内田康哉 内田康哉の概要

内田康哉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/19 18:45 UTC 版)

内田 康哉
うちだ こうさい(やすや)
内田康哉
生年月日 1865年9月29日
慶応元年8月10日
出生地 日本肥後国八代郡竜北
(現:熊本県八代郡氷川町
没年月日 (1936-03-12) 1936年3月12日(70歳没)
死没地 日本東京府東京市
出身校 東京帝国大学法科卒業
前職 外交官
称号 従一位
勲一等旭日桐花大綬章
伯爵
配偶者 内田政子
親族 黒田五郎左衛門(祖父)
内田玄真(父)
内田寛治(養子)
土倉庄三郎(義父)

第24・34・44代 外務大臣
内閣 第2次西園寺内閣
原内閣
高橋内閣
加藤友三郎内閣
齋藤内閣
在任期間 1911年8月30日 - 1912年12月21日
1918年9月29日 - 1923年9月2日
1932年7月6日 - 1933年9月14日

内閣 原内閣
加藤友三郎内閣
在任期間 1921年11月4日 - 1921年11月13日
1923年8月24日 - 1923年9月2日
テンプレートを表示
タイム』の表紙をかざる内田。

明治大正・昭和の3代にわたって外務大臣を務めた唯一の人物。戦前の日本を代表する外政家だが、その外交姿勢は時期によって揺れがあり、単純ではない。通算外相在職期間7年5か月は、現在に至るまで最長である。


注釈

  1. ^ 震災から6日後の9月7日には治安維持法の前身となる勅令治安維持の為にする罰則に関する件』が下された。

出典

  1. ^ 熊本教育振興会『肥後の人物ものがたり』熊本教育振興会事務局、1988、152-153頁。
  2. ^ 『官報』号外、大正12年8月25日
  3. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年、38頁。
  4. ^ 大杉一雄『日中十五年戦争史』(中公新書、1996年)95頁
  5. ^ 岡崎久彦「重光・東郷とその時代」PHP文庫、2003年、P63
  6. ^ a b Who's Who - 同志社女子大学ウェブサイト
  7. ^ Bryn Mawr College Calendar, 1914 Bryn Mawr, PA: Bryn Mawr College、1914
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac 内田康哉」 アジア歴史資料センター Ref.A06051177000 
  9. ^ 『官報』第2127号「叙任及辞令」1890年8月1日。
  10. ^ 『官報』第2776号「叙任及辞令」1892年9月27日。
  11. ^ 『官報』第3737号「叙任及辞令」1895年12月11日。
  12. ^ 『官報』第4343号「叙任及辞令」1897年12月21日。
  13. ^ 『官報』第5272号「叙任及辞令」1901年2月1日。
  14. ^ 『官報』第6815号「叙任及辞令」1906年3月22日。
  15. ^ 『官報』第7752号「叙任及辞令」1909年5月1日。
  16. ^ 『官報』第8666号「叙任及辞令」1912年5月11日。
  17. ^ 『官報』第2640号「叙任及辞令」1921年5月21日。
  18. ^ 『官報』第1670号「叙任及辞令」1932年7月25日。
  19. ^ 『官報』第2759号「叙任及辞令」1936年3月16日。
  20. ^ 『官報』第3354号「叙任及辞令」1894年9月1日。
  21. ^ 『官報』第5243号「叙任及辞令」1900年12月21日。
  22. ^ 『官報』第5598号「叙任及辞令」1902年3月6日。
  23. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年3月31日。
  24. ^ 『官報』第199号・付録「辞令」1913年4月1日。
  25. ^ 『官報』第7307号、明治40年11月5日。
  26. ^ 『官報』第8454号「叙任及辞令」1911年8月25日。
  27. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  28. ^ 『官報』第2431号「叙任及辞令」1920年9月8日。
  29. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
  30. ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
  31. ^ 『官報』第4051号「叙任及辞令」1896年12月28日。
  32. ^ 『官報』第5488号「叙任及辞令」1901年10月16日。
  33. ^ 『官報』第5718号「叙任及辞令」1902年7月26日。
  34. ^ 『官報』第165号「叙任及辞令」1913年2月19日。
  35. ^ 『官報』第519号「叙任及辞令」1914年4月24日。


「内田康哉」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「内田康哉」の関連用語

内田康哉のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



内田康哉のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの内田康哉 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS