大陸軍 (フランス) 外国人部隊

大陸軍 (フランス)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/18 13:06 UTC 版)

外国人部隊

ポーランド兵

多くのヨーロッパ諸国が外国人部隊を採用したが、ナポレオンのフランスも例外ではなかった。ナポレオン戦争中の大陸軍で、外国人部隊は重要な役目を果たし、特徴ある戦い方をした。ほとんどすべてのヨーロッパ諸国はさまざまな段階で大陸軍の一部となった。戦争末期には、数万名の兵士が従軍した。

1805年には、ライン同盟の35,000名の部隊が情報通信線と本隊の側面を守るために使われた。

1806年、27,000名が追加され同じ用途に使われた。さらに20、000名のサクソン人部隊はプロイセンに対する掃討作戦に使われた。

1806年から1807年にかけての冬季方面作戦では、ドイツ、ポーランド、およびスペインが大陸軍の左翼を担い、バルト海に面したシュトラールズントダンツィヒの港の占領を助けた。

1807年のフリートラントの戦いでは、ランヌ元帥の軍団はかなりの数がポーランド、ザクセンオランダの兵で占められた。このときは外人部隊が初めて戦闘における主要な役割を演じ、目だった働きをした。

1809年のオーストリア方面作戦では、大陸軍のおよそ3分の1がライン同盟の兵士だった。[23] またイタリア方面軍の4分の1はイタリア人だった。

1812年大陸軍の頂点を迎えた時、ロシアに侵攻した部隊の半分以上はフランス人以外でありオーストリアやプロシアを含み20か国に上った。

大陸軍の階級

封建制度や他の君主政治の時の軍隊とは異なり、大陸軍の昇進制度は社会的な階級や富よりも能力に重点をおいて成された。ナポレオンは彼の軍隊が実力社会であることを欲し、どの兵士でもその生まれによらず、成した業績によって(もちろん、彼らがあまりに高く、あるいはあまりに急速に昇進していなければ)指揮官の最上級まで急速に上り詰めることができた。概してこの目的は達せられた。

その能力を発揮できる場を与えられれば、能力のある者は数年間で頂点まで辿り着けた。他の軍隊であれば数十年掛かったであろう。身分の低い兵士ですら彼の軍嚢に元帥杖を持てるといわれた。下の表は現在の米陸軍と対照した階級のリストである。またギャラリーには頂点まで登った人物を示す。なお、当時のフランス軍では1788年に准将(仏:Brigadier des armées du roi)が廃止されたため、将官は少将と中将の二階級のみである。

大陸軍の階級 現代の米陸軍で相当する階級
帝国元帥 (Maréchal d’Empire)[24] 元帥 (General of the Army)
中将 少将[28]
少将 (Général de brigade)[29] 准将 (Brigadier general)
将軍副官 (Adjudant-commandant)[30] 大佐 (Staff Colonel)
大佐 (Colonel)[31] 大佐 (Colonel)
二等大佐 (Colonel en second) 中佐 (Senior lieutenant colonel)
中佐 (Major) 中佐 (Lieutenant Colonel)
二等中佐 (Major en second) 少佐 (Senior Major)
少佐 (Chef de bataillon または Chef d'escadron)[32] 少佐 (Major)
副官勤務大尉 (Capitaine adjudant-major) 大尉 (Staff Captain)
大尉 (Capitaine) 大尉 (Captain)
中尉 (Lieutenant) 中尉 (First Lieutenant)
少尉 (Sous-lieutenant) 少尉 (Second Lieutenant)
准尉 (Adjudant) 准尉 (Chief Warrant Officer)
准尉 (Adjudant sous-oficier) 准尉 (Warrant Officer)
曹長 (Sergent-major または Maréchal-des-logis-major)[33] 曹長 (Sergeant-Major)
軍曹 (Sergent または Maréchal des logis)[33] 軍曹 (Sergeant)
給養係伍長 (Caporal-Fourrier または Brigadier-Fourrier)[33] 中隊書記/補給係軍曹 (Company clerk / supply Sergeant)
伍長 (Caporal または Brigadier)[34] 伍長 (Corporal)
兵士 (Soldat) または騎兵 (Cavalier、英:Cavalry) または砲兵 (Canonnier、英:Artillery) 一等兵 (Private)


陣形および戦術

ナポレオンは優れた戦略家として知られており戦場に立つとカリスマ的であったが、戦術の発明家でもあった。彼は何千年もの間使われてきた古典的な陣形と戦術を組み合わせ、さらにフリードリヒ大王の斜角陣形(ロイテンの戦いで使われた)や、革命の初期に国民皆兵Levee en masse)軍隊で使われた群衆戦術といったより新しいものを取り入れた。

ナポレオンの戦術は高度に流動的で柔軟性があった。対照的に敵の軍隊の多くは固定的な戦列(Linear)戦術や陣形に執着していた。戦列戦術とは歩兵の集団が単純に戦列をなし一斉射撃を交わすもので、戦場の敵軍に打撃を与えるか、側面から包囲するものであった。戦列陣形は側面からの攻撃に弱いものであるので、敵の側面を衝くように部隊を操作するのが高等戦術と考えられていた。これが成功するとしばしば敵は撤退するか降伏した。その結果、このやり方に固執する指揮官は側面を安全にすることに重点を置き、強い中衛や後衛部隊を回すことがあった。ナポレオンが度々やったことは、この戦列の考え方を逆手にとることであり、側面攻撃をする振りをしたり、あるいは敵に自軍の側面が餌であるように見せて(アウステルリッツの戦いや後のリュッツェンの戦いで実践された)、自軍の主力を敵の中央に進めさせ、戦列に割って入り追い詰めてしまった。

ナポレオンは常に彼の近衛隊からなる強力部隊を温存しておき、戦況がうまくいっているときは止めを打つために、うまくいっていない時は流れを変えるために投入した。

より有名で広く使われ、効果的かつ興味ある陣形や戦術を下記に示す。

横隊Ligne
基本的な3階層の横隊を組んだ陣形。歩兵や騎兵が一斉射撃を行ったり、正面攻撃を行うときに適していたが、動きが比較的鈍く、側面からの攻撃に弱かった。
行軍縦隊Colonne de Marche
軍隊の急な動きや持続する移動、および正面攻撃には最善の隊形であったが、集中できる火力が少なく、側面攻撃や待ち伏せ、砲撃および突入には弱かった。
V字形隊形(Colonne de Charge
鏃(やじり)あるいは槍の穂先の形をした騎兵の陣形。急速に接近したり敵の戦列を破るために考案された。歴史的にもよく使われ効果のあった陣形であり、今日でも戦車隊が使っている。しかし突進が止められた時やタイミングを失った時にその側面への反撃に弱い。
攻撃縦隊(Colonne d'Attaque
歩兵の広い縦隊であり、戦列と縦隊の組み合わせであった。軽装歩兵の散兵線で敵を混乱させたり、縦列での前進を排斥するために用いられた。縦隊が接近すると散兵が側面を防御し、縦隊が一斉射撃と銃剣による攻撃を行った。通常の薄い戦列陣形には効果的な陣形であった。攻撃縦隊はフランス革命初期のフランス軍が使った「群衆」あるいは「大群」戦術から発展した。その欠点は火力の集中度が劣り、大砲の攻撃に弱いことだった。
混成陣形(Ordre Mixte
ナポレオンの好んだ歩兵隊形である。複数の部隊(多くは連隊か大隊)が戦列陣に配置され、その背後や間に縦列攻撃部隊を配するものだった。これは戦列の火力と速度を組み合わせ、縦列攻撃部隊の行う混戦や散兵戦に利点をもたらした。多少の欠点もあったが、この戦術を成功させるためには、砲兵や騎兵の支援が特に重要だった。
散兵Ordre Ouvert
歩兵や騎兵が部隊毎にあるいは個兵毎に散開する戦術。この戦術は軽装の部隊や散兵部隊には効果的だった。この戦術では丘や森のある荒れた地形では特に移動速度が速く、散開しているので敵の攻撃に対しても防御面で有効だった。その欠点は一斉射撃のような手段がなく、接近戦の場合は特に騎兵に弱かった。
方陣Carre
騎兵に対する歩兵の古典的防御陣形。兵士が中空の四角形を構成し、1辺は3層ないし4層とする。士官や砲兵、騎兵が中に入る。歩兵にとっては最も防御に適した陣形であり、特に丘の頂上や下り坂に面している時、有効だった。
この陣形では動きが緩慢になり、固定された目標とされることがあった。その密度を濃くすると大砲の攻撃に弱く、それほどまでではないにしても歩兵の銃撃にも弱かった。この陣形がいったん壊れると完敗に終わる傾向があった。
空飛ぶ砲兵大隊(Batterie Volante
フランス砲兵の移動性能と訓練を生かした隊形。一つの大隊が戦場のある地点に移動し、短時間で鋭い砲撃を行い、続いてまた荷車に積んで別の地点に移動し、攻撃を加え、といった操作を繰り返すものであった。
多くの大隊がこの攻撃を組み合わせ集積していくことで、敵の戦列に壊滅的な打撃を与えた。騎乗砲兵隊はこの戦術に特に適していた。ナポレオンは初期の方面作戦でこの戦術を使い、大きな成果を得た。この戦術の柔軟性で、攻撃を加えたい目標に素早く攻撃を集中できた。この戦術は特別の訓練を必要とし、また砲兵と馬が整然と行動できるように密接な指揮と連携を必要とした。
大砲兵大隊(Grande Batterie
もう一つの砲兵戦術であり、空飛ぶ砲兵大隊が使えない時に用いられた。
大砲を単一の急所となる地点(多くは敵の中央)に集中するものである。敵が恐怖に捕らわれたり、陣形が崩れると大きな損害を与えられた。ただし、敵の情報が不足したままで単一の地点に多くの砲火を合わせることには細心の注意を払わなければならなかった。いったん砲門を開き目標が明確になると、照準を合わせ直すことで上記のことを回避できた。この戦術は敵の大砲からの反撃に弱く、騎兵の攻撃に対する防御も必要だった。これがフランス砲兵の最も良く知られた戦術であったが、ナポレオンは空飛ぶ砲兵大隊の方を好み、この戦術を使う必要のある時、あるいは使った方が成功の機会が増えると思われた時のみに、この戦術を使った。戦闘の開始時点で、ナポレオンは多くの砲兵大隊をさらに大きな大砲兵大隊にして、集中砲火を浴びせ、その後にそれを解いて空飛ぶ砲兵大隊に変えた。
初期の方面作戦ではあまり使われなかったが、大陸軍の馬の数や砲兵の質が落ちてくると、この戦術を使う機会を増やさざるを得なかった。
イノシシの頭(Tete du Sanglier
複合した陣形であり、混成陣形に似ているところもあるが、三軍(歩兵、騎兵、砲兵)がV字形のような方形に組むもので、集中攻撃や防御の場面で使われた。歩兵が最前線で短く何層にも厚く隊形を組み、これをイノシシの鼻とした。その後ろに2組の砲兵隊を置き、イノシシの目とした。側面と最後尾は斜角陣で縦列、横列、方形陣の歩兵がイノシシの顔を作った。さらに側面と後ろを守るのが2組の騎兵隊であり、イノシシの牙の役目を果たした。
高度に複雑な陣形であり、容易にまた急速に組めるものではなかった。いったん組まれると、牙を除いて、動きは緩慢であった。しかし、伝統的な方形陣よりも動きが速く、砲兵や歩兵の攻撃に対しても防御が堅かった。牙は強い攻撃能力も持っていた。
後の1830年代1840年代に行われた北アフリカ制圧ではこの戦術が効果的に用いられ、1920年代まで使われていた。

  1. ^ Elting, John R.:"Swords Around A Throne.", pages 60-65. Da Capo Press, 1997
  2. ^ Tirailleurs de la Garde Imperiale: 1809-1815, Accessed March 16, 2006
  3. ^ Napoleon's Guard Infantry - Moyenne Garde, Accessed March 16, 2006
  4. ^ Uniform of the Grenadiers-a-Pied de la Garde, Accessed March 16, 2006
  5. ^ Foot Grenadiers in the Imperial Guard, Accessed March 16, 2006
  6. ^ Uniforms of the Chasseurs-a-Pied de la Garde, Accessed March 16, 2006
  7. ^ FUSILIERS DE LA GARDE 1806 - 1814 ARMEE FRANCAISE PLANCHE N" 101, Accessed March 16, 2006
  8. ^ Grand Tenue - Marins de la Garde, Accessed March 16, 2006
  9. ^ By Order of the Commander-in-Chief: the Origin of the Guides-a-cheval, Accessed March 16, 2006
  10. ^ a b c d e f g 『戦闘技術の歴史4 ナポレオンの時代編』創元社。 
  11. ^ Napoleon's Polish Lancers, Accessed March 16, 2006
  12. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『図解 ナポレオンの時代武器防具戦術大全』レッカ社。 
  13. ^ a b 戦略戦術兵器事典3 ヨーロッパ近代編. 学研. pp. 11 
  14. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 近世近代騎兵合同誌. サークル騎兵閥. pp. 41,40,42,43 
  15. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 兵士の歴史大図鑑. 創元社. pp. 158,159,160 
  16. ^ a b c d ナポレオンの軍隊 近代戦術の視点からさぐるその精強さの秘密. 光人社NF文庫. pp. 83,82 
  17. ^ a b ナポレオンの軽騎兵 華麗なるユサール. 新紀元社. pp. 14-15,25,38 
  18. ^ Mas, M.A. M., p.81.
  19. ^ 青銅砲とされる場合もあるが、いわゆる青銅(の合金)に加え、真鍮(銅・亜鉛合金)、砲金(ガンメタル、銅・錫・亜鉛合金)製のものも含め青銅(ブロンズ)と呼ぶことがあるためである。
  20. ^ Elting, John R.:"Swords Around A Throne.", page 250. Da Capo Press, 1997
  21. ^ a b Elting, John R.:"Swords Around A Throne.", page 254-5. Da Capo Press, 1997
  22. ^ Elting, John R.:"Swords Around A Throne.", page 186, 194. Da Capo Press, 1997
  23. ^ Elting, John R. Swords Around A Throne. Da Capo Press, 1997. Pg.387.
  24. ^ 帝国元帥(Maréchal de l'Empire)は階級ではない。師団将軍で傑出していると認められた者の名誉称号であり、それに応じた高い給与と特権が与えられた。ナポレオン軍の最高階級は実際には師団将軍(仏:General de division)である。 Elting, John R.:"Swords Around A Throne.", page 124. Da Capo Press, 1997.
  25. ^ 各兵科最先任の将官に対する名誉称号(『華麗なるナポレオン軍の軍服 134頁、上級大将として記述。』 マール社 リシュアン・ルスロ著 辻元よしふみ、辻元玲子監修翻訳 2014年10月20日。)であり階級ではない。帝国元帥にもなった者を除いてはルイ・ボナパルト(Louis Bonaparte)、ジュノー(Jean Andoche Junot)、ディリエ(Louis Baraguey d'Hilliers)などが叙任された。
  26. ^ 軍団長としての地位であり階級ではない。1812年廃止。その後1814年に復活するも、1848年に再び廃止された。但し階級章(四つ星)自体は軍団長たる師団将軍(仏 : Général commandant de corps d'armée)のものとして使用された。 Général または General-in-chief 参照。
  27. ^ 旧体制及び1814~1848年は中将(Lieutenant-Général
  28. ^ アメリカ軍では少将が公式の最高位の階級であり、中将および大将は役職に付随する地位とされる。
  29. ^ 旧体制及び1814~1848年は陣地総監(=少将)(Maréchal de camp
  30. ^ 将軍付き幕僚としての地位であり階級ではない。大佐(Colonel)または中佐(Major)が任じられた。序列は少将(Général de brigade)と大佐(Colonel)の間とされる事が多かった。
  31. ^ 1793~1803年は半旅団長(Chef de brigade
  32. ^ Chef d'escadronは騎乗部隊(騎兵、騎乗砲兵、憲兵、砲車牽引および輜重)の大隊長
  33. ^ a b c 後者は騎乗部隊(騎兵、騎乗砲兵、憲兵、砲車牽引および輜重)の呼称
  34. ^ フランス軍の Caporal および Brigadier は、上等兵であることが多いが第一帝政では下士官であり、その後1818年までは下士官である。
  35. ^ Todd Fisher & Gregory Fremont-Barnes, The Napoleonic Wars: The Rise and Fall of an Empire. p. 36-54
  36. ^ Fisher & Fremont-Barnes p. 54-74
  37. ^ Fisher & Fremont-Barnes p. 76-92
  38. ^ Fisher & Fremont-Barnes p. 200-209
  39. ^ Fisher & Fremont-Barnes p. 113-144
  40. ^ Insects, Disease, and Military History: Destruction of the Grand Armee
  41. ^ Fisher & Fremont-Barnes p. 145-171
  42. ^ Fisher & Fremont-Barnes p. 271-287
  43. ^ Fisher & Fremont-Barnes p. 287-297
  44. ^ Fisher & Fremont-Barnes p. 306-312





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