大東亜共栄圏 大東亜共栄圏の概要

大東亜共栄圏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 23:53 UTC 版)

日華満協助天下太平のポスター
大東亜会議に参加した各国首脳。左からバー・モウ)、張景恵)、汪兆銘)、東條英機)、ワンワイタヤーコーン)、ホセ・ラウレル)、スバス・チャンドラ・ボース

大東亜戦争期、日本政府がアジア諸国と協力して提起したもので[1]欧米帝国主義国の植民地支配下にあったアジア諸国を解放して日本を盟主とした共存共栄のアジア経済圏をつくろうという主張だった[3]東條英機の表現によれば、共栄圏建設の根本方針は「帝国を核心とする道義に基づく共存共栄の秩序を確立」することにあった[2]。先立つ1931年9月の満洲事変当時には「日満一体」[4]1938年11月に第1次近衛内閣日中戦争の長期化を受けて「東亜新秩序」の建設を声明しており、この時には日本・満洲・中国に限定された構想にすぎなかったが、南進論が強まる中で「」に東南アジアインドオセアニアまでの大東亜共栄圏構想が生まれた[5][6]


注釈

  1. ^ ちなみにヘンリー 2012, pp. 127–128での日本語訳では以下のように書かれている。
    日本は第二次世界大戦において、自国ではなく、大東亜共栄圏の他の国々に思いがけない恵みをもたらした。それまでアジア・アフリカを200年の長きにわたって支配してきた西洋人は、無敵で、あたかも神のような存在だと信じられてきたが、日本人は実際にはそうではなかったことを、人類の面前で証明してしまった。これは、まさに歴史的な偉業であった。…日本は白人のアジア侵略を止めるどころか、帝国主義、植民地主義、人類差別に終止符を打つことをなしとげた。 — アーノルド・J・トインビー 英紙『オブザーバー』1956年10月28日[21]

出典

  1. ^ a b 長谷川啓之「大東亜共栄圏」『現代アジア事典』文眞堂、2009年7月20日 第1版第1刷発行、ISBN 978-4-8309-4649-3、624頁。
  2. ^ a b ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『大東亜共栄圏』 - コトバンク
  3. ^ 日本大百科全書(ニッポニカ)
  4. ^ 大東亜共栄圏 コトバンク
  5. ^ 世界大百科事典 第2版『リンク表示名(省略可)』 - コトバンク
  6. ^ 山本有造『「大東亜共栄圏」経済史研究』名古屋大学出版会、2011年 月9日30日 初版第1刷発行、ISBN 978-4-8158-0680-4、ii頁。
  7. ^ a b c 日立ソリューションズ・クリエイト 「大東亜共栄圏」『世界大百科事典 第2版』 日立ソリューションズ・クリエイト
  8. ^ a b アジ歴トピックス - I 戦争・事件 - 太平洋戦争/大東亜戦争 - 大東亜共栄圏”. www.jacar.go.jp. 2021年2月2日閲覧。
  9. ^ 日立ソリューションズ・クリエイト 「大東亜共栄圏」『百科事典マイペディア』 日立ソリューションズ・クリエイト
  10. ^ Akira Iriye (1999), Pearl Harbor and the Coming of the Pacific War: A Brief History with Documents and Essays, Boston and New York: Bedford/ St. Martins, p.6.
  11. ^ 遠山茂樹・今井清一・藤原彰(1959)『昭和史』[新版]、岩波書店 〈岩波新書355〉、216ページ
  12. ^ 大東亜宣言の世界史的意義、東京朝日新聞、1942年1月23日(神戸大学電子図書館システム)
  13. ^ a b c d e f コロナ対策、戦時の状況に通底 東北大院・安達宏昭教授が「大東亜共栄圏」刊行”. 河北新報オンラインニュース (2022年8月3日). 2022年8月4日閲覧。
  14. ^ 『大東亜皇化の理念 』国防科学研究叢書 富士書店 1942年
  15. ^ 『大東亜戦争の神話的意義』 大串兎代夫 文部省数学局 1942年
  16. ^ a b アーノルド・J・トインビー「Historian en Route The Shopkeepers From China」、英紙『オブザーバー』11面(1956年10月28日)
  17. ^ a b 水間 2013, p. 1
  18. ^ レファレンス共同データベースI160803181420
  19. ^ レファレンス共同データベースI140304191445
  20. ^ 【日本に魅せられた 西洋の知性】アーノルド・J・トインビー 西洋は無敵でないこと示した日本(zakzak、2015年3月18日)
  21. ^ a b ヘンリー 2012, pp. 127–128
  22. ^ ロバート・D・エルドリッヂ『硫黄島と小笠原をめぐる日米関係』、南方新社、31ページ
  23. ^ 平川, 均 (名古屋大学経済学研究科教授) (2011年2月15日), “鹿島守之助とパン・アジア論への一試論”, SGRAレポート 58 (公益財団法人 渥美国際交流財団 関口グローバル研究会): p. 5, https://web.archive.org/web/20141129012955/http://www.aisf.or.jp/sgra/member/gcitizen/report/SGRAreport58.pdf 2014年12月9日閲覧。 
  24. ^ 平川 2011, pp. 31–33
  25. ^ 平川 2011, p. 15


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