中国の科学技術史
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元代の技術伝播
元代の13世紀にも経済的観点による技術革新があったが、これはクビライの時代の初の紙幣の大量生産である[2]。13世紀になるとヨーロッパとモンゴルの間では度々接触があったが、その代表は不安定なフランクとモンゴルの同盟である。西方で展開した戦線では、攻城包囲戦専門の中国人部隊が編成され、モンゴル軍の一翼を担った。1259年-1260年にアンタキヤ公ボエモン6世とその義父アルメニア王ヘトゥム1世率いるフランス騎士団とフレグのモンゴル軍は軍事同盟を結び、共同でイスラム教シリアの征服に乗り出し、まずアレッポ、次にダマスカスを攻略した[28]。ロジャー・ベーコンの個人的知己で1254年-1255年にフランス国王ルイ9世の命を受けモンゴル帝国を訪れたウィリアム・ルブルックは、東西間で火薬のノウハウ移転を仲介した人物らしいといわれる[29]。羅針盤は1219年-1223年にかけてペルシアのモンゴル人を訪れたテンプル騎士団総長ペドロ・デ・モンタギューがヨーロッパに持ち帰ったといわれる[30]。
中国におけるイエズス会の活動
イエズス会中国使節は16世紀-17世紀にヨーロッパの科学と天文学を中国に持ち込み、中国の社会改造を実行した。アメリカの歴史家トーマス・ウッズによれば、イエズス会は『惑星の動きが理解できるユークリッド幾何学など、物理的宇宙を理解するための大量の科学知識と、諸々の心理的小道具をこの地に持ち込んだ』[3]。またウッズが引用した別の専門家によれば、イエズス会が科学革命を持ち込んだとき、偶然にも中国では科学が低調だったという。
イエズス会は西洋の数学と天文学の業績を中国語に翻訳し、中国人学者の関心を喚起した。マテオ・リッチは、儒教の教義を本部に報告し、イントルチェッタ神父は儒教の日常と業績を1687年にラテン語で出版した[31]。この仕事はこの時代のヨーロッパの知識人にとり大変重要であったとみられる。ことに理神論者や啓蒙主義者は儒教の倫理体系とキリスト教倫理の統合に関心を払った[32][33]。
アダム・スミスの先達で近代経済学を確立したフランスの重農主義者フランソワ・ケネーは『ヨーロッパの儒家』とよばれた[34]。その思想と自由放任 Laissez-faire という主義の名称も、中国の『無為』に想を得たものとみられる[35][36]。ゲーテは『ワイマールの儒家』とよばれた[37]。
科学技術の停滞
歴史研究者の間で交わされる議論の主題となるのが、中国で科学革命が進展しなかった理由は何か、また中国の技術がヨーロッパの後塵を拝した理由は何かである。文化から政治経済まで各種の仮説が提唱されている。ネイサン・セビンの論点は、「中国にも科学革命は17世紀に存在したが、我々は西洋と中国の科学革命を政治・経済・社会の視点に細分化して理解するにはまだ程遠い」というものだ[38]。ジョン・キング・フェアバンクの主張は、中国の政治制度が科学発展の障害であったとする。
文化的要因が『科学』と呼びうるものの発達を妨げたというニーダムの仮説には賛同者が多い[3]。中国の知識人が自然界の法則性を信じる障害になっているのが、宗教・哲学の枠組であるというものだ。
同様な土壌が伝統医療の背景となる哲学全般にもみられる。その哲学は古来の中国の信仰を反映した道教思想に由来する。そこでは各個人の経験は環境に対してあらゆる影響を発揮する主因的原理となる。これは科学的方法以前の論理であり、科学的思考によりさまざまな批判を受けてきた。そのため解剖学や組織学の観点から経穴や経絡の存在を物理的に検証しうる、たとえば皮膚の伝導性がしかるべき点で増大するとしても[40]、懐疑派の哲学者ロバート・キャロルなどは、『メタフィジカルな主張と経験的主張を混同する』という理由で鍼灸術を疑似科学とみなす[41]。
近年の歴史家は政治や文化の側面からの説明に疑問を呈してきた。また、経済的原因により焦点を当ててきた。マーク・エルヴィンが提唱する「高水準均衡の罠」は、この考え方に沿った例であり、ケネス・ポメランツの論議と同様、新大陸から得られた資源がヨーロッパと中国の発展に決定的な差をつけたというものだ。そのほかに海禁や文化大革命などの出来事が重要な時機に中国を孤立させてきたとする。
注釈
出典
- ^ a b c Ancient Chinese Astronomy Archived 2006年2月22日, at the Wayback Machine.
- ^ a b c d e f g h i Inventions (Pocket Guides).
- ^ a b c Woods
- ^ a b Agustín Udías, p.53
- ^ 道家, 達将「第7回 1954年頃の東と西の科学史」『学術の動向』第2巻第2号、1997年、46–51頁、doi:10.5363/tits.2.2_46、ISSN 1884-7080。
- ^ [1], [2]
- ^ Video: Computers: The Abacus. Encyclopædia Britannica.
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- ^ Buildings (Pocket Guides).
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- ^ Liang, pp. Appendix C VII
- ^ Kelly, p. 3
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- ^ Kelly, p. 22. "1240年頃アラブ人は東方、恐らくインドから硝石の知識を入手した。アラブ人は程なく火薬を知った。また花火やロケットも知った
- ^ Novum Organum, Liber I, CXXIX - Adapted from the 1863 translation(ノヴム・オルガヌム:1863年翻訳版より)
- ^ a b c d Turnbull, p. 43
- ^ a b c d Money of the World Special Christmas Edition, Orbis Publishing Ltd, 1998.
- ^ 邦訳『夢渓筆談』は、梅原郁訳注、平凡社東洋文庫 全3巻
- ^ Mayall N.U. (1939), The Crab Nebula, a Probable Supernova, Astronomical Society of the Pacific Leaflets, v. 3, p.145
- ^ Abstracta Iranica
- ^ "Histoire des Croisades", René Grousset, p581, ISBN 226202569X
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- ^ Source
- ^ "Windows into China", John Parker, p.25
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- ^ "The Eastern origins of Western civilization", John Hobson, p194-195, ISBN 0521547245
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- ^ "The Eastern Origins of Western Civilization", John M. Hobson, p.196
- ^ Quarterly Review of Comparatice Education Online source
- ^ Nathan Sivin's Curriculum Vitae
- ^ ジョゼフ・ニーダム, p. 581.
- ^ see _The Body Electric_ by Robert O. Becker, M.D., pgs 233-236
- ^ “From Abracadabra to Zombies”. 2024年1月11日閲覧。
- ^ 「新4大発明」が中国のシンボルに、全人代の政府活動報告でも重要性指摘―中国メディア, Record China, (2018-03-07) 2018年3月8日閲覧。
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