イギリス東インド会社
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インド貿易の成功がイギリス社会に与えた影響
イギリス東インド会社の活動はインド社会だけではなく、イギリスの社会・経済にも大きな影響を与えた。金融面ではイギリスにおける株式の取引が行われるようになったことであり、経済面では「キャラコ熱」がイギリスにおける産業革命をもたらした。さらに、社会的にはネイボッブと呼ばれる新しい層が台頭したことにあった。
ネイボッブとはナワーブに由来する語で、18世紀から19世紀にかけてインドで大金持ちになって帰国したイギリス人、いわゆるインド成金のことである。そのさきがけは、17世紀後半から18世紀前半にかけてダイヤモンドの採掘で財をなしたトマス・ピット(en:Thomas Pitt)である。1710年以降、トマス・ピットは、インドでの収益をもとに、イギリスの各地で土地を買い、また、何度も国会議員になった[41]。プラッシーの戦い以降、インドで財をなす人々が増えたが、彼らのイギリス国内の評判は芳しいものではなかった。ネイボッブは、腐敗選挙区で国会議員に選出され、議会では1つの圧力団体となった[41]。
主要年表
- 1600年 - 東インド会社創設
- 1602年 - ジャワ島バンテンに商館設立
- 1613年
- インド西海岸スーラトに商館設立
- 日本の平戸に商館(イギリス商館)設立
- 1623年
- アンボイナ事件
- 日本から撤退
- 1640年 - マドラスにセント・ジョージ要塞完成
- 1650年 - 東インド会社の商船が初めて香港に停泊
- 1661年 - ポルトガル領ボンベイ、英領に贈与
- 1696年 - カルカッタにウィリアム要塞完成
- 1708年 - 連合東インド会社創設
- 1711年 - 広東に商館設立
- 1717年 - ムガル帝国の皇帝からベンガル地方における輸出関税の免除特権を獲得
- 1746年 - フランス軍マドラス占領
- 1757年 - プラッシーの戦い、ベンガルにおける会社の覇権確立
- 1761年 - 仏領ポンディシェリ占領
- 1764年 - ブクサールの戦いに勝利
- 1765年 - ロバート・クライヴ、初代ベンガル知事に就任。ムガル帝国の皇帝からベンガル、ビハール、オリッサのディーワーニー(州財務長官の職務・権限)を授かる。
- 1773年 - ウォーレン・ヘースティングズ、初代ベンガル総督に就任
- 1773年 - 茶法制定。イギリスは北米13植民地での紅茶の販売力強化による会社救済を目指したが、植民地住民の反発に遭いボストン茶会事件が起こる。その10年後の1783年には、アメリカ合衆国が独立することになる。
- 1799年 - 第四次マイソール戦争に勝利。マイソール王国を藩王国化。
- 1803年 - 第二次マラーター戦争。デリーを保護下に置く。
- 1808年 - 長崎フェートン号事件
- 1811年 - インド軍、オランダ領ジャワ侵攻
- 1813年 - インド貿易の独占権喪失
- 1817年 - 第三次マラーター戦争開始
- 1818年 - マラーター同盟を解体
- 1826年 - 海峡植民地創設
- 1833年 - 中国貿易の独占権喪失に伴い商業活動停止
- 1841年 - アヘン戦争( - 1842年)
- 1849年 - 第二次シク戦争に勝利。インドの植民地化完了
- 1857年 - インド大反乱(セポイの乱)が勃発
- 1858年 - インド管轄権を失う
- 1874年 - 会社解散
脚注
出典
- ^ 浅田實(1989), p. 14.
- ^ a b 羽田正(2007), p. 74-82
- ^ a b c d 末廣幹 著「第二章 ブリタニアの胎動」、小野功生・大西晴樹 編『<帝国>化するイギリス』彩流社、2006年、53-88頁。ISBN 4-7791-1172-2。
- ^ 羽田(2007), p. 95-100.
- ^ 浅田(1989), p. 38-40
- ^ 浅田(1989), p. 71-84.
- ^ Barbara D. Metcalf, Thomas R. Metcalf 著、河野肇 訳『ケンブリッジ版世界各国史_インドの歴史』創土社、2006年、73-74頁。ISBN 4-7893-0048-X。
- ^ Barbara D. Metcakf, Thomas R. Metcalf、河野肇訳(2006) pp.75-78
- ^ 羽田(2007), p. 202-203.
- ^ Barbara D. Metcakf, Thomas R. Metcalf、河野肇訳 (2006) pp.70-72
- ^ 羽田(2007), p. 204-206.
- ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.197
- ^ 羽田(2007), p. 292-295.
- ^ 羽田(2007), p. 296-299.
- ^ 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、pp.272-273
- ^ 羽田(2007), p. 300-303.
- ^ 羽田(2007), p. 314-316.
- ^ a b c d e f g Barbara D. Metcakf, Thomas R. Metcalf、河野肇訳(2006) pp.86-134
- ^ 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.301
- ^ a b 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.277
- ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.207
- ^ 辛島『世界歴史大系 南アジア史3―南インド―』、p.208
- ^ 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.297
- ^ 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.280
- ^ 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.281
- ^ a b 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.282
- ^ 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.283
- ^ 藤井毅 著「第7章_イギリス東インド会社における植民地化」、小谷汪之 編『南アジア史_2』山川出版社、2007年。ISBN 978-4-634-46209-0。
- ^ a b 熊谷 2018, pp. 186–187.
- ^ 熊谷 2018, pp. 188–191.
- ^ (Charter)
- ^ 浅田(1989), p. 221-222.
- ^ 磯淵猛『紅茶事典』新星出版社、2005、p.185
- ^ 杉田 2009, pp. 180–182.
- ^ 中野 & 清水 2019, 第7章.
- ^ 小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.296
- ^ a b c d e f g h i j 水島司 著「第8章_イギリス東インド会社のインド支配」、小谷汪之 編『南アジア史_2』山川出版社、2007年、295-338頁。ISBN 978-4-634-46209-0。
- ^ バナジー & アイヤー 2018, p. 189.
- ^ バナジー & アイヤー 2018, pp. 191–192, 215–217.
- ^ a b c 横井勝彦『アジアの海の大英帝国』講談社学術文庫、2004年、211-223頁。ISBN 978-4-06-1596412。
- ^ a b 浅田(1989), p. 178-189
- 1 イギリス東インド会社とは
- 2 イギリス東インド会社の概要
- 3 概説
- 4 1757年以降のインド社会と東インド会社
- 5 インド貿易の成功がイギリス社会に与えた影響
- 6 参考文献
- 7 関連項目
イギリス東インド会社と同じ種類の言葉
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