167–173.
- ^ Polutov 2010, pp. 16–23.
- ^ a b Polutov 2010, pp. 154–159.
- ^ a b c d 田村 2007.
- ^ Friedman 2012, §4.
- ^ Gardiner 1979, p. 228.
- ^ a b 青木 1999.
- ^ a b 海人社 1990.
- ^ 中川 1996, pp. 69–78.
- ^ 中川 1996, pp. 79–106.
- ^ Gardiner 1984, pp. 159–160.
- ^ Gardiner 1984, p. 336.
- ^ a b c d 青木 2006.
- ^ 岡部 2006.
- ^ a b 大塚 2012b.
- ^ 石橋 1993.
- ^ 青木 1993.
- ^ Polutov 2010, p. 79.
- ^ Polutov 2010, pp. 72–89.
- ^ IISS 2016, p. 498.
- ^ IISS 2016, p. 261.
- ^ IISS 2016, p. 268.
- ^ “Type-055: a new chapter in China’s naval modernisation” (英語). IISS. 2020年11月23日閲覧。
- ^ a b 福井 2008, 第四章 航空戦艦について.
- ^ 大塚 2012.
- ^ Polmar 2008, ch.19 New Directions.
- ^ Wertheim 2013, pp. 326–327.
- ^ Polutov 2017, pp. 120–137.
- ^ Polutov 2017, pp. 138–143.
- ^ 大塚 2020.
- ^ Polutov 2005.
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