南宮大社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/22 22:13 UTC 版)
概要
岐阜県西部、南宮山の山麓に鎮座する。「国府の南に位置する宮」として「南宮」を名乗るようになったとされる。鉱山を司どる神である金山彦命を祭神としており、全国の鉱山・金属業の総本宮として古くから信仰を集めている。境内には江戸時代の遺構18棟が残っており、国の重要文化財に指定されている。式年遷宮は51年毎に行われる。
祭神
- 主祭神
- 金山彦命 (かなやまひこのみこと)
- 配神
- 彦火火出見命
- 見野命
歴史
社伝では、崇神天皇の時代に創建されたとされる。
平安時代中期の『延喜式神名帳』には「美濃国不破郡 仲山金山彦神社」と記載され名神大社に列している。また、美濃国一宮とされた。
文亀元年(1501年)4月、社殿や僧房が悉く焼失する火災が起きたが、守護の土岐政房により復興が行われ、永正8年(1511年)に完成した[1]。
1600年(慶長5年)、関ヶ原の戦いで焼失し、1642年に徳川家光が岡田善政を奉行として再建した[2]。この際に作成された文書が現在まで残されており、再建にかかった費用などが事細かに記された貴重な資料として国の重要文化財に指定されている[3]。
1868年、神仏分離により神宮寺が分離移転した(現朝倉山真禅院)。
近代社格制度のもとで、1871年(明治4年)に「南宮神社」として国幣中社に列し、1925年(大正14年)に国幣大社に昇格した。戦後、「南宮大社」と改称した。
神階
- 承和3年(836年)11月4日、従五位下 (『続日本後紀』) - 表記は「仲山金山彦大神」
- 承和13年(846年)5月8日、正五位下 (『続日本後紀』) - 表記は「中山金山彦神」
- 貞観元年(859年)正月27日、正三位 (『日本三代実録』) - 表記は「中山金山彦神」
- 貞観6年(864年)5月21日、従二位 (『日本三代実録』) - 表記は「中山金山彦神」
- 貞観15年(873年)4月5日、正二位 (『日本三代実録』) - 表記は「中山金山彦神」
- 康平5年(1062年)、正一位
境内
- 建造物
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拝殿(重要文化財)
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高舞殿(重要文化財)
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楼門(重要文化財)
- 本殿 - 重要文化財
- 幣殿 - 重要文化財
- その他
- 聖武天皇旧跡 - 大仏建立勅願所碑 など
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瓦塚
社殿の古瓦を集めた塚。 -
神社入口
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大鳥居(高さ21m)
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石輪橋(重要文化財)
固有名詞の分類
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