小牧・長久手の戦い 史跡・史料等

小牧・長久手の戦い

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 04:20 UTC 版)

史跡・史料等

史跡

長久手の古戦場は1939年(昭和14年)に「長久手古戦場」として国の史跡になっている[46]

史料等

三鬼清一郎によると軍勢の編制や配置を示す陣立書(作戦計画書)は長久手の戦いで秀吉が初めて作成した[47]。秀吉による小牧・長久手の戦いの陣立書は前田家所蔵文書や慶応義塾大学所蔵文書として残されている[47]。一方、家康・信雄連合軍側の陣立書は知られていない[47]

また小牧・長久手の戦い、特に長久手合戦を描いた合戦図屏風などが複数残されている[47]

  • 「小牧長久手合戦図屏風」(犬山城白帝文庫所蔵) - 17世紀半ばに成立した合戦図屏風[47]
  • 小牧・長久手合戦陣立図「小牧御陣御進発之図」(和歌山城管理事務所所蔵) - 江戸時代に成立した陣立図[47]

脚注

参考文献

書籍
  • 愛知県史編さん委員会 編『愛知県史 資料編12 織豊2』愛知県、2007年。 
  • 小和田哲男『秀吉の天下統一戦争』吉川弘文館、2006年。ISBN 4642063250 
  • 武田茂敬『蟹江城合戦物語』私家版、2008年。 
  • 参謀本部 編『日本戦史第13巻 小牧役』村田書店、1978年(原著1908年)https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/771068近代デジタルライブラリー版2014年12月1日閲覧 
  • 長久手町史編さん委員会 編『長久手町史 史料編六 長久手合戦史料集』長久手町役場、1991年。 
  • 長久手町史編さん委員会 編『長久手町史 本文編』長久手町役場、2003年。 
  • 藤田達生 編『小牧・長久手の戦いの構造 戦場論 上』岩田書院、2006年。ISBN 4872944224 
    • 跡部信「秀吉の人質策」『小牧・長久手の戦いの構造 戦場論 上』。 
    • 白峰旬「小牧・長久手の戦いに関する時系列データベース ―城郭関係史料を中心として―」『小牧・長久手の戦いの構造 戦場論 上』。 
    • 谷口央「小牧・長久手の戦いから見た大規模戦争の創出」『小牧・長久手の戦いの構造 戦場論 上』。 
  • 藤田達生 編『近世成立期の大規模戦争 戦場論 下』岩田書院、2006年。ISBN 4872944232 
    • 高橋修「尾張・紀伊徳川家における『小牧・長久手合戦』の研究と顕彰」『近世成立期の大規模戦争 戦場論 下』。 
  • 磯田道史『天災から日本史を読みなおす』(中公新書、2014年
論文
  • 岩澤愿彦「羽柴秀吉と小牧・長久手の戦い」『愛知県史研究』第4号、愛知県、2000年。 
  • 尾下成敏「小牧・長久手の合戦前の羽柴・織田関係 秀吉の政権構想復元のための一作業」『織豊期研究』第8号、織豊期研究会、2006年。 
  • 谷口央「小牧長久手の戦い前の徳川・羽柴氏の関係」『人文学報』第445号、東京都立大学人文学部 首都大学東京都市教養学部人文・社会系、2011年3月、1-30頁、ISSN 03868729NAID 1200054864172020年9月14日閲覧 
  • 花見朔已「小牧・長久手の役」『大日本戦史』、三教書院、1942年。 
  • 宮本義己「羽柴秀吉 幻の密書」『歴史読本』39巻11号、1994年。 

関連項目




注釈

  1. ^ 記事名に関し議論がある。ノート参照のこと。
  2. ^ 佐々成政については、当初は秀吉の要請に応じて佐々政元を成政の名代として小牧へ派遣しており、7月に羽柴方の北陸勢が領国に一時帰国した後に離反したとする指摘がある[7]
  3. ^ 家康と信雄の小牧山進出に関し、参謀本部、花見、岩澤は3月15日のこととしている[8][9][10]。しかし谷口は29日とする[11]
  4. ^ 参謀本部や花見によれば、恒興の戦功を羨みまた自身も功を立てんと出陣したという[8][13]
  5. ^ 谷口は3月11日近江国坂本、21日美濃国池尻、24日岐阜、29日楽田とする[17]
  6. ^ 小和田は16,000としている[21]
  7. ^ 長久手市中央図書館のあたり。

出典

  1. ^ a b 小和田哲男 2006, p. 133.
  2. ^ 岩澤愿彦 2000, p. 38.
  3. ^ 参謀本部編 1908.
  4. ^ 花見朔已 1942.
  5. ^ 長久手町史編さん委員会編 1991.
  6. ^ 白峰旬 2006, p. 42.
  7. ^ 高岡徹「小牧・長久手の戦いと越中―秀吉陣立書と成政の蜂起―」『富山史壇』第183号、2017年。/萩原大輔『シリーズ・織豊大名の研究 第十一巻 佐々成政』戎光祥出版、2023年。2023年、P171-184.
  8. ^ a b 参謀本部編 1908, p. 17.
  9. ^ 花見朔已 1942, p. 25.
  10. ^ 岩澤愿彦 2000, p. 39.
  11. ^ 谷口央 2006, p. 115.
  12. ^ 小和田哲男 2006, p. 131.
  13. ^ 花見朔已 1942, p. 26.
  14. ^ 徳川豊臣小牧山戦争備考
  15. ^ 参謀本部編 1908, p. 19.
  16. ^ 参謀本部編 1908, p. 21.
  17. ^ 谷口央 2006, pp. 94–95.
  18. ^ 参謀本部編 1908, pp. 24–25.
  19. ^ 花見朔已 1942, pp. 33–36.
  20. ^ 参謀本部編 1908, p. 25.
  21. ^ 小和田哲男 2006, p. 137.
  22. ^ 改正三河後風土記』 上巻
  23. ^ 参謀本部編 1908, p. 34.
  24. ^ 参謀本部編 1908, pp. 35–37.
  25. ^ 参謀本部編 1908, pp. 37–39.
  26. ^ 花見朔已 1942, p. 44.
  27. ^ 「細川家記」、『豊臣秀吉文書集成 二』. 吉川弘文館 
  28. ^ 「神田孝平氏所蔵文書」、『岐阜県史史料編 古代・中世1』. 岐阜県 
  29. ^ 山本大『長宗我部元親』吉川弘文館、1987年、105頁。 
  30. ^ 武田 2008, p. 130.
  31. ^ 高岡徹「小牧・長久手の戦いと越中―秀吉陣立書と成政の蜂起―」『富山史壇』第183号、2017年。/萩原大輔『シリーズ・織豊大名の研究 第十一巻 佐々成政』戎光祥出版、2023年。2023年、P178-181.
  32. ^ 長久手町史編さん委員会編 1991, p. 40の文書100。
  33. ^ 愛知県史編さん委員会編 2007, p. 164の373。
  34. ^ 岩澤愿彦 2000, p. 40.
  35. ^ 長久手町史編さん委員会編 2003, pp. 276–278.
  36. ^ 谷口央 2006, p. 97.
  37. ^ [1]
  38. ^ 参謀本部編 1908, pp. 56–60.
  39. ^ 花見朔已 1942, pp. 62–67.
  40. ^ 小和田哲男 2006, p. 148.
  41. ^ 跡部信 2006, pp. 201–230.
  42. ^ 柴裕之「本能寺の変後の政局と秀吉への臣従」黒田基樹 編著『徳川家康とその時代』戒光祥出版〈シリーズ・戦国大名の新研究 3〉、2023年5月。ISBN 978-4-86403-473-9。P267-270.
  43. ^ 片山正彦「豊臣政権の統一過程における家康の位置付け」『豊臣政権の東国政策と徳川氏』思文閣出版〈佛教大学研究叢書〉、2017年、112-143頁。ISBN 978-4-7842-1875-2 
  44. ^ 高橋修 2006, pp. 267–279.
  45. ^ 「家康の天下取りの出発点は小牧に在り」と記されたものがあるらしい。誰のどの本に記載されているのか?」(小牧市中央図書館) - レファレンス協同データベース 頼山陽『日本外史』(頼氏蔵版、1848年)p.2-6、p.54
  46. ^ 子育て・市民活動施設、文化財”. 長久手市. 2021年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年1月19日閲覧。
  47. ^ a b c d e f 長久手合戦の様相-”. 長久手市. 2022年4月4日閲覧。






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