ヨシムラレーシングの共同設立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:20 UTC 版)
「吉村秀雄」の記事における「ヨシムラレーシングの共同設立」の解説
アメリカで知名度を得た事により、ある日フライング・タイガー・ラインで機関士を務めるデール・アレキサンダーとパイロットのスター・トンプソンが商談に訪れた。彼らは多くの製品を現金で購入していき、ヨシムラの製品がアメリカでいかに人気かを熱心に説き、吉村はアメリカでの理解者と2人を好意的に受け止めた。1972年になると彼らの来訪頻度はさらに増え、アメリカでの販売網開拓のために50対50での共同出資による新会社設立を持ちかけた。四輪のプライベーターに対して不利なレギュレーションから四輪に対する熱意はこの頃には失せており、また2ストロークエンジンの台頭による国内での苦戦から、4ストロークエンジンが活躍できる場を求めていた吉村にとってこの提案は非常に魅力的に感じられた。こうして1972年末にロサンゼルス、シミバレーにヨシムラレーシングが設立された。
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