博多湾鉄道汽船 博多湾鉄道汽船の概要

博多湾鉄道汽船

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/16 14:46 UTC 版)

博多湾鉄道汽船
種類 株式会社
本社所在地 日本
福岡県糟屋郡香椎村浜男[1]
設立 1901年(明治34年)6月13日[1]
業種 運輸業
事業内容 船舶業、鉄道事業、バス事業[1]
代表者 会長 太田清蔵[1]
資本金 6,330,000円[1]
発行済株式総数 126,600株(内新株63,300)[1]
主要株主
特記事項:上記データは『株式会社年鑑. 昭和17年版』より[1]
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湾鉄(わんてつ)の略称で呼ばれた。

概要

明治時代中期、糟屋郡志賀村西戸崎地区(現・福岡市東区西戸崎)に石炭の積出港を建設し、西戸崎と福岡県北部の糟屋炭田(特に海軍新原採炭所の石炭輸送を求められていた)及び筑豊炭田の各産炭地を結ぶ目的で計画された。1900年2月に創立総会を開き発起人には天狗煙草岩谷松平[2]資生堂創業者の福原有信など東京の実業家も含まれており、本社も1903年12月糟屋郡志賀島村西戸崎に移転するまでは東京市京橋区銀座におかれていた。同年には現在の香椎線にあたる西戸崎 - 宇美間のほか、糟屋郡多々良村土井(現・福岡市東区土井) - 糟屋郡篠栗村(現・篠栗町)間、糟屋郡和白村奈多(現・福岡市東区奈多) - 鞍手郡直方町中泉(現・直方市中泉)間、鞍手郡宮田村(現・宮若市) - 同郡植木町(現・直方市植木)間の約90kmにわたる区間の免許を取得した。

しかし創立した1900年は恐慌の年であり株金の払込は滞り、このため資本金を470万円から207万5000円に減少し営業エリアを粕屋炭田地区に絞って筑豊地区への免許は返上し、1904年に西戸崎 - 須恵間を開通させ、翌年には宇美まで延長した。他の路線の免許は1907年までに失効している。また1903年には宇美から浮羽郡吉井町に至る約40kmの路線の仮免状を取得したが、本免許にも至らずやはり失効している。その一方で海軍炭鉱第五坑が志免(糟屋郡志免町)に開坑すると海軍の求めに応じ、酒殿と海軍炭鉱第五坑(いわゆる志免炭鉱)地区を結ぶ貨物支線(旅石支線)の建設を進め、志免駅(貨物駅)を開業した。旅石(同須恵町)に海軍炭鉱第六坑が開坑すると、1915年までに志免駅から、旅石駅まで旅石支線を延長した。海軍の求めに応じたのは、後述する株主の影響力が強い。

1918年6月に太田清蔵(4代目)[3]が専務取締役に就任し経営のトップに立った。1915年に第3位の大株主(3129株)となっていたが徴兵保険会社専務取締役名義でも3850株を所有しておりその後も持株比率を高めた結果であった。

1920年、海軍の石炭を運搬することが第一の目標で敷設された鉄道であるが、海運会社が別であったために石炭の運搬に支障が出ていたことから、海運を行うことを海軍から求められたため、海運業に参入し、社名を博多湾鉄道汽船に変更した。その後1924年から翌年にかけて貝塚線を建設し、福岡市内に市内路面電車(のちの西鉄福岡市内線)と接続するターミナル駅(新博多駅)を設けて糟屋郡北部と福岡市内を鉄道で結び、同時期に津屋崎 - 福間国鉄)間を運行していた馬車鉄道津屋崎軌道を買収した。1929年には貝塚線を電化している。一方で、同じ1929年には鉄道大臣・小川平吉が私鉄事業者5社に対して便宜を図った汚職事件(五私鉄疑獄事件)が発覚したが、この5社に博多湾鉄道汽船も含まれており、一時は経営危機に陥った。1939年に旧津屋崎軌道の馬車鉄道路線を廃止している。

また沿線開発としては、1932年香椎駅周辺に野球場(後の香椎球場)を建設したほか、1938年には同じく香椎地区に香椎チューリップ園を建設している。後者は戦後、香椎花園として営業していたが、2021年12月30日をもって閉園した。

1942年九州鉄道(2代目)福博電車筑前参宮鉄道とともに九州電気軌道に吸収合併され、西日本鉄道となり解散した。

沿革

路線図(1937年10月1日)
  • 1898年(明治31年)11月7日 仮免許状下付。
  • 1900年(明治33年)6月13日 本免許状下付(西戸崎-宇美、土井-篠栗、奈多-中泉、宮田-植木間)、博多湾鉄道株式会社設立[4]
  • 1903年(明治36年)12月26日 仮免許状下付(宇美-吉井間)[5]
  • 1904年(明治37年)1月1日 博多湾鉄道により粕屋線西戸崎 - 須恵間が開業[6]
  • 1905年(明治38年)
  • 1906年(明治39年)1月29日 仮免許失効(宇美-吉井間 本免許申請を為さざる為)[9]
  • 1907年(明治40年)11月9日 仮免許状下付(酒殿-志免間 貨物線)[10]
  • 1908年(明治41年)4月21日 本免許状下付(酒殿-志免間 貨物線)[11]
  • 1909年(明治42年)8月1日 粕屋線の支線として酒殿 - 志免間の貨物支線が開通[12]
  • 1915年(大正4年)3月11日 貨物支線の志免 - 旅石間が開通[13]
  • 1918年(大正7年)3月27日 軽便鉄道に指定[14]
  • 1919年(大正8年)
    • 6月28日 東筑軌道に対し鉄道免許状下付(宗像郡福間町-鞍手郡若宮村間)[15]8月に博多湾鉄道に譲渡。
    • 10月25日 鉄道免許状下付(糟屋郡和白村-福岡市間)[16]
  • 1920年(大正9年)3月25日 博多湾鉄道が博多湾鉄道汽船に社名変更。
  • 1921年(大正10年)10月21日 鉄道免許状下付(鞍手郡若宮村-嘉穂郡飯塚町間)[17]
  • 1924年(大正13年)
    • 1月1日 津屋崎軌道を吸収合併[18]
    • 5月23日 貝塚線新博多(のちの千鳥橋) - 和白間を開業[19]
  • 1925年(大正14年)
    • 7月1日 和白 - 宮地嶽間が開業[20]
    • 7月11日 旧津屋崎軌道の特許路線であった道辻 - 宮地嶽駅前間を開業。
  • 1929年(昭和4年)8月16日 貝塚線全線を1500V電化[21]
  • 1935年(昭和10年)6月7日 鉄道免許一部取消(宗像郡津屋崎町-鞍手郡若宮村)[22]
  • 1936年(昭和11年)1月24日 起業廃止許可(大正10年10月21日免許 鞍手郡若宮村-飯塚市間)[23]
  • 1939年(昭和14年)4月14日 旧津屋崎軌道の福間 - 津屋崎間及び道辻 - 宮地嶽駅前間を廃止[24]
  • 1942年(昭和17年)9月19日 戦時体制(陸上交通事業調整法)に対応するために博多湾鉄道汽船が九州電気軌道に合併。西日本鉄道となる。
  • 1944年(昭和19年)5月1日 粕屋線が戦時買収により国有化され、香椎線となる。

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『株式会社年鑑. 昭和17年版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  2. ^ 岩谷は沿線に鉱区権を所有していた
  3. ^ 『人事興信録. 10版(昭和9年) 上卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 「私設鉄道株式会社免許状等下付」『官報』1900年6月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ 「仮免許状下付」『官報』1904年1月4日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ 「運輸開始」『官報』1904年1月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  7. ^ 「運輸開始」『官報』1905年6月8日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 「運輸開始」『官報』1906年1月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  9. ^ 「仮免状失効」『官報』1906年1月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  10. ^ 「仮免許状下付」『官報』1907年11月12日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  11. ^ 「本免許状下付」『官報』1908年4月23日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  12. ^ 「運輸開始並停車場新設」『官報』1909年8月5日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  13. ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1915年3月15日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  14. ^ 「軽便鉄道指定」『官報』1918年3月29日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  15. ^ 「軽便鉄道免許状下付」『官報』1919年7月2日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  16. ^ 「鉄道敷設免許状下付」『官報』1919年10月27日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  17. ^ 「鉄道免許状下付」『官報』1921年10月24日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  18. ^ 認可1923年12月8日『鉄道省鉄道統計資料. 大正12年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  19. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1924年5月28日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  20. ^ 「地方鉄道運輸開始」『官報』1925年7月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  21. ^ 『地方鉄道及軌道一覧 : 附・専用鉄道. 昭和10年4月1日現在』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  22. ^ 「鉄道免許一部取消」『官報』1935年6月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  23. ^ 「鉄道起業廃止」『官報』1936年1月30日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  24. ^ 「軌道運輸営業廃止」『官報』1939年8月3日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  25. ^ 契約は九州鉄道管理局長との間で博多湾鉄道所有の蒸気機関車3両と蒸気動車2両を鉄道院10形蒸気機関車5両と軌条に交換。「博多湾鉄道の機関車」74頁受入譲渡『鉄道院年報. 明治43年度』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  26. ^ 「博多湾鉄道の機関車」76頁
  27. ^ 『客車略図 上巻』(国立国会図書館デジタルコレクション)


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