ちわきまゆみ 来歴・人物

ちわきまゆみ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/18 15:21 UTC 版)

来歴・人物

生い立ち

父親は歯科医師[3]。自ら「昔からミーハー」と語っており、最初にミーハーを感じたのは3歳の時にザ・タイガースを好きになったことで、後にモンキーズが好きになり、4歳でビートルズの映画『ア・ハード・デイズ・ナイト(ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!)』を見て感銘を受け、ビートルズファンになった[2]

音楽雑誌ミュージック・ライフ』のグラビアを見てマーク・ボランのファンになり、10歳の時に東京ヒルトンホテル(現キャピトル東急ホテル)の前で来日したマークを待ち、マークに頭を撫でてもらったということがあった[2]

6歳下の妹がいたが、ちわきが12歳の時に交通事故で亡くなっている。その時を境に「この家族を盛り上げなくちゃいけない」と発起して、本格的に歌手を目指すようになったという。アルバム『Angel-We Are Beautiful』は、その妹のために作った作品だと語っている[2]。中学生時代、キッスエアロスミスに夢中だったこともあった[4]

音楽ユニット・MENUでの活動を経てソロ転身

ちわきは大学在学中から、バンドボーカルとして活動していた[2]

リーダーの星渉(ほし わたる)と、「MENU」の原型となるバンド「Le Menu」を結成。当時は5人編成で、星とちわきの他、のちにDe-LAXを結成する京極輝男と鈴木正美、キーボードの内田理恵が在籍した。1980年代に流行した無国籍風ニュー・ウェイヴ・バンド色が強く、トーキング・ヘッズバウ・ワウ・ワウエイドリアン・ブリューなどに影響を受けていたと星は語っている[5]。その後、音楽性の違いから他のメンバーが脱退、星とちわきの2人でテクノポップユニット「MENU」を結成し、星が作曲、ちわきが作詞とボーカルという体制となった[5]

MENUとしては、ユピテルレコードレーベルユピテルレコード」から、1983年原マスミ、太洋民技(Pacific Ethno Techno)との共演でオムニバスアルバム『明るい家族計画』をリリース。「オハヨーSONG」「パイナップル・プリンセス」の2曲で参加[6]。MENU時代も鈴木正美はサポート・メンバーとして参加していた[6]

1984年には前述のアルバム『明るい家族計画』から自身が参加した2曲『オハヨーSONG/パイナップル・プリンセス』がシングルカットされた。ジャケットデザインは『明るい家族計画』がそのまま使用されている[6]。その後同年にミニ・アルバム2枚、『Do Do'n' Ka-Don!(ドドンカドン!)』、『RAKU RAKU KIRAKU』をリリースした[6]

その後ユピテルレコードから東芝EMIの「EASTWORLD」レーベルに移籍。1985年8月にリミックス・ミニ・アルバム『Re-Face』をリリース[6]富士フイルムフォトラマ」のCMに出演[5]。MENUを解散、同年10月19日にソロデビューした[2]

ちわきがMENU時代に目指していたのは、オルタード・イメージ英語版クレア・グローガン英語版や、プラスチックス佐藤チカ英語版であった[4]。そのため、彼女らの歌声のように個性を持たないといけないと思ったことから、ロリータ&ニュー・ウェイヴ的なアプローチをしてみた、と語っていた[4]。20代の頃はSM風の衣装が特徴的だった[2]コンサートなどで纏うビザールな衣装は、本人がSM店への取材を参考にして取り入れたという。

デビュー当時は「喝采」のヒットで知られるちあきなおみによく間違われ、実際に音楽雑誌などでも誤植が相次いだため『VOW』(宝島社)にも取り上げられた。

ラジオパーソナリティとしての活動

1986年10月から1987年9月まで1年間、『オールナイトニッポン』(ニッポン放送水曜2部(毎週水曜日深夜3時)のレギュラーラジオパーソナリティを担当。『インディーズベスト10』などインディーズ・バンドを特集した企画・コーナーなどを行っていた。

オールナイトニッポン第1部をスペシャルウィークのみ1回だけ担当した経験を持つ。その際に、定番のオープニングテーマ「BITTERSWEET SAMBA」を「うるさいから」という理由で止めさせた。同曲を放送中の自己都合で強制停止させたパーソナリティは現時点でちわきのみである[2]

2012年1月21日J-WAVEの番組『OTOAJITO』で、クリス・ペプラーを相手に、キッスの長年の大ファンであることを語った。


  1. ^ a b 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、106頁。NDLJP:12276264/54 
  2. ^ a b c d e f g h 月刊ラジオパラダイス 1986年12月号 63 - 67ページ「Radio People Interview ちわきまゆみ」より。
  3. ^ GORO 1986年2月27日号 p.18 - 19「POP HUNTER」
  4. ^ a b c 昭和40年男(クレタパブリッシング)2021年8月号 p.138 - 141 ちわきまゆみインタビュー
  5. ^ a b c テクノポップ/アーティストインタヴュー 幻のテクノポップバンド~MENU All About 趣味、2007年1月22日
  6. ^ a b c d e MENU Discogs
  7. ^ デビュー35周年のが番組DJを担当!”. FM COCOLO. 株式会社FM802. 2022年10月7日閲覧。






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