サーブ 35 ドラケン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/30 05:22 UTC 版)
開発経緯
高空を亜音速で飛来するジェット爆撃機の脅威は1940年代末以降各国で深刻化したが、それに対抗可能な超音速要撃戦闘機の開発はなかなか進展せず、スウェーデン空軍も例外ではなかった。
1949年9月にFMV(Försvarets materielverk, 防衛装備局(庁))が策定した基本仕様を受け、早速ドラケンの開発は着手された。要求仕様は他に、有事の際一時的に滑走路として使用される公道からでも2,000m以内で離着陸可能なSTOL性や、10分以内での再給油/再武装といった、国情に即したものも含まれていた。
主翼は独自開発した革新的なダブルデルタ翼とした。これはその後の超音速機で広く普及するストレーキの先駆と呼べるものであり、無尾翼機・デルタ翼機の弱点とされるSTOL性能を改善する効果があった。超音速風洞も完備しない限られた環境で、前例のないダブルデルタ翼の効果を検証するために、1952年から1/2スケールの試作機サーブ 210(リルドラケン)が先行して飛行試験を行い、独自コンセプトの正しさが裏付けられた。
超大国やその他の列強とは比較にならない小人数・低予算下でも開発は堅実に進められ、試作機は1955年にロールアウトした。射出座席やFCSなど周辺機器も自力開発され、また輸出にも成功した。
設計
ドラケンは世界で初めてダブルデルタ形式の翼平面形を実用化した航空機であり、後世に主流となる大型ストレーキを装備した戦闘機の嚆矢となった。またチャイン、ドーサルフィン(補助垂直尾翼)、ブレンデッドウィングボディ形式の先駆けとしても知られる。
当初国産のSTAL Dovernターボジェットエンジンを採用する予定だったが、早期に計画頓挫したため、実績あるロールス・ロイス製エイヴォン200・300系を基に、ライセンス生産社のスヴェンスカ フリグモーター (Svenska Flygmotor、後のボルボ・エアロ)がより大型の自社製アフターバーナーに換装した RM6B/C に転換した。同じ目的で開発され同じエンジンを搭載するイングリッシュ・エレクトリック ライトニングと同様、エンジンには自律始動可能な液体スターターが組み込まれ、外部機器の支援を受けずに緊急発進を可能にしていた。通常、着陸滑走距離を短縮するためのドラッグシュートは、デルタ翼機に不可避のスピン脱出目的で空中でも使用することができた。
艦上機ではないものの、シェルター格納の必要から外翼部が容易に取り外せる構造で、短縮時の全幅は5m以下に納まり、村落の牛舎や営農倉庫のような場所にも隠蔽可能な小型軽量ぶりであったが、その反面、機内燃料搭載スペースは限られ、航続距離は短いものに留まった。また飛行安定性に難がありスーパーストール(縦スピン)癖が強く、フライ・バイ・ワイヤの補助がなかった時代も相まって、パイロットには高い技量が求められた。そのため、それまで単座型しかなかったスウェーデン製ジェット戦闘機と対照的に、飛行訓練用の複座型が初めて製造された[1]。
運用
総計615機のドラケンが製造された。
- スウェーデン空軍
- 1999年にJ35Jが最終飛行を行い退役した。なお、1997年に最終飛行を行ったSK35C(シリアルナンバー35810)は、2001年に国産軍用機の動態保存を行っている「スウェーデン空軍ヒストリックフライト(SwAFHF)」が入手し、オーバーホールを経て動態保存機として運用されている[1]。
- フィンランド空軍
- 1972年から運用を開始、1995年よりF/A-18による置き換えが始まり、2000年に全機が退役。
- デンマーク空軍
- 1970年から1992年まで運用。
- オーストリア空軍
- 1985年、スウェーデン空軍の中古機24機を採用。1987年から導入開始。オーストリア空軍は後継機としてユーロファイター タイフーンを採用したため、スウェーデン政府はグリペン不採用の報復として、同国が運用していた同機のメンテナンス費用を正規価格に変更した。そのため、オーストリア政府は、スイスからF-5Eをリースし、2005年12月にドラケンを全機退役させた。この事案は後継機のビゲンを売り込む際に懸念材料となった。
- アメリカ空軍
- 飛行試験用に元デンマーク空軍機を少数運用した。2000年代以降も、米国立テストパイロット学校(National Test Pilot School <NTPS>)において、複座型をクリティカルコントロールの実習教材として現用中。
固有名詞の分類
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