吉村秀雄
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人物像
エンジンの性能を極限まで引き出しす事に日夜没頭し、一切の妥協を許さない情熱を奉げた反面[178]、フレームなどにはあまり関心を見せず、外見などには無頓着であった[140]。同様に趣味と呼べるようなものも特に無く[179]、ふとしたアイデアが浮かんでは昼夜を問わず作業を始めるような、日夜エンジンチューニングのことを考えているような生活であった[180]。オートバイを戦闘機に例え、レースを戦争のようなものと度々表現し[181]、生きるか死ぬかの状況で全力を尽くす姿勢でオートバイに向かった[182]。全力で挑戦し、その結果として実績が伴わなかったとしても勝つための努力を評価し[183]、些細なつまらないミスに対しては厳しく叱った[184]。
一度やると決めたことはてこでも動かず、最後まで貫き通そうとするが、全身全霊で向かうため、優勝かリタイアか、というような極端な成績になることが多かった。挑戦し、諦めないという不撓不屈の精神は予科練で培われ、その精神で航空機関士の勉強を耐え、そこで得た技術がチューナーの原点であると述懐している[185]。
チューニングは手作業で行い、不二雄が導入を決定したコンピュータに対しても批判的な立場であった[186]。作業に用いる道具はグラインダー、オイルストーン、ブロック、ダイヤルゲージ、平盤、ボール盤、やすり[187]。これらを使ってカムシャフトやバルブの加工を行っていた。
レース哲学に関して以下のように語っている。
私は予選でもポールポジションをとるのが大事だという主義で、予選でも本番でもぶっちぎって勝たないと気がすまない。おこぼれの優勝は優勝ではないという主義ですから。 — 吉村秀雄、ポップ吉村の伝説
秋川時代には多くの四輪のチューニングを手掛けたにもかかわらず、吉村自身は普通自動車免許を取得していない[188]。また、YOSHIMURA R&D設立当初、直江を日本に残した状態のアメリカでの生活は、家事がほとんどできないため家は酷い有様で、帯同した従業員が心配して日本へ国際電話をよこすほどであった[189]。食事は日本食以外を好まず、1981年6月にクロスビーがマン島シニアTTに参戦するということで応援のために訪れたマン島では食事が合わず「イギリスは食事が不味いから二度と行きたくない」と、以降のマン島への誘いを辞退している[190]。
予科練時代から犬が好きであり、時おり交わす手紙には当時飼っていた犬の話題が上ることが多かった[191]。その後、九州で活動していた際にはアメリカ人からパーピィという名前のメスのスピッツを譲り受け、その息子であるリックと二代にわたってかわいがった。東京に移転してからもジョニーという名前のスピッツを再び譲り受け、アメリカへ渡る際にも同行させ、シャンプーやブラッシングなども率先して行った[192]。
作業中や入院中であってもタバコを手放せない愛煙家であった[193][194]。
左利きであり、文字を書くことと箸を持つことは右に矯正されたが、グラインダーなどで切削作業にあたる場合には左手で作業を行った[195]。
ホンダとの関係
吉村が本田宗一郎のことを意識しだしたのは1957年に発売されたホンダ・C70を手掛けるようになった頃で、1961年に発売されたCB72などを本格的にチューニングし始めた頃にはホンダがマン島TTに初出場ながら6位入賞を果たしたという話を聞き「すごい先輩がいるものだ」と技術の探求とレースへの挑戦に対して尊敬の念を抱くようになったという[196]。初めて接点らしい接点がもたれたのは1964年10月23日に行われたジュニア・ロードレースで、自陣営のマシンより速いヨシムラのマシンに本田が興味を持ったときと考えられている[197]。ヨシムラコンペティションモータースを退職して独立した松浦賢に対して自作のカムシャフトを贈り「お前が勝つのもうちが勝つのも一緒じゃないか」と吉村は言ったが[198]、敵チームのマシンを分析させてくれないか頼むよう指示した本田に対して、吉村はそれを了承し自らのマシンを差し出した事は、同じ業界で切磋琢磨しあうものに対する敬意や連帯感を持っていたからではないかと本田の長男の博俊は語っている[199]。そして本田もまた、差し出されたマシンを見て、吉村のオートバイにかける熱意を感じ取ったのではないかと考えられている[200]。一時期関係の悪化した時期を経ても吉村は本田を尊敬していると明言しており[200]、そのような思いに応えるように、2度めの手術を受けて入院していた時には、吉村の好んだびわの実を題材に据えた本田直筆の絵を贈って見舞うといった交流が行われていた[201]。
本田技研工業の副社長やHRC初代社長を務めた入交昭一郎も同様に、職人芸でもって大資本のワークス・チームに対抗しうるだけの性能を発揮するマシンを開発し続けた吉村を評価している。そして、同じレース業界を盛り上げていく仲間として、吉村に対する敬意があればこそ、全力でこれに臨み、勝利を奪いにいかねばならず、そうでなくては申し訳ない、という気持ちで相手をしてきたと語っている[202]。
夫として、父として
吉村が妻となる原田直江と初めて出会ったのは戦時中の1944年、当時シンガポールに赴任していた吉村が機体のオーバーホールのために雁ノ巣に立ち寄った時のことだった[203]。大日本航空福岡支所で事務員として働いていた原田直江に一目ぼれした吉村は姉、房江の夫である義理の兄に仲を取り持ってもらうなど手を尽くし、1944年6月に結婚する運びとなった[204]。当時、赴任先のシンガポールでは配偶者の帯同が禁止されていたため、直江は台北で1人暮らしをし、吉村は週に一度そこへ通うという新婚生活を送った[205]。入所前には自分がいない間に家族が困らないように、と仕事に精を出した反面、出所後にはのめり込んでいた花札を直江に咎められようものならばすぐさま手をあげた[25]。子供たちが生まれてからは子供3人に愛犬のスピッツを乗せて海までツーリングへ出かけるなど、子煩悩な面を見せる反面、食事に問題があると怒鳴ってお膳をひっくり返し、妻にあたるなどひきつづき粗暴な面は見られた[35]。しかし、子供達には手を上げるような事はせず[35]、オートバイのチューニングに打ち込むようになってからは家事や作業での負担をかけることはあったが、妻に全幅の信頼を寄せ仕事に打ち込む夫とそれを支える妻という二人の姿は感動的なほど絆の強い夫婦として周囲には映ったようである[206]。アメリカ滞在中は自家用車が無いために自転車や徒歩で買い物を行い、従業員も含めた大人数の食事の世話をしながらバルブ擦り合わせや曲げ加工を行うエキゾーストパイプに砂を詰めるなど、作業でも吉村を支えた直江に対して、吉村は「今度生まれても、お前と結婚したい」と感謝の思いを語っている[188]。
注釈
- ^ 当時で家を一軒建てられるほどの金額であった。
- ^ 開業当初の富士スピードウェイに設置されていた30度バンクと呼ばれるコーナーにはセーフティーゾーンが設けられておらず、実際に10月17日の二輪の日本グランプリの5ヶ月前、1966年5月3日に行われた四輪の日本グランプリでは、永井賢一によるレース中の死亡事故が発生していた。その後もこの30度バンクでは1973年に中野雅晴、さらに1974年には風戸裕と鈴木誠一の両名が亡くなるという死亡事故が相次ぎ、結局1974年に廃止が決定された。「富士スピードウェイ#コースレイアウト」も参照
- ^ 移転当初は秋多町、後に秋川市となり、2013年現在はあきる野市。
- ^ YOSHIMURA R&D社屋を焼失し、仕事が出来なくなった際には渡辺末広を自身が率いるディクソンレーシングで引き受けるなどの支援も行った。
- ^ 後にヨシムラでも走ることになるグレーム・クロスビーはロス・ハナンの下で走っているところを森脇によって才能を見出され、スカウトされた。
- ^ 後のインタビューで浅川邦夫は、ヨシムラパーツショップ加藤から加藤昇平、大矢幸二、ヨシムラR&D(加藤昇平が吉村由美子と結婚するまで活動していた「厚木ハイスピード」というレーシングチームが結婚を機に形を変えたものでアメリカのYOSHIMURA R&Dとは別のもの)に所属していた友人の加藤、パーツショップ加藤によく来ていた座間キャンプに所属するアメリカ人のウィル、デロー・マーチン、アメリカから吉村秀雄、吉村不二雄、クーリー、ボールドウィン、これに浅川を加えた10人でオートバイに関わることが出来る人間はすべてだったと語っている。
- ^ 4ストローク750cc以下、または2ストローク500cc以下の公道用市販車をベースにした改造オートバイによって競われるクラス。
- ^ 4ストローク400cc以下、または2ストローク250cc以下の公道用市販車をベースにしたオートバイによって競われるクラス。
出典
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