吉村秀雄 1978年

吉村秀雄

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1978年

第1回鈴鹿8時間耐久ロードレース

鈴鹿サーキット
ホンダ・RCB

吉村が鈴鹿サーキットで耐久レースが行われると知ったのは1977年の秋、出場することになるGS1000がまだ届く前のことだった[121]。鈴鹿18時間耐久レースでの優勝やヨーロッパ耐久レースでの実績もあったため自信はあった。1977年当時、FIM世界耐久選手権ではホンダ・RCBが1976年に8戦中7勝、1977年はシリーズ9戦全勝と圧倒的強さを誇り「不沈艦隊」と呼ばれており、前評判でも優勝の筆頭であったことから、吉村もRCBのデータを集めだした[122]。その結果、耐久レース以外では戦えるラップタイムを出せていることから、勝つためにはスプリントレースのタイムで走り続けるための耐久性と戦略が必要であると考えた[122]。そして、YOSHIMURA R&Dからウェス・クーリー、マイク・ボールドウィン、モリワキエンジニアリングからはグレーム・クロスビー、トニー・ハットンという体制で8耐に臨んだ。7月中旬、吉村は単身帰国し、ヨシムラパーツショップ加藤でGS1000の調整に加わった[123]。その直後に不二雄もレースで使うグッドイヤーのタイヤを携えてクーリーと共に帰国、数日遅れてボールドウィンも来日し、鈴鹿8時間耐久ロードレースにむけ準備は着々と進んでいた[123]

吉村たちがアメリカで作業に当たっている間、GS1000はデイトナで優勝した時の仕様にヨシムラパーツショップ加藤で整備されていた。加藤昇平と大矢幸二が組みあげ、常連客であった浅川邦夫が慣らしを行い、南海子もRCBのデータを取りに鈴鹿へ行っては吉村へそれを伝える。日本に集まってからも日本に不慣れなクーリーやボールドウィン達の世話や各種手続きは加藤昇平、由美子夫妻が担当。昇平に至っては第3ライダーとしての登録もされ、まさに一族総出での作業であった[123][注釈 6]

練習走行が始まると、GS1000にはクラッチトラブルが頻出した[124]。コースに出て全力で走ると2分22秒から2分23秒のタイムが出るが、すぐさまクラッチに異常が出てピットインを余儀なくされるという状態が繰り返された。クラッチトラブルは木曜日にスズキから送られたダンパースプリングの入ったクラッチを使うことで解消されたが、対策品の運用方針を巡って吉村と不二雄の意見が対立した[125]。一時は吉村の「俺の邪魔をするなら帰れ」という発言に対して不二雄がアメリカへの帰り支度をするところまで発展したが、クーリーの必死の説得にこれを踏みとどまった[126]

7月30日の鈴鹿は快晴に恵まれていた。ポールシッターの杉本五十洋とデビット・エムデによる選手宣誓が行われ、午前11時30分、ル・マン式スタートが切られ、第1回鈴鹿8時間耐久ロードレースは開始された[127]。1周目を終え、スタートラインを先頭で通過したのはGS1000であった[128]。するとその時、最終コーナーで土煙が上がった。後方スタートのプライベーターだろうと考えた吉村であったが、それはスタン・ウッズの乗るゼッケン6番のRCBであった。5周目にはトップグループはヨシムラのGS1000、モリワキのZ1、ヤマハ・TZ750カワサキ・KR350で構成されていた[128]。5周目が終わる頃、KR350はハンドルが折れるというトラブルに見舞われ、ピットインを余儀なくされタイムロス。3台のトップ争いが繰り広げられた[128]

スタートから1時間が経過し各チームピットインを行う頃にはジャン・クロード・シュマランフランス語版の乗るRCBは3位まで順位を上げていた[129]。しかし67周目、RCBが立体交差の上で停止していると場内アナウンスによって告げられた[130]。クリスチャン・レオンはピットまでRCBを押して戻ってくるも、メカニックがプラグを外した際にアルミの破片が付着していたことからリタイアを決意[130]。原因はバルブ破損によるものであった。

トップを快走するGS1000にトラブルが発生したのはスタートから4時間が経過した109周目、フロントタイヤ交換の際にフロントアクスルシャフトを固定するボルトがねじ切れてしまった[131]。幸い、ちぎれたボルトは前側であったため、ボールドウィンは脱落の危険性は少ないと考え、2位を走行するTZ750との差を少しでも維持しようと、対策を練る時間を捻出するためにそのままコースへ戻っていった[131]。ボールドウィンは15周ほど走行し、ピットに戻ってきてキャップをボルトの高さより低くなるまで削ることを提案[132]。メカニックは対策品の加工に取り掛かり、クーリーは時間を稼ぐためにコースへ出ていった。完成するなりクーリーをピットへ呼び戻し、ヨシムラはこのトラブルを凌いだ[132]。予断を許さぬレース展開の中、吉村は予科練時代に聞いた、東郷平八郎が危険を顧みず陣頭指揮を執り続けたという話に共鳴し、夏の炎天下の空の下、ピットロードで指揮を執り続けた[130]

陽が傾き始めた6時頃、モリワキのZ1がガス欠によって順位を落とすといったトラブルはあったがGS1000にはそれ以降トラブルは無く、午後7時32分、ウェス・クーリーの頭上でチェッカーフラッグが振られ、ヨシムラは記念すべき第1回鈴鹿8時間耐久ロードレースを優勝で締めくくった[133]


注釈

  1. ^ 当時で家を一軒建てられるほどの金額であった。
  2. ^ 開業当初の富士スピードウェイに設置されていた30度バンクと呼ばれるコーナーにはセーフティーゾーンが設けられておらず、実際に10月17日の二輪の日本グランプリの5ヶ月前、1966年5月3日に行われた四輪の日本グランプリでは、永井賢一によるレース中の死亡事故が発生していた。その後もこの30度バンクでは1973年に中野雅晴、さらに1974年には風戸裕鈴木誠一の両名が亡くなるという死亡事故が相次ぎ、結局1974年に廃止が決定された。
  3. ^ 移転当初は秋多町、後に秋川市となり、2013年現在はあきる野市
  4. ^ YOSHIMURA R&D社屋を焼失し、仕事が出来なくなった際には渡辺末広を自身が率いるディクソンレーシングで引き受けるなどの支援も行った。
  5. ^ 後にヨシムラでも走ることになるグレーム・クロスビーはロス・ハナンの下で走っているところを森脇によって才能を見出され、スカウトされた。
  6. ^ 後のインタビューで浅川邦夫は、ヨシムラパーツショップ加藤から加藤昇平、大矢幸二、ヨシムラR&D(加藤昇平が吉村由美子と結婚するまで活動していた「厚木ハイスピード」というレーシングチームが結婚を機に形を変えたものでアメリカのYOSHIMURA R&Dとは別のもの)に所属していた友人の加藤、パーツショップ加藤によく来ていた座間キャンプに所属するアメリカ人のウィル、デロー・マーチン、アメリカから吉村秀雄、吉村不二雄、クーリー、ボールドウィン、これに浅川を加えた10人でオートバイに関わることが出来る人間はすべてだったと語っている。
  7. ^ 4ストローク750cc以下、または2ストローク500cc以下の公道用市販車をベースにした改造オートバイによって競われるクラス。
  8. ^ 4ストローク400cc以下、または2ストローク250cc以下の公道用市販車をベースにしたオートバイによって競われるクラス。

出典

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