アレクセイ・カレージン 経歴

アレクセイ・カレージン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/05 14:17 UTC 版)

経歴

軍指揮官

階級

家族

アレクセイ・カレージンは、スイスフランス人、マリー・グランジャン(ロシア名マリーヤ・ペトローヴナ)と結婚した。彼女はフランス語地方の出身であったが素晴らしいロシア語を操り、在りし日の大ロシアの愛国者であった。二人のあいだには息子がいたが、11 歳のときトゥーズロフ川で遊泳中に溺れ死んだ。彼の名は現代まで伝わっていない。

先祖

アレクセイの曽祖父、マクシーム・ドミートリエヴィチ・カレージンは、ウスチ=メドヴェージツキイ管区・ウスチ=ホピョールスカヤ本営のコサックで、ヴァシーリイとセミョーンという2 人の息子を持っていた。彼らは、本営から30 ヴェルスタのツカン川の畔にあったカレージン村に住んでいた。

アレクセイの祖父、ヴァシーリイ・マクシーモヴィチは、アタマン・M・I・プラートフ伯の盟友であった。彼らは、祖国戦争に参加してドンをフランスの手から奪い返したが、1815年、ヴァシーリイは負傷して片方の脚を失った。彼には、マクシーム、プローホル、エメリヤーン、エヴグラーフという4 人の息子と、アンナという娘がいた。

アレクセイの父、マクシーム・ヴァシーリエヴィチはクリミア戦争でのセヴァストーポリ防衛戦の参加者であった。退役後はコサック中佐の位で軍長老となり、ウスチ=ホピョールスカヤ本営に移住した。そこで、彼はドン川に水車小屋を建てた。ヴァシーリイ、アレクセイ、メレーンチイという3 人の息子と、アンナ、アレクサンドラという2 人の娘を持った。

兄弟

アレクセイの長兄、ヴァシーリイ・マクシーモヴィチは、ウスチ=メドヴェージツカヤ模範ギムナージヤと砲術学校を卒業し、ドン砲兵隊に勤務した。第7ドン・コサック砲兵中隊を指揮し、その後ドン砲兵大隊長に就任した。第一次世界大戦においては第12ドン・コサック連隊を指揮し、ゲオルギー武器を授与された。M・A・ショーロホフの長編小説『静かなドン』では主人公グリゴーリイ・メーリホフが第12ドン・コサック連隊に勤務する様が描かれるが、そこでは連隊長はカレージン大佐であると言及されている。これが、アタマンの長兄、ヴァシーリイ・マクシーモヴィチ・カレージンである。ロシア内戦ではヴァシーリイは陸軍少将となり、P・M・クラスノフ将軍のアタマン政府で内務局長を務めた。

アレクセイの弟、メレーンチイは、1875年に生まれた。ドン幼年学校の4期生で、1893年に卒業した。1895年にはニコライ騎兵学校を卒業し、同年8月12日付けでドン砲兵隊に配属された。士官にまで進級したが、その直後に夭逝した。史料によって死因が異なっており、自殺したとも、落馬して落命したとも書かれている。

姉妹

アレクセイの姉妹、アンナはウスチ=ホピョールスカヤ本営に住み、ナスレードィシェフに嫁いだ。彼女の息子のニコライは、アレクセイの副官を務め、1917年8月から9月にかけての彼のドン地方への移動に同行した。

もうひとりの姉妹、アレクサンドラは織物工場主P・N・シャラーポフの商社のコサックに嫁いだ。そして、フェドセーエフスカヤ本営に住んだ。

関連事項

1918年から1920年のあいだ、ノヴォチェルカースクのドン技術学校はアタマン・A・M・カレージンの名を冠していた[16]


  1. ^ a b c 当時のロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では10月24日に当たる。
  2. ^ a b c ユリウス暦による。グレゴリオ暦では2月11日に当たる。
  3. ^ 革命前のロシア語正書法による表記にアクセント記号を付与したもの。現代ロシア語の正書法ではАлексе́й Макси́мович Кале́дин
  4. ^ アクセント位置については、Кале́дин Алексей Максимович - "Всемирный биографический энциклопедический словарь"Кале́дин Алексей Максимович - "Российский Энциклопедический словарь"および『研究社露和辞典』参照。
  5. ^ 現代のロシア連邦ヴォルゴグラード州にあった村。ホピョール川のドン川への合流地点の近く。
  6. ^ a b ユリウス暦による。グレゴリオ暦では9月14日に当たる。
  7. ^ a b ユリウス暦による。グレゴリオ暦では11月7日に当たる。
  8. ^ 当時のロシアで使用されていたユリウス暦による。グレゴリオ暦では7月2日に当たる。
  9. ^ ユリウス暦による。グレゴリオ暦では11月9日に当たる。
  10. ^ a b c Вiртуальна Русь: Бібліотека (ウクライナ語)Довідник з історії України (ウクライナ語)
  11. ^ ユリウス暦による。グレゴリオ暦では11月15日に当たる。
  12. ^ ユリウス暦による。グレゴリオ暦では12月9日に当たる。
  13. ^ ユリウス暦による。グレゴリオ暦では1918年1月7日に当たる。
  14. ^ ユリウス暦による。グレゴリオ暦では2月3日に当たる。
  15. ^ ユリウス暦による。グレゴリオ暦では2月10日に当たる。
  16. ^ Владимир Репников. Работа над ошибками. Выпуск N11 от 23 марта 2004 года. novocherkassk-gorod.ru. (ロシア語)






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