天国の駅 HEAVEN STATION 出演

天国の駅 HEAVEN STATION

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出演

製作

企画

東映社長・会長を務めた岡田裕介吉永小百合主演で温めていた三年越しの企画[12][13][14][15]1981年の秋頃、岡田が日本閣事件のモデルとなった女性死刑囚を主人公とする脚本を書き[16]、監督の出目昌伸に「吉永さんの主演で映画化したい」と伝えた[5][17][18]。出目は岡田が東宝の俳優時代に世話になった人で[12]、当時はテレビ中心の活動で、東宝時代の黒澤明セカンドイメージが強い人であった[9]。出目は脚本を読み、「吉永さんの持っているイメージとはあまりにかけ離れていて、出演を受けないだろうし、自分も自信がない」と伝えた[18]。岡田は「脚本は吉永さんから信頼されている早坂暁さんに脚本を頼みます」と言うと出目は「それなら考えさせて欲しい」と返事した[16]

岡田は吉永に『細雪』の撮影の前に[5]、自身の脚本を渡さず、女性死刑囚の資料を含む『ひとりぼっちの死刑台』という題名の企画書を渡した[16][17]。それを読んだ吉永は、モデルの女性死刑囚が金の亡者で食事も切り詰め、身体の調子が悪くなってもどした時、それも取っておいて後でおじやにして食べた、警察での取り調べ中、机の下から手を伸ばし刑事の一物を握った、など理解の範囲を大きく逸脱する女性像に空いた口がふさがらず[17][19]、岡田に「気分が悪くなった」と伝え[5]、当時、同じ温泉場を舞台にして人気を博していた『夢千代日記』とはあまりにかけ離れているため、「脚本を読んで答えさせて下さい」と返事を保留した[19][20]。1980年代に入り日本映画界を取り巻く状況もどんどん変わり[19]、実現する企画か不透明な状況であった[19]。出目も企画は成立しないんじゃないかと考えていたが、岡田は「吉永さんの主演、出目さんの監督で絶対にやりたい」と執念を燃やし早坂に脚本を発注した。

タイトル

早坂に脚本が移った段階でタイトルが『天国の駅』になったが、タイトル命名は岡田茂東映社長と書かれた文献もある[10]。最初から「HEAVEN STATION」の横文字副題として付き[20]オープニングクレジットでも『天国の駅 HEAVEN STATION』と出る。"HEAVEN STATION"は、"天国の駅"の6~9分の一ぐらいの大きさ。当時の文献でもほとんど『天国の駅』のみで「HEAVEN STATION」の無い表記であった[20]。また、2018年現在の日本映画製作者連盟文化庁日本映画情報システム、東映ビデオのサイトや東映の社史(2016年発行)でも『天国の駅』表記である[21]。しかし2018年のデータベースや文献では『天国の駅 HEAVEN STATION』表記の物もあり混在している。

製作の決定

1982年の春頃、早坂から書き出しの10枚の脚本が送られてきて、これを読んだ吉永は最初に読んだ企画書のような嫌悪感がなく、早坂らしい温かみが滲み出て、殺人を犯した者の哀しみが胸に響いた[17]。早坂も吉永に出演を勧め、また吉永自身「『細雪』で自分にも魔性みたいなモノがあるのかな」と感じたこともあり[19]、人間の本質的な欲望に触れたドラマはやったことがないし[19]、年齢的にも役の幅を広げて、多少毒のある役にも挑みたいと考えていたこと[18][20][22]日活時代を思い出させてくれる活気のある東映のスタッフとまた仕事をしたいという思いもあり出演を承諾した[17]。出目も吉永の出演を受け「最近、映画監督は恵まれませんから、守備範囲を広げておきませんとね」と監督を引き受けた[5]。「別の女優さんで、いくらでも役に当てはまる人はいると思いますが、吉永さんがやらなければイヤな話になってしまう。普通のきれいな女性が辿る薄幸の道。女の闇の欲望やそこから出てくる魔性を描いてみたい。戦後いろんな改革が進んで、女性も強くなり始めて我慢しなくなった。それが昭和30年頃だと思います。今は女性の犯罪も増えていますけど、いろんな意味でモデルになった女性は現代の女性の先駆的な人だと思います」などと抱負を述べた[5]。出目は東映での初演出となった[23]。製作費・宣伝費合わせて7億円ともいわれた[4]

脚本

早坂の脚本が完成したのが二年後の1983年の秋頃[18]。このためこの間に吉永は『細雪』の撮影を終え、テレビドラマ『新 夢千代日記』の撮影中であった[12]が、早坂脚本は珍しくスムーズに完成し、出目も満足な準備ができたという[17]。岡田は事実に基づいた準備稿を作っていたが、早坂は事実とはかけ離れた脚本を書いた[18]。早坂は「シナリオの扉には"天国の駅はたった独りでしか乗れない"と書き入れてある。正確に言うと、たった独りでしか入れないだが、語感がよくないので、承知でそうしている。天国の駅は、なんとなく空中に浮かんでいるようでもあるので、これでもいいじゃないかの意見もあった」「いつも耐えている女性だけを演じてきた吉永さんに、林葉かよを演じて欲しかった。"天国の駅はたった独りでしか乗れない"の意味をよく聞かれる。愛は天国ゆきの切符のように言われているが、私はそうは思わない。殊に男女の、性のからまる愛は、このドラマにように人を傷つけ、人を殺す。男女の愛に関しては、二人そろって天国ゆきの列車に、すんなり乗れると思えないのである」と解説している[24]

キャスティング

岡田裕介は当時フリーのプロデューサーで、唯一、吉永を東映に連れて来られるプロデューサーといわれた[25]。吉永は「人間は両極端な性格を持っていると思います。私の中にも、そうした魔性のような部分があるので、それを大きく膨らませて演じたいと思います」[4]「シナリオの扉に早坂さんが"天国の駅はたった独りでしか乗れない"と書かれていますが、最終的に、男と女は幸せになれないのではないか、というのがテーマだと思うんです。でもそこに天国があるんじゃないかと、哀しく求めあう男と女の愛の物語をどしんと腹に伝わってくる話にしたいです」などと決意を述べた[5]。それまでも悪女役を得意とする女優はいたが、吉永のような清純派イメージを持つ主演級女優は、CMの関係もあり、自己イメージを保たねばならず、殺人犯のような汚れ役をやる者はいなかった[26]

当時の三浦友和はスーパーヒロイン・山口百恵を妻にした夫としての話題が先行しがちで[27]、俳優として重要な30代を消耗されていた時期[27]。1983年秋の主演ドラマ『みんな大好き!』(日本テレビ)が視聴率の不振で打ち切られ[28]、本作の前に公開された東宝の大作『さよならジュピター』もコケ、決定打に欠けていたが、この作品でこれまでのイメージを一変させるダニのような悪役を好演した[18][27][29]。三浦は「今まで正直者ばかりやってきましたから、こういう役、面白いですね。こんな役を三浦にやらせようっていうプロデューサーが今までいませんでしたから、岡田さんから話があったとき、大変驚きましたし、嬉しかったですよ」と話した[5]。吉永相手ではさすがに遠慮があり、濡れ場の撮影では「もっと大胆にやってよ」と吉永から何度もダメ出しをされたという[15][27]

また三浦同様、それまで善人イメージだった西田敏行も[5]、かよに無償の愛を捧げ、かよのためなら殺人を犯すハンディキャップを持つ初めて狂気の役柄を演じた[23]。西田は撮影直前に心臓を悪くして出演を危ぶまれたが、いっぱい着込んだ吉永をおんぶするシーンも演じた[16]。他に、かよを姉のように慕う女性に真行寺君枝、精神病院から戻ってくる女に白石加代子、かよの最初の夫に中村嘉葎雄、二番目の夫に津川雅彦、かよの犯行を追う刑事に丹波哲郎といった異色の配役[29]。出演者はみんなこれは面白い作品になりそうだと大変撮影に入れ込んだ[17]

撮影

1983年秋クランクイン[18]。吉永は出演を承諾したものの、途中で自分では出来ないんじゃないかと何度も悩みクランクイン一週間前からノイローゼ気味になった[5]。しかし撮影に入ると面白くてノリノリになった[5]。「戦後、女性が少しづつ解放されていって我慢しなくていい、耐えなくていい時期が来たとき、彼女のエネルギーは、違った方向にいっちゃったんだと思うんです。その哀しさ、怖さを出せればいいと思う。夢千代にも共通する部分があると思います。夢千代の場合は、自分の気持ちを抑えて抑えて、他人に優しくすることで、自分の苦しさを紛らしている女性です。表面的には似ていても、一番元のところにあるしたたかさは、このかよがずっと凄いと思います」などと話した[5]。殺人囚がポチャポチャしていたらリアリティが出せないとクランクイン後に体重を4kg落とした[19]首吊りのシーンも実際にロープにぶら下がったが、仕掛けが外れたらどうなるんだろうとゾッとしたという[6]。出目も「吉永さんがオナニーやレイプシーンなど、あんなに激しくやってもらえるとは思いもしなかった」と述べた[16]。通常の作品に比べて難しくて5倍は疲れたが撮影終了後は「やってよかった」と思えた[5]。しかし吉永は9年ぶりの主演映画にプレッシャーが重くのしかかり、完成試写を観て気になるシーンがあり、初めて監督に越権行為である編集の再考を申し出たことへの自責の思いは、今も尾を引いているという[16][17]

橋本浩一(三浦友和)と幸子(真行寺君枝)が登山列車でもみ合うシーンで、高い渓谷に差し掛かり、走行中の列車の窓を開けて三浦が半身窓の外へ出て落ちそうになり、命綱を付けていると見られるが、かなり危険な撮影をスタントなしでやっている。

映画は警察の取調室で、五十沢刑事(丹波哲郎)が三浦の取調を行い、事件を回顧する構成となっているが、ラスト近くに三浦が「愛なんてセッ〇スの味の素ですよ」と言う、今日では考えられないが、当時でもOKだったのかと思わせるセリフがある。この後のセリフが「女は目覚めても夢を見ていたいんですよ」といいセリフを吐くため、前後のギャップが凄い。

ロケ地

栃木県新那須温泉を中心にロケが行われた[18]。その他、群馬県四万温泉[29][30]静岡県修善寺温泉、栃木県塩原温泉などを転々として、1950年代の温泉地を再現している[31]エンドクレジットで表記される温泉は「四万温泉 せきぜん」のみ。劇中の中程で吉永が入る風呂は同館の「元禄の湯」で、公開後にこの風呂を尋ねて、多くの「サユリスト」が訪れたという[30]。2023年も当時のまま現存している[32]。 『天国の駅』天国行きの電車が通るところは箱根登山鉄道。最後の雪原の中の駅は山梨県北杜市小淵沢駅から長野県小諸市小諸駅までを結ぶ小海線で撮影した[18]。他に八ヶ岳など[31]

ロケ地ではスタッフ・キャストとも同じホテルに泊まり、夜は大広間で全員で箱膳で食事した[16]。宴会係は西田敏行のひとり舞台で[31]、当時流行っていた楽曲『夢芝居』をユーモラスに歌い、チームを盛り上げた[16]


注釈

  1. ^ この時期の映画は総原価6億円だと直接、製作にかけられる費用は1億5千万円程度。残りが宣伝費[14]角川映画の影響で各社宣伝費が高騰していた。

出典

  1. ^ 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)430頁
  2. ^ 五社巴「日本映画封切作品ガイド」『ロードショー』1984年7月号、集英社、212頁。 
  3. ^ 週刊文春』1984年4月19日号、文藝春秋、57頁。 
  4. ^ a b c d 「これでサユリスト神話も崩壊? 遂に全裸を決意した吉永小百合の内なる事情」『週刊宝石』1984年2月17日号、光文社、36–38頁。 
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m 服部真・藤井英男・加藤光男「カラー特集/吉永小百合 『今までの私ではないのです』」『映画情報』、国際情報社、1984年6月号、3–14頁。 
  6. ^ a b 「いまふたたびサユリストブーム!? 吉永小百合が映画『天国の駅』で注目の体当たり演技!」『週刊明星』1984年6月7日号、集英社、11-13頁。 
  7. ^ 「頑固に『シュギ』を変えないSAYURISTは"衝撃の画面"を見ても眉ひとつ動かさないという説 吉永小百合『天国の駅』」『サンデー毎日』1984年6月3日号、毎日新聞社、174-175頁。 
  8. ^ a b c 山内宏一『女,吉永小百合のすべて』山手書房、1984年、178-185頁。ISBN。 
  9. ^ a b 執筆・寺脇研『日本映画テレビ監督全集』キネマ旬報社、1988年、264頁。 
  10. ^ a b c d e 「興行価値 クラさが気になる『天国の駅』」『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1984年6月上旬号、176頁。 
  11. ^ 吉永小百合から山口百恵まで…伝説の昭和女優「30人の今」吉永小百合の「過去・現在・未来」(8)試写会場で聞こえたイビキ天国の駅 WOWOW
  12. ^ a b c 「雑談えいが情報 新作映画ニュース」『映画情報』、国際情報社、1984年2月号、53頁。 由原木七郎「〔ザ・役者〕 演技力に加えて、ちかごろ、めっきり色気も増した吉永小百合に大接近」『映画情報』、国際情報社、1984年2月号、72-73頁。 
  13. ^ 「"画になる”北海道は映画人を刺激する」”. 『財界さっぽろ』2015年7号. 株式会社財界さっぽろ. 2018年6月8日閲覧。
  14. ^ a b c 活動屋人生 2012, pp. 188–192.
  15. ^ a b 吉永小百合 封印された肉食系「愛欲生活」(4)「くわえてしゃぶる」エロ俳句
  16. ^ a b c d e f g h i j k l 映画女優 2015, pp. 147–150.
  17. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 夢一途 1988, pp. 182–190.
  18. ^ a b c d e f g h i 出目昌伸「『天国の駅』の演出を語る吉永小百合さんが出演してはじめて成立する話だった」『シネ・フロント』、シネ・フロント社、1984年6月号、36–39頁。 
  19. ^ a b c d e f g 松島利行「『天国の駅』特集1 吉永小百合インタビュー 吉永小百合の変身は今後の女優史を一変させるかもしれない」『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1984年6月下旬号、94–97頁。 
  20. ^ a b c d e 青野丕緒「ああ小百合まで脱ぐのか 東映『天国の駅』 歯止めなき女優のヌード」『サンデー毎日』1984年4月15日号、毎日新聞社、24 -25頁。 
  21. ^ 東映株式会社総務部社史編纂 編『東映の軌跡』東映、2016年、332頁。 
  22. ^ 「雑談えいが情報」『映画情報』、国際情報社、1984年9月号、70頁。 
  23. ^ a b 服部真「フォト・クローズアップ 西田敏行」『映画情報』、国際情報社、1984年5月号、15–18頁。 
  24. ^ 天国の駅 1984, pp. 216–217.
  25. ^ a b c d e f 高橋英一・脇田巧彦・川端靖男・黒井和男「映画・トピック・ジャーナル 岡田裕介プロデューサーが仕掛けた『天国の駅』が突破口となり、再び"吉永小百合ブーム"が到来。その要因を探ってみるとー。」『キネマ旬報』1984年7月下旬号、キネマ旬報社、170–176頁。 
  26. ^ 「〈This Week〉 映画では悪女を演じても悪妻にはならぬサユリ」『週刊文春』1984年9月27日号、文藝春秋、29頁。 
  27. ^ a b c d 石原信一「HUMAN THEATER 人間劇場 第43回 三浦友和(2) 『七分咲き人生の素描』」『週刊明星』1986年1月3日号、集英社、70-73頁。 
  28. ^ 「〈立ち入り禁止ZIG・ZAG〉 百恵夫人も気でない? 小百合と友和の濡れ場演技」『週刊宝石』1984年1月27日号、光文社、50頁。 
  29. ^ a b c 「製作だより」『ロードショー』1979年10月号、集英社、208頁。 
  30. ^ a b 吉永小百合主演映画「天国の駅」新着のお知らせ 【公式】 四万温泉積善館
  31. ^ a b c 夢一途 1988, pp. 184–190.
  32. ^ 温泉
  33. ^ 「雑談えいが情報」『映画情報』、国際情報社、1984年3月号、57頁。 
  34. ^ 高橋英一・脇田巧彦・川端靖男・黒井和男「映画・トピック・ジャーナル 東映がプロパー半期配収で9年振りに新記録を樹立。その成功の要因を探ってみるとー。」『キネマ旬報』1984年10月下旬号、キネマ旬報社、164–165頁。 
  35. ^ 八森稔「総決算/不調だった84年の映画界」『映画情報』、国際情報社、1985年5月号、71頁。 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)430頁
  36. ^ 活動屋人生 2012, p. 186.
  37. ^ 谷岡雅樹『アニキの時代 ~Vシネマから見たアニキ考~角川マガジンズ、2008年1月、16頁。ISBN 978-4-8275-5023-8 
  38. ^ 増山善万「PREVIEW 『天国の駅』 イメージから脱却する俳優陣」『シネ・フロント』、シネ・フロント社、1984年6月号、54–55頁。 
  39. ^ 矢島正雄「『天国の駅』特集2 夢千代から林葉かよへ 早坂暁=小百合絶妙のコンビネーション」『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1984年6月下旬号、98–99頁。 
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  41. ^ 「邦画封切情報『天国の駅』(東映)」『シティロード』1984年6月号、エコー企画、24頁。 
  42. ^ a b c d e 「東映・岡田茂のジュニア・裕介に対する帝王学伝授の帰結」『噂の眞相』1984年8月号、株式会社噂の真相、66-67頁。 
  43. ^ 「邦画最前線 『夢千代日記』 今年前半最大の話題作」『財界にっぽん』1985年5月号、株式会社財界にっぽん、64-65頁。 
  44. ^ 大高宏雄「映画会社の、映画会社による、映画製作ー30年前をふりかえって見えてくるもの 東映 踏ん張って自主製作を続ける」『キネ旬ムック 1980年代の映画には僕たちの青春がある』キネマ旬報社、2016年9月、175-177頁。ISBN 978-4-83736-838-0 
  45. ^ a b 「〈タウン〉『明暗クッキリ』の松竹と東映の息子」『週刊新潮』1984年6月28日号、新潮社、17頁。 
  46. ^ 活動屋人生 2012, p. 124.
  47. ^ 孤狼の血 : 映画評論・批評 - 映画.com岡本明久・星野行彦・富田泰和「日本映画の現状をどう打開するか(5) 東映の労働運動は岡田社長ワンマン体制を打破し企画と経営の民主化をかちとることが目標です」『シネ・フロント』、シネ・フロント社、1987年4月号、52-57頁。 西川昭幸『日本映画一〇〇年史 そうだったのか!あの時、あの映画 明治・大正・昭和編ごま書房新社、2012年9月、403頁。ISBN 978-4-341-13250-7 
  48. ^ 「東映動画労組がアニメ映画『近未来戦争・198X』の製作に反対」『シネ・フロント』、シネ・フロント社、1981年6月、60-61頁。 
  49. ^ 「一九八〇年の日本映画を考える(上) 企画が行き詰ったとき、いつでも帰っていける安全な世界だった『二百三高地』 植田泰治・東映テレビ局プロデューサー」『シネ・フロント』、シネ・フロント社、1981年3月、19-20頁。 
  50. ^ a b 「新作情報 日本映画ニュース・スコープ」『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1984年9月上旬号、100頁。 
  51. ^ a b 「〈邦画スタート 今週の焦点〉 日本の映画界のギャラが男性上位時代 CМで稼いで欲のない?中堅女優たち」『週刊平凡』1980年5月8日号、平凡出版、134-135頁。 
  52. ^ 西田敏行、吉永小百合の秘話談議で鶴瓶と対決(Internet Archive)
  53. ^ 完全保存版 復刻スクリーンエロス名鑑 『この女優〔15人〕たち あの濡れ場…名シーンをもう一度!…』」『週刊宝石』1992年1月2、9日号、光文社、6頁。 





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