大陸軍 (フランス) 歩兵

大陸軍 (フランス)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/18 13:06 UTC 版)

歩兵

19世紀のフランス海軍の円筒帽

歩兵はたぶん大陸軍で最も魅力的な戦闘をしたわけではないが、ほとんどの戦闘で矛先となり、その成果が勝敗を分けることになった。

歩兵は大きく2つに分けられた。1つは戦列歩兵Infanterie de Ligne)であり、もう1つは軽歩兵(Infanterie Légère)であった。

戦列歩兵

戦列歩兵は大陸軍の大部分を占めていた。1803年、ナポレオンは連隊という言葉を復権させた。フランス革命中のことば半旅団(demi-brigade、2個で1個旅団となり王立という意味合いがなかった事実による)は、暫定的な部隊や補助部隊にのみ使われるようになった。大陸軍の創設時、89個戦列歩兵連隊(Régiments de Ligne)があったが、この数はフランスの県の数であった。最終的には156個連隊となった。

戦列歩兵連隊はナポレオン戦争中にその規模が変わったが、基本的な構成要素は大隊であった。1個歩兵大隊は約840名であり、これが大隊の定員となり、ほとんどどの隊も変わらなかった。ほかに400名から600名の大隊もあった。1800年から1803年にかけては、戦列歩兵大隊には8個フュジリエ中隊と1個擲弾兵中隊が所属していた。1804年から1807年にかけては、7個フュジリエ中隊と1個擲弾兵中隊、1個選抜歩兵(Voltigeur)中隊が所属していた。1804年から1807年にかけては、4個フュジリエ中隊と1個擲弾兵中隊、1個選抜歩兵中隊が所属していた。

小銃兵
フュジリエ(火打石銃兵)は歩兵大隊の大部分を占めており、大陸軍の典型的な歩兵と考えてよい。武器はシャルルヴィル1777年型マスケット銃と銃剣であった。訓練は行軍速度と持続時間に重点が置かれ、接近戦や白兵戦での個々に狙いを定めた射撃が続いた。このことはヨーロッパの敵国の大多数と異なるところであり、他国ではきちんとした隊形で動き一斉射撃を行うことに重点が置かれた。
ナポレオン戦争初期のフランス軍の勝利は、長い距離を素早く移動できる能力にあり、その能力は歩兵に課された訓練の賜物だった。1803年から1個大隊は8個フュジリエ中隊となり、1個中隊はおよそ120名であった。1805年にフュジリエ中隊の1つを改組して1個選抜歩兵中隊を創設した。1808年、ナポレオンは歩兵大隊を9個中隊から6個中隊に変えた。新しい中隊は構成員の数が140名となり、このうち4個はフュジリエ中隊、1個は擲弾兵中隊、残る1個は選抜歩兵中隊であった。
帽子は二角帽子であり、1807年に円筒帽に変わった。制服は白のズボン、白の外衣と濃青の上着(1812年まではハビットロング、その後はハビットベスト)に白の襟章を着け、赤の襟と袖口であった。帽子には色のついたポンポンを着けていた。このポンポンの色は中隊毎に異なっていた。1808年以後の編成替えで、第1中隊は濃緑のポンポン、第2中隊は空色の、第3中隊は橙色の、第4中隊はすみれ色のポンポンという按配だった。
擲弾兵(左)と選抜歩兵(右)
擲弾兵
擲弾兵はナポレオン戦列歩兵の精鋭であり、敵に打撃を与える部隊として古参兵で占められた。新しく作られた大隊には擲弾兵中隊が無かった。ナポレオンは、2回の方面作戦に参加させた後に最強で勇敢で背の高いフュジリエを擲弾兵中隊に昇格させ、大隊の中には2個以上の擲弾兵中隊ができたものもあった。
擲弾兵の新兵の条件は連隊の中でも背が高く恐ろしげであり、しかも口ひげを生やしているということになった。これに加えて帽子が熊毛になり上着には赤の肩章を着けた。1807年以後熊毛帽は赤い線と赤の羽毛のついた円筒帽に置き換えられた。しかし多くの者が熊毛帽を好んだ。標準のシャルルヴィル1777年型マスケット銃と銃剣に加えて擲弾兵は短いサーベルを帯びた。これは接近戦で使うためであるが、焚き火の木を切る道具となってしまった。
擲弾兵中隊は通常最も伝統的栄誉ある場所として隊列の右端に位置した。作戦行動中、擲弾兵中隊は擲弾兵大隊を形成したり、時には連隊や旅団を形成することもあった。この配置はより大きな戦闘隊形の前衛に置かれた。
選抜歩兵(Voltigeurs、意味合いからは飛び上がる者)
選抜歩兵選抜歩兵は戦列連隊のエリート軽歩兵であった。1805年、ナポレオンは戦列大隊の中で背は小さいが敏捷な者を選んで選抜歩兵中隊を作るよう命じた。この中隊は大隊の階層の中では擲弾兵中隊に次ぐものである。その名前はもともとの使命からきている。選抜歩兵中隊は敵の騎兵に対し馬に飛び上がって戦うというもので、風変わりなアイデアだったが戦闘ではうまくいかなかった。それにも拘わらず、選抜歩兵は重要な任務をこなし、散兵戦や各大隊の偵察などを行った。その訓練では射撃技術や素早い動きに重点が置かれた。
帽子は二角帽で黄と緑あるいは黄と赤の大きな羽毛が付いていた。1807年以後、円筒帽に変わり黄の線と同様な羽毛が付いた。上着には緑の線のある黄の肩章と黄の襟が付いた。もともとの武器は短い竜騎兵用マスケット銃であったが、実際にはシャルルヴィル1777年型マスケット銃と銃剣を装備した。擲弾兵と同様に、接近戦用に短いサーベルを帯びたがやはりあまり使われなかった。各選抜歩兵中隊はまとめられ、軽歩兵連隊や旅団を作ることがあった。1808年以後戦列の左端に位置した。この位置は伝統的に戦列戦闘の2番目に栄誉あるものであった。

軽歩兵

戦列歩兵が大陸軍の歩兵の大部分を占めていたが、軽歩兵(Infanterie Légère)も重要な役割を果たした。軽連隊は35個連隊を超えることはなかった(戦列歩兵の155連隊と対照)。また散兵戦を含め戦列歩兵と同じ作戦行動を執れた。その違いは訓練方法であり、高い団結心を生んだことである。

軽歩兵の訓練は射撃術と素早い動きに特に重点が置かれた。その結果、軽歩兵は戦列歩兵よりも正確な射撃の腕前と迅速な行動力を身につけた。軽歩兵連隊は多くの戦闘に参加し、さらに大きな作戦の哨戒に利用されることが多かった。当然ながら、指揮官達は戦列歩兵よりも軽歩兵に任務を任せることが多く、軽歩兵部隊の団結心が上がり、またその華やかな制服や態度でも知られた。軽歩兵は戦列歩兵よりも背が低いことが要求されており、森林を抜ける際の敏捷性や散兵戦の場合の物陰に隠れる能力に生かされた。

軽歩兵大隊の構成は戦列歩兵大隊のものそのものであったが、擲弾兵、フュジリエ、選抜歩兵については異なった種類の部隊があてられた。

猟歩兵(Chasseurs
猟兵は軽歩兵大隊のフュジリエである。これが大隊の大部分を占めた。武器はシャルルヴィル1777年型マスケット銃と銃剣であったが、接近戦用の短いサーベルも帯びていた。ナポレオン軍に共通することだが、この武器もすぐに焚き火の木を切る道具となってしまった。
1803年からは、各大隊に8個猟兵中隊があった。1個中隊は約120名であった。1808年、ナポレオンの命令で各大隊が9個中隊から6個中隊に編制替えされた。新しい中隊は構成員の数が140名となり、このうち4個中隊は猟兵中隊であった。
猟兵の制服はフュジリエよりも華美なものであった。1806年までは円筒帽に濃緑の大きな羽と白の紐が付いていた。制服は戦列歩兵よりも暗い青で小競り合いのときのカムフラージュにもなった。上着は戦列歩兵と同じだったが、折り返しと袖口は濃青だった。また濃青と赤の肩章を付けていた。ズボンは濃青で靴は騎兵のような長いものだった。1807年以降円筒帽は標準の円筒帽に置き換えられたが白の飾り紐は着いていた。
戦列フュジリエと同様、帽子には色のついたポンポンを着けていたが、その色は連隊ごとに異なるものだった。
カービン銃兵(Carabiniers
騎銃兵は軽歩兵大隊の擲弾兵である。2回の方面作戦参加を経験し、背が高く勇敢な猟兵が憲兵中隊に選ばれた。彼らは大隊の精鋭部隊であった。擲弾兵と同様に口ひげを蓄えることを要求された。
武器はシャルルヴィル1777年型マスケット銃と銃剣、および短いサーベルであった。帽子は高い熊毛帽だった(1807年に赤の縁のある円筒帽で赤の羽毛の付いたものに置き換えられた)。
制服は猟兵と同じだが、赤の肩章だった。騎銃兵中隊はより大きな騎銃兵部隊を構成することがあり、突撃を要するような作戦に使われた。
選抜歩兵(Voltigeurs
特別兵は戦列歩兵大隊のものと同じ任務であったが、さらに敏捷性と射撃の腕を求められた。
制服はフュジリエと同様であったが、黄と緑の肩章であり、1806年より前に毛皮製高帽(colpack)が円筒帽に取って代わった。毛皮製高帽には赤の上に黄の大きな羽毛と緑の紐が付いていた。1807年以降、円筒帽に変わり黄の大きな羽毛と黄の紐だった。この選抜歩兵中隊も必要に応じて大きな部隊を構成することがあった。

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  19. ^ 青銅砲とされる場合もあるが、いわゆる青銅(の合金)に加え、真鍮(銅・亜鉛合金)、砲金(ガンメタル、銅・錫・亜鉛合金)製のものも含め青銅(ブロンズ)と呼ぶことがあるためである。
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  24. ^ 帝国元帥(Maréchal de l'Empire)は階級ではない。師団将軍で傑出していると認められた者の名誉称号であり、それに応じた高い給与と特権が与えられた。ナポレオン軍の最高階級は実際には師団将軍(仏:General de division)である。 Elting, John R.:"Swords Around A Throne.", page 124. Da Capo Press, 1997.
  25. ^ 各兵科最先任の将官に対する名誉称号(『華麗なるナポレオン軍の軍服 134頁、上級大将として記述。』 マール社 リシュアン・ルスロ著 辻元よしふみ、辻元玲子監修翻訳 2014年10月20日。)であり階級ではない。帝国元帥にもなった者を除いてはルイ・ボナパルト(Louis Bonaparte)、ジュノー(Jean Andoche Junot)、ディリエ(Louis Baraguey d'Hilliers)などが叙任された。
  26. ^ 軍団長としての地位であり階級ではない。1812年廃止。その後1814年に復活するも、1848年に再び廃止された。但し階級章(四つ星)自体は軍団長たる師団将軍(仏 : Général commandant de corps d'armée)のものとして使用された。 Général または General-in-chief 参照。
  27. ^ 旧体制及び1814~1848年は中将(Lieutenant-Général
  28. ^ アメリカ軍では少将が公式の最高位の階級であり、中将および大将は役職に付随する地位とされる。
  29. ^ 旧体制及び1814~1848年は陣地総監(=少将)(Maréchal de camp
  30. ^ 将軍付き幕僚としての地位であり階級ではない。大佐(Colonel)または中佐(Major)が任じられた。序列は少将(Général de brigade)と大佐(Colonel)の間とされる事が多かった。
  31. ^ 1793~1803年は半旅団長(Chef de brigade
  32. ^ Chef d'escadronは騎乗部隊(騎兵、騎乗砲兵、憲兵、砲車牽引および輜重)の大隊長
  33. ^ a b c 後者は騎乗部隊(騎兵、騎乗砲兵、憲兵、砲車牽引および輜重)の呼称
  34. ^ フランス軍の Caporal および Brigadier は、上等兵であることが多いが第一帝政では下士官であり、その後1818年までは下士官である。
  35. ^ Todd Fisher & Gregory Fremont-Barnes, The Napoleonic Wars: The Rise and Fall of an Empire. p. 36-54
  36. ^ Fisher & Fremont-Barnes p. 54-74
  37. ^ Fisher & Fremont-Barnes p. 76-92
  38. ^ Fisher & Fremont-Barnes p. 200-209
  39. ^ Fisher & Fremont-Barnes p. 113-144
  40. ^ Insects, Disease, and Military History: Destruction of the Grand Armee
  41. ^ Fisher & Fremont-Barnes p. 145-171
  42. ^ Fisher & Fremont-Barnes p. 271-287
  43. ^ Fisher & Fremont-Barnes p. 287-297
  44. ^ Fisher & Fremont-Barnes p. 306-312





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