ママとあそぼう!ピンポンパン ママとあそぼう!ピンポンパンの概要

ママとあそぼう!ピンポンパン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/06 13:53 UTC 版)

ママとあそぼう!ピンポンパン
(みんなとあそぼう!ピンポンパン)
ジャンル 子供向け番組
企画 白川文造
出演者 渡辺直子
石毛恭子
酒井ゆきえ
大野かおり
井上佳子
ほか、こちらも参照。
国・地域 日本
言語
製作
プロデューサー 横澤彪
荒井忠志
藤井剛彦
制作 フジテレビ
放送
放送チャンネルフジテレビ系列
音声形式モノラル放送
放送国・地域 日本
放送期間1966年10月3日 - 1982年3月31日
放送時間放送時間参照

特記事項:
1971年4月1日よりカラー化。[1]
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本項では同番組のリメイク番組として2000年12月4日から2002年4月5日までBSフジで放送されていた『うたであそぼうピンポンパン』についても記述する。

概要

NHKの『おかあさんといっしょ』を意識し、番組の進行を「お姉さん」「お兄さん」などと呼んでいた。また、河童のキャラクター・カータンや巨大な唇がトレードマークの毛虫のキャラクター・デベロンも人気を集めた。また、番組中からいくつか広く歌われるようになった歌も生まれており、中でも1971年発売の「ピンポンパン体操」はオリコン童謡チャートで1位となり、260万枚[2]を売り上げる大ヒットを記録し、1972年の第14回日本レコード大賞童謡賞を受賞している(同曲を作曲した小林亜星のオフィシャルサイトでは大雑把に200万枚以上[3]としている)。

番組名の由来はプッチーニ作曲のオペラトゥーランドット」の登場人物で狂言回し役の3人の大臣ピン・ポン・パンPing, Pong, Pangから[要出典]

番組は当初白黒放送だったが、1971年4月1日からカラー放送となっている。[1]

視聴率は、開始当初から長らく3%前後で伸び悩んでいたが、1971年11月〜12月には「ピンポンパン体操」の人気と共に8.5%にまで上昇[4]。1972年3月には幼児向け番組としては異例となる朝の視聴率が7〜8%、夕方の再放送が9〜10%に達した[5]

毎回、番組のラストに新兵ちゃんの「おもちゃへいこう!」の掛け声を合図に、出演者の子供たちがスタジオセットの大木、「おもちゃの木」の節の中に用意されたおもちゃを取りに行く様子は、テレビの前の子供たちを羨ましがらせた(このコーナーは2代目お姉さんの時代から定着。ただし、土曜日には無かった)。

1972年、第9回放送批評家賞(ギャラクシー賞)を受賞[6]

1975年からの酒井ゆきえお姉さん時代からは、子役グループの「ビッグ・マンモス」がレギュラーに加入、そして酒井時代後期からレギュラーによる、「にっこり町」を舞台にした町内コメディーをメインにする様になった。

番組の終焉とその後

1980年ごろから番組も低迷期に入る。後年には、番組の支え役だった河童のキャラクター・カータンが1981年12月31日で卒業し、1982年1月4日から、新キャラクターのバビちゃんを迎えて番組イメージの刷新を図ったが、1982年3月31日に15年半の歴史に幕を閉じた[注 1]。最終回では歴代のお姉さん(初代の渡辺直子はVTR出演)や、坂本新兵・金森勢(初代お兄さんとして紹介された)・石村治樹・カータン・富山敬(ドンピー、ラック、ブチャ役)・富田耕生(デベロン、手羽チキン、ワンダー・ワンタン役)や、番組グループのビッグ・マンモスとレディー・バッグ、音楽担当の服部克久などが出演、そして最後は全員で番組オリジナルソング「レッツゴーともだち」を歌い[注 2]、(井上)「さようなら〜!!」(全員)「さようなら〜!!」と叫ぶと、画面下部に「『さようなら』のむこうは明日のとびら」のテロップが表示されて大団円となった[注 3]

2013年5月5日、番組初のDVD化となる『ママとあそぼう!ピンポンパン DVD-BOX』が発売[7]


注釈

  1. ^ 同日には同じく平日朝の『小川宏ショー』も終了している。
  2. ^ 2番の時は、主調整室副調整室内の番組スタッフがカットインされた。
  3. ^ このエンディングは、1993年7月31日に同局で生放送された『人気バラエティ最終回 感動の大特集』(『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!打ち切りに伴い急遽編成された番組)で放送(同日終了の『小川宏ショー』も放送)、番組では放送当時のお姉さん・本間淳子(井上佳子)がゲスト出演した。
  4. ^ インフォメーションジョッキー 起きてますか』→『(園井啓介)セブンショー』。なお『起きてますか』は当番組と同日に開始。
  5. ^ 『ニュース7:30』は『サンケイテレビ朝刊』に再度改題。
  6. ^ 『チビッコ劇場』は『小川宏ショー』繰り上げに伴い、平日放送を廃止して土曜限定に変更された(この次番組が『雑学百科』)。
  7. ^ あつまれ!チビッコ劇場』を放送。
  8. ^ 番組ではかつてのお姉さんとお兄さんの等身大パネルが置かれたが、大野と井上のパネルは前期衣装(白シャツとジャンパースカート)時代の物が置かれた。
  9. ^ それまで北海道のフジテレビ系放送局であった札幌テレビでは未放送。
  10. ^ 1981年以前はフジテレビ系列フルネット局。
  11. ^ 1975年4月から1980年3月31日まではフジテレビ系列・テレビ朝日系列クロスネット。現在はテレビ朝日系列フルネット。
  12. ^ 1981年3月まではフジテレビ系列・日本テレビ系列・テレビ朝日系列トリプルネット。
  13. ^ 平日の全日放送開始とともにネット開始。ただし、当初は17時からの放送だった。
  14. ^ 1979年3月31日まではテレビ朝日系列とのクロスネット。
  15. ^ 1978年9月30日までは日本テレビ系列フルネット。
  16. ^ 早朝放送に移行後も、1979年9月までは同時ネットで放送していたが、1979年10月1日から日本テレビ系列の朝の情報番組『ズームイン!!朝!』をネットすることになったために、同日からは月曜 - 金曜 16:30 - 17:00での遅れネットに移行した。
  17. ^ テレビ長崎と同じ理由で月 - 金は打ち切り
  18. ^ テレビ長崎と同じ理由で打ち切り

出典

  1. ^ a b 朝日新聞 1971年4月1日 朝刊 P.13 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  2. ^ 木村英俊『THEアニメ・ソング―ヒットはこうして作られた』角川書店、1999年、174頁。ISBN 4048531522
  3. ^ 小林亜星:プロフィール(2010/4/20閲覧)
  4. ^ 「ピンポンパン体操の歌のレコード 二週間で三十万枚 視聴率も押し上げる」『読売新聞』1972年1月21日付朝刊、23頁。
  5. ^ 「子どもにもてもて ピンポンパンの金森勢 ママよりおにいさんの一言」『読売新聞』1972年3月22日付夕刊、7頁。
  6. ^ 第9回ギャラクシー賞受賞作品”. 放送批評懇談会. 2014年11月14日閲覧。
  7. ^ “女子アナブームの元祖『ママとあそぼう!ピンポンパン』がDVDで31年ぶり復活”. ORICON STYLE (オリコン). (2013年2月19日). https://www.oricon.co.jp/news/2021779/full/ 
  8. ^ 出典:「タイムテーブルからみたフジテレビ35年史」(フジテレビ編成局調査部)31 - 91頁 1994年
  9. ^ 金森勢(かなもり せい、本名・金森松里。1944年1月15日- 東京都出身。)
  10. ^ 宮澤芳春(みやざわ・よしはる、本名・同じ。1956年3月21日- 長野県出身。)
  11. ^ 石村治樹(いしむら はるき、本名・石村正夫(いしむら まさお))。2002年6月24日死去、享年53歳。
  12. ^ 担当声優の大竹宏が実際に住んでいた「高幡不動」の事(『カータンのなみだ 声優伝・大竹宏』新風舎、1999年3月31日、219頁。 )。
  13. ^ 竹内義和『TV視聴上の御注意とお願い―目だけでなく脳・筋肉・心臓など全身を駆使してテレビを見るマルチ視聴』メタモル出版、1994年、190頁。ISBN 4-89595-071-9。ただし、同書では「お姉さん」の実名の記載はない。
  14. ^ [TVトピックス]三代の“おねえさん” 10周年の「ピンポンパン」に出演 『読売新聞読売新聞社。1976年10月12日朝刊 28頁。
  15. ^ ピンポンパン3代おねえさん集合 『毎日新聞毎日新聞社。1976年10月5日・(東京)朝刊テレビ欄 22頁。
  16. ^ 『毎日新聞』毎日新聞社。1976年12月31日・(東京)朝刊 同日付の朝刊テレビ欄。16頁。
  17. ^ 「石原さとみ“お姉さん”がコスプレ姿披露、まるちゃんと共演」サンケイスポーツ、2007年12月4日。
  18. ^ 『読売新聞』読売新聞社。1987年3月20日・朝刊 同日付の朝刊テレビ欄 24頁。
  19. ^ a b 下野新聞 縮刷版』下野新聞社、1982年4月3日 - 1983年3月26日。 ラジオ・テレビ欄
  20. ^ 『カータンのなみだ』新風社、228 - 229頁。 
  21. ^ 河北新報』1972年10月16日 - 1973年9月7日付朝刊テレビ欄。
  22. ^ a b 『河北新報』1971年8月2日 - 1973年9月7日付朝刊、テレビ欄。
  23. ^ 福島民報』1967年10月2日 - 10月27日、1982年3月1日 - 3月31日付朝刊テレビ欄。
  24. ^ 『福島民報』1971年4月5日 - 1971年9月30日付朝刊、テレビ欄。
  25. ^ 『福島民報』1973年4月3日 - 1975年3月24日付朝刊、テレビ欄。
  26. ^ a b 『北國新聞』1969年4月7日 - 4月13日付朝刊、テレビ欄。
  27. ^ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)174pより。
  28. ^ サンケイ新聞』(近畿D版・岡山版)1977年8月6日付朝刊テレビ欄。


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