尊号一件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/07 00:25 UTC 版)
概要
114 中御門天皇 | 閑院宮直仁親王 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
115 桜町天皇 | 典仁親王 (慶光天皇) | 倫子女王 | 鷹司輔平 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
117 後桜町天皇 | 116 桃園天皇 | 美仁親王 | 119 光格天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
118 後桃園天皇 | 120 仁孝天皇 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
桂宮淑子内親王 | 121 孝明天皇 | 和宮親子内親王 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
122 明治天皇 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
第119代・光格天皇は典仁親王の子であったが、後桃園天皇が崩御したときに皇子がいなかったためにその養子となって即位したことにより、父よりも位が上になってしまった。しかも禁中並公家諸法度における親王の序列が摂関家よりも下であり、天皇の父が臣下である摂関家を目上としなければならないことに対しても天皇は不満を抱いた。だが、禁中並公家諸法度は江戸幕府にとっては初代将軍・徳川家康が定めた祖法であり、その改正は幕府の威厳を傷つけるものとして拒絶してくることは目に見えて明らかであった。そこで光格天皇は典仁親王に対して太上天皇(上皇)の尊号を贈ろうとした。
注釈
出典
固有名詞の分類
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