三菱ダイヤモンドハイウェイ 1960年代 - 1970年代前半頃

三菱ダイヤモンドハイウェイ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/11 10:11 UTC 版)

1960年代 - 1970年代前半頃

TBSラジオ

1961年から1971年1972年から1974年の二期に渡り、TBSラジオ東京放送[注 1]ラジオ部門)で放送された。

1961年 - 1971年

三菱ダイヤモンド・ハイウェイ
(TBSラジオ。1961年 - 1971年)
愛称 ダイヤモンド・ハイウェイ
ジャンル 情報番組 / ワイド番組
放送方式 生放送
放送期間 1961年2月13日 - 1971年4月30日
放送時間 毎日 15:10 - 18:00(開始当時)
平日 17:30 - 18:00(終了当時)
放送局 TBSラジオ
パーソナリティ#出演者参照)
提供 三菱グループ各社(三菱石油ほか)
テンプレートを表示

1961年2月13日から1971年4月30日にかけて[1][7]、毎日[1](のちに平日のみ[1])の帯番組として生放送された。開始当時の放送時間は毎日15:10 - 18:00[1]、終了当時は平日17:30 - 18:00[1]

三菱石油と新三菱重工業(のちの三菱重工業[11]または三菱商事と三菱石油[12]が提供スポンサーを務めていた(三菱石油一社提供の時期もあり[13])。

2002年に東京放送から発行された『TBS50年史』各種資料では、本番組のジャンルについて「生ワイドパーソナリティー番組」[1]または「情報[7]として扱われている。

ドライバー向けの情報番組として、交通情報をはじめ、鉄道航空などの運行情報、気象概況などに音楽を挟んだ構成だった[7]。その間、1962年10月には、夕方のドライバー向け編成強化のため、放送時間を50分から70分へ拡大した[14](1963年3月当時の放送時間は毎日16:20 - 17:30、出演者は平日・土曜が杉山真太郎と大沢嘉子、日曜が金坂光春と相場君子、スポンサーは三菱商事と三菱石油だった[12])。

1963年4月11日から1965年10月10日まで、プロ野球シーズンとなる4月から9月または10月までの日曜については、プロ野球中継日曜薄暮ゲーム』(16:20 - 18:55)が編成されない時にのみ放送されていた[15]

1964年7月13日から平日・土曜はワイド番組『オーナー』の内包番組(コーナー)として16:20 - 17:30に放送[16](一部資料では16:20 - 17:00[7]としているが、誤り)。「お相手」として山口紘子が出演した[16]。コーナーとしては1966年10月1日の『オーナー』終了まで続いた。

1967年5月、朝日放送(ABC)ラジオ[注 2]が日本で初めてヘリコプターを導入した交通情報番組として『空からこんにちは〜ABCヘリ情報〜』を開始[17][18]。TBSラジオも視察ののち、6月より本番組内で同様の交通情報を開始[17](開始日は6月10日[19][20])。また、この導入を機に、ヘリによる交通情報をメインとする番組として、同年9月4日より、平日・土曜の朝に『トヨタ・スカイパトロール』が開始された[17]

1968年4月頃には、17:00 - 17:30に変更(同月当時のパーソナリティは平日が清水将夫、日曜が吉田未来。提供スポンサーは三菱石油の一社だった)[13]

1970年までには、平日のみの放送となっている。

『「ダイヤモンド・ハイウェイ」ファンの集い』と題したリスナー向けの公開イベントを行ったこともあった[21]

出演者(TBSラジオ。1961年 - 1971年)
歴代の主な進行役(参考:『TBS50年史』資料編P195)

※今井以外は、担当当時TBS[注 1]アナウンサーだった(今井は、退社後の担当[33])。

上記以外の出演者
  • 三国一朗・山田照子(1966年頃、日曜日の進行役を担当[34]。山田はTBSアナウンサー[35]
  • 吉田未来(1968年当時、日曜を担当[13]
上記以外の出演者(TBS[注 1]アナウンサー)
  • 高野昭平(1961年[36]
  • 金坂光春(1962年[37]) ※1963年3月当時、日曜日を担当[12]
  • 料治直矢(1963年[38]
  • 相場君子(1962年[39]) ※1963年3月当時、日曜日を担当[12]
  • 原田淑枝(1964年[40]) ※1964年10月当時、三国とともに日曜を担当[41]

1972年 - 1974年

1972年の春頃には、『東京ダイヤル』(17:00 - 18:40)の内包コーナーとして17:00 - 17:30の枠に再開[42]。三菱石油の一社提供[42]1973年4月、同枠が『おつかれさま5時です』(17:00 - 18:00)となったあとも内包コーナーとして続行[43]。1974年まで続いた[44]

近畿地区での放送

近畿地区では、以下のように放送されていた。

朝日放送

ABC[注 2]では、1964年4月1日から1968年9月30日にかけて毎日放送された[45]。ジャンルは、音楽番組[45]。放送時間は、月曜から土曜は17:00 - 17:50、日曜は14:00 - 14:20だった(変更あり)[45]

毎日放送

ABC[注 2]の終了後は、毎日放送(MBS)が1968年10月1日から1971年4月30日まで[9]放送した。当初は毎日[9]、1970年4月6日より週6回[9]、1971年4月12日から週5回[9]の割合で、17:00 - 17:27[9]の時間帯に放送された。

出演者は、阪本時彦[9]角淳一(1969年4月16日より[9]、分担[9])、キャサリン・モーリス(1969年5月7日より参加[9])。『時さんのラジオ大通り』(「時さん」こと阪本がパーソナリティを務めていた平日夕方の生ワイド番組)へ内包されていた時期には、「時さんのダイヤモンドハイウエイ」というタイトルを独自に付けていた。


  1. ^ a b c 1951年5月にラジオ東京として会社設立。同年12月25日にラジオ放送局として開局。1953年12月よりKRTの略称を採用。1955年4月にテレビ本放送開始・ラテ兼営局となる。1960年11月29日に社名を東京放送・略称をTBSへ変更。以降、ラジオ局部門について「東京ラジオ」(1961年以降は「TBSラジオ」)と呼ばれるようになる。2001年10月にラジオ局部門がTBSラジオ&コミュニケーションズ(略称:TBS R&C)、2009年4月にテレビ局部門がTBSテレビへそれぞれ分離し、放送持株会社化(社名を東京放送ホールディングス・略称をTBSHDにそれぞれ変更)。TBSの略称はTBSテレビへ移行した。2016年4月にTBS R&CはTBSラジオへ社名変更。2020年10月に東京放送ホールディングスはTBSホールディングスへ社名変更。アナウンサーの配属先も、持株会社化を機にTBSテレビへ移行した(2004年10月のTBSテレビ発足時に東京放送在籍者が全て出向、2005年以降の新規採用者はすべてTBSテレビの在籍[69])。
  2. ^ a b c d 1951年3月15日に朝日放送(ABC)として会社設立。同11月11日ラジオ単営局として開局。1959年6月に大阪テレビ放送(OTV)を合併しラジオ・テレビ兼営局となる。2018年4月に朝日放送グループホールディングスへと社名変更・放送持株会社化し、ラジオ放送業務は朝日放送ラジオ(ABCラジオ)、テレビ放送業務は朝日放送テレビ(ABCテレビ)としてそれぞれ子会社の運営に移行。アナウンサーの配属先はABCテレビに移行した。





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「三菱ダイヤモンドハイウェイ」の関連用語

三菱ダイヤモンドハイウェイのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



三菱ダイヤモンドハイウェイのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの三菱ダイヤモンドハイウェイ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS