アレクセイ・カレージン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/05 14:17 UTC 版)
経歴
軍指揮官
- 騎馬砲兵コサック中隊小隊長(1897年9月1日から)
- 騎兵中隊長(1890年、法定の1年間の指揮)
- 第6歩兵師団司令部上級副官(1889年11月26日から)
- 第5陸軍軍団司令部委任尉官(1892年4月27日から)
- ワルシャワ軍管区司令部上級副官補佐(1892年10月12日から)
- ドン軍軍司令部上級副官(1895年7月14日から)
- 第64歩兵予備旅団指揮佐官(1900年4月5日から)
- ノヴォチェルカースク・コサック士官学校長(1903年7月25日から)
- ドン・コサック軍副長(1906年8月25日から)
- 第11騎兵師団第2旅団長(1910年6月9日から)
- 第12騎兵師団長(1912年10月から1915年2月16日、戦場で重傷を負う)
- 第12陸軍軍団長(1915年8月から)
- 第8軍司令官(1916年4月から)
- 最高総司令官予備役(1917年5月5日から)
階級
- コサック少尉(1879年8月)
- コサック中尉(1882年8月7日)
- コサック2等大尉(1889年4月10日)
- 参謀本部2等大尉(1889年9月26日)
- 参謀本部少佐(1891年4月21日)
- 参謀本部中佐(1895年12月6日)
- 参謀本部大佐(1899年12月6日)
- 参謀本部少将(1907年5月31日)
- 参謀本部中将(1914年)
- 歩兵大将(1915年8月)
家族
妻
アレクセイ・カレージンは、スイス系フランス人、マリー・グランジャン(ロシア名マリーヤ・ペトローヴナ)と結婚した。彼女はフランス語地方の出身であったが素晴らしいロシア語を操り、在りし日の大ロシアの愛国者であった。二人のあいだには息子がいたが、11 歳のときトゥーズロフ川で遊泳中に溺れ死んだ。彼の名は現代まで伝わっていない。
先祖
アレクセイの曽祖父、マクシーム・ドミートリエヴィチ・カレージンは、ウスチ=メドヴェージツキイ管区・ウスチ=ホピョールスカヤ本営のコサックで、ヴァシーリイとセミョーンという2 人の息子を持っていた。彼らは、本営から30 ヴェルスタのツカン川の畔にあったカレージン村に住んでいた。
アレクセイの祖父、ヴァシーリイ・マクシーモヴィチは、アタマン・M・I・プラートフ伯の盟友であった。彼らは、祖国戦争に参加してドンをフランスの手から奪い返したが、1815年、ヴァシーリイは負傷して片方の脚を失った。彼には、マクシーム、プローホル、エメリヤーン、エヴグラーフという4 人の息子と、アンナという娘がいた。
アレクセイの父、マクシーム・ヴァシーリエヴィチはクリミア戦争でのセヴァストーポリ防衛戦の参加者であった。退役後はコサック中佐の位で軍長老となり、ウスチ=ホピョールスカヤ本営に移住した。そこで、彼はドン川に水車小屋を建てた。ヴァシーリイ、アレクセイ、メレーンチイという3 人の息子と、アンナ、アレクサンドラという2 人の娘を持った。
兄弟
アレクセイの長兄、ヴァシーリイ・マクシーモヴィチは、ウスチ=メドヴェージツカヤ模範ギムナージヤと砲術学校を卒業し、ドン砲兵隊に勤務した。第7ドン・コサック砲兵中隊を指揮し、その後ドン砲兵大隊長に就任した。第一次世界大戦においては第12ドン・コサック連隊を指揮し、ゲオルギー武器を授与された。M・A・ショーロホフの長編小説『静かなドン』では主人公グリゴーリイ・メーリホフが第12ドン・コサック連隊に勤務する様が描かれるが、そこでは連隊長はカレージン大佐であると言及されている。これが、アタマンの長兄、ヴァシーリイ・マクシーモヴィチ・カレージンである。ロシア内戦ではヴァシーリイは陸軍少将となり、P・M・クラスノフ将軍のアタマン政府で内務局長を務めた。
アレクセイの弟、メレーンチイは、1875年に生まれた。ドン幼年学校の4期生で、1893年に卒業した。1895年にはニコライ騎兵学校を卒業し、同年8月12日付けでドン砲兵隊に配属された。士官にまで進級したが、その直後に夭逝した。史料によって死因が異なっており、自殺したとも、落馬して落命したとも書かれている。
姉妹
アレクセイの姉妹、アンナはウスチ=ホピョールスカヤ本営に住み、ナスレードィシェフに嫁いだ。彼女の息子のニコライは、アレクセイの副官を務め、1917年8月から9月にかけての彼のドン地方への移動に同行した。
もうひとりの姉妹、アレクサンドラは織物工場主P・N・シャラーポフの商社のコサックに嫁いだ。そして、フェドセーエフスカヤ本営に住んだ。
関連事項
1918年から1920年のあいだ、ノヴォチェルカースクのドン技術学校はアタマン・A・M・カレージンの名を冠していた[16]。
- ^ a b c 当時のロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では10月24日に当たる。
- ^ a b c ユリウス暦による。グレゴリオ暦では2月11日に当たる。
- ^ 革命前のロシア語正書法による表記にアクセント記号を付与したもの。現代ロシア語の正書法ではАлексе́й Макси́мович Кале́дин。
- ^ アクセント位置については、Кале́дин Алексей Максимович - "Всемирный биографический энциклопедический словарь"、Кале́дин Алексей Максимович - "Российский Энциклопедический словарь"および『研究社露和辞典』参照。
- ^ 現代のロシア連邦・ヴォルゴグラード州にあった村。ホピョール川のドン川への合流地点の近く。
- ^ a b ユリウス暦による。グレゴリオ暦では9月14日に当たる。
- ^ a b ユリウス暦による。グレゴリオ暦では11月7日に当たる。
- ^ 当時のロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では7月2日に当たる。
- ^ ユリウス暦による。グレゴリオ暦では11月9日に当たる。
- ^ a b c Вiртуальна Русь: Бібліотека (ウクライナ語)、Довідник з історії України (ウクライナ語)
- ^ ユリウス暦による。グレゴリオ暦では11月15日に当たる。
- ^ ユリウス暦による。グレゴリオ暦では12月9日に当たる。
- ^ ユリウス暦による。グレゴリオ暦では1918年1月7日に当たる。
- ^ ユリウス暦による。グレゴリオ暦では2月3日に当たる。
- ^ ユリウス暦による。グレゴリオ暦では2月10日に当たる。
- ^ Владимир Репников. Работа над ошибками. Выпуск N11 от 23 марта 2004 года. novocherkassk-gorod.ru. (ロシア語)
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