クラウディオ・タファレル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 09:24 UTC 版)
代表経歴
1988年7月7日のオーストラリア戦で代表デビューを果たすと、1990年のイタリアW杯でベスト16に終わったものの、全試合出場を果たした。
1994年のアメリカW杯では、正キーパーとして全試合でゴールマウスを守り、イタリアとの決勝戦ではPK戦でダニエレ・マッサーロのPKを止め、フランコ・バレージ、ロベルト・バッジョの失敗を誘い、優勝に貢献した[2]。
決勝戦から1年後の同日に行われたコパ・アメリカの準々決勝・アルゼンチン戦でもPK戦に勝利した。
それから代表からはしばらく遠ざかっていたが、トルコでの活躍を買われ、1998年のフランスW杯の代表に選出された。本大会でも準決勝のオランダ戦で2本のキックをストップしてPK戦を制し、勝利に貢献した[2]。決勝戦では地元フランス相手に3失点し、準優勝に終わった。
ブラジル代表GKとして最多出場記録を保持し、W杯通算18試合出場もGKとしては最多記録[4]。
2018 FIFAワールドカップ・ブラジル代表GKコーチ、ガラタサライGKコーチ兼任。
エピソード
トルコでは長友佑都と同じマンションに住み、まだ車が無い長友を自らが運転する車に同乗させ、クラブハウスまで連れて行っていた。[4]。また長友に本格的なイタリア料理をふるまい、長友はその料理を「びっくりするほど美味しかった」と振り返っている[9]。
個人成績
代表での成績
- 出典[1]
ブラジル代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
1988 | 7 | 0 |
1989 | 16 | 0 |
1990 | 7 | 0 |
1991 | 10 | 0 |
1992 | 2 | 0 |
1993 | 15 | 0 |
1994 | 9 | 0 |
1995 | 5 | 0 |
1996 | 0 | 0 |
1997 | 15 | 0 |
1998 | 15 | 0 |
通算 | 101 | 0 |
関連項目
- ガルヴァオン・ブエノ - ブラジルの有名なスポーツ実況アナウンサー。1994年と1998年のワールドカップに際して、ブラジルゴールが脅かされそうになった局面で“Sai que é sua, Taffarel!”「(ゴールから)出ろ、お前の(ボール)だぞ、タファレル!」という台詞を決まり文句にしていた。
- ^ a b “Claudio Andre Mergen Taffarel - Century of International Appearances” (英語). The Rec.Sport.Soccer Statistics Foundation
- ^ a b c d e “タファレル:セナのためにワールドカップを制したことを誇りに思う”. FIFA (2022年7月22日). 2023年6月20日閲覧。
- ^ “Le grandi trattative del Parma - 1990, lo sconosciuto Brolin strega Scala al Mondiale italiano”. Tutto Mercato (2020年5月13日). 2023年9月27日閲覧。
- ^ a b c d “「恐れ多い」長友、運転手が元ブラジル代表レジェンドだと明かす”. gekisaca
- ^ “リヴァプール、ブラジル代表GKコーチのタファレルと兼任契約”. Qoly
- ^ footballista 2009/8/19号 37p
- ^ a b c d e f g h “Taffarel, il portiere della Reggiana che vinse i Mondiali di Usa '94 col Brasile”. GOAL (2023年5月8日). 2023年8月18日閲覧。
- ^ “ガラタサライがプランデッリ解任を決断”. Goal
- ^ “長友佑都、あのレジェンドに手料理をご馳走になる!「男気の塊」と絶賛”. Qoly
固有名詞の分類
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