オートバイ市場の衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 13:06 UTC 版)
宗一郎の長男であり、ホンダ経営には関与していなかった本田博俊は、HY戦争を馬鹿げたものと断罪し、趣味性の高いオートバイ市場で面子にこだわる余りしでかした無茶と分析。ユーザーから信頼を失ったオートバイ市場の衰退も予言した。その通りに原動機付自転車第一種(50cc以下)の販売台数は1982年の270万台をピークに、10年後には約90万台になり、30年後の2015年にはその10分の1以下の約20万台まで減少している。 主に中古市場でだぶついたオートバイの売れ残りは中国へ大量に流れ、コピー商品の研究元ともなった。これが、ホンダを中国企業との正式な技術提携締結に至らせるひとつの動機になったと言われる。
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