オートバイ屋への転身
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:20 UTC 版)
しばらくすると吉村のもとには米兵たちが再び集まるようになっていった。今度は酒などを調達するためではなく、航空機の整備に携わっていた吉村の技術力を見込んで、自分たちのオートバイの修理を頼むためであった。シンガポール駐在時にハーレーダビッドソンに乗っていた経験があり、事業の移動手段としてみづほ自動車製作所のキャブトンを利用していた吉村は、国内の炭鉱が次々と閉鎖に追い込まれていく状況を受け、1954年、雑餉隈の工場の片隅でオートバイ屋を始めることにした。吉村の物怖じしない言動と面倒見のよさは彼らの心をつかみ、評判が広まるにつれて訪れる米兵の数も増えてゆき、まるで本物の父親のように「POP(おやじ)」と呼ばれ、慕われるようになっていった。
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