大倉陶園 沿革など

大倉陶園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/20 07:29 UTC 版)

沿革など

大倉孫兵衛と息子の和親によって、東京市蒲田区(現・大田区)で大倉陶園が設立された。なお、創業日は工場の地鎮祭を行なって起工した1919年5月15日である。孫兵衛は万国博覧会で鑑賞した西洋陶磁器に刺激を受けて、日本では当時製造されていなかった硬質な白磁の製造を目指したとされる。

しかし硬質磁器の高級洋食器の製造は困難であり、製品を出荷したのは大倉孫兵衛の死後の1922年であった。1924年三越と取引を開始して市販を始め、1929年には紋章入りディナーセットを海外へ出荷している。また、1932年在アメリカ合衆国日本国大使館にディナーセットを納入している。

1943年東久邇成子昭和天皇の長女)の成婚では食器調達を受け持ったが、1945年4月15日空襲で工場が全焼してしまう。

しかし翌年には製品の出荷を再開し、1948年にはディナーセットを作製できるまでになった。税制改革などの影響で1950年5月には法人化し、株式会社大倉陶園となった。1952年大倉陶園販売株式会社も設立したが、朝鮮戦争による好景気が一段落した1955年にこれを閉鎖して日東陶器商会(現・ノリタケテーブルウェア)に販売を委託した。

1959年皇太子明仁親王同妃美智子の成婚時には晩餐会の食器を納め、以後も日本の皇室御用達窯となっている。なお、この年横浜市戸塚区で新工場の建設に着工している。翌年には戸塚に移転し、長野県軽井沢町に夏季直営店を開いた。

1974年迎賓館(赤坂離宮)改修時に納めたディナーセットは、大倉陶園の代表作の一つである。これは数種類のセットからなり、まず150人揃の正餐用食器がある。これは国賓が主催して天皇などを招くリターンバンケットに用いられるもので、一人当たり十数点の食器があり、金彩などを施した豪華な作風になっている。次に250人揃の歓迎会用食器があり、これはビュッフェスタイルのレセプションで用いられる。レセプションは大広間で行なわれ、正餐を行なう重厚な大食堂と違ってロココ風の雰囲気のため、食器もこれに合わせた軽やかな明るい仕上がりになっている。この他に、国賓や随員の朝食などに使う60人揃の個室用食器があり、藍一色の月桂樹オリーブが描かれている。

1995年には組織を改変して製造と業務部の2本立てとするとともに工場・画工場を設置し、現在に至る。




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