身体論
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身体論とは、身体はわれわれ人間にとっていかなる意味や価値を持つかという問題[1]。
- ^ 井上義彦「1章 身体の哲学的考察 : 哲学的身体論序説(I部 現代身体論の基本問題)」『長崎大学公開講座叢書』第8巻、長崎大学、1996年6月、 3-12頁、 NAID 110000982556。
- ^ コトバンク > ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 > 身体とは
- ^ a b c d e f g h i j 河合出版『ことばはちからダ!現代文キーワード』126-135頁「身体」
- ^ コトバンク > 大辞林 第三版 > 近代科学とは
- ^ コトバンク > 大辞林 第三版 > 心身相関とは
- ^ a b 駿台文庫『生きる 現代文読解語』208-209頁「身体」
- ^ コトバンク > ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 > 現象学的還元とは
- ^ コトバンク > ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 > 間主観性とは
- ^ コトバンク > ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 > 間身体性とは
- ^ コトバンク > デジタル大辞泉 > 形式知とは
- ^ コトバンク > デジタル大辞泉 > 暗黙知とは
- ^ 筑摩書房『高校生のための現代思想エッセンス ちくま評論選』小池昌代 変幻する身体「背・背中・背後」(岩波書店『黒雲の下で卵をあたためる』による)要旨
- ^ 筑摩書房『高校生のための現代思想エッセンス ちくま評論選』上野千鶴子 変幻する身体「記号としての身体」(筑摩書房『発情装置』による)要旨
- ^ 筑摩書房『高校生のための現代思想エッセンス ちくま評論選』尼ヶ崎彬 変幻する身体「舞踊の身体」(勁草書房『ダンス・クリティーク』による) 要旨
身体論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 16:01 UTC 版)
究竟次第に関しては、まず、その前提となっている、インド古来のチャクラ理論をベースとした身体論を理解しておく必要がある。 この身体論では、 我々の物質的身体の内外に霊的な身体がある そこには7万2000本の脈管(ナーディ)が走っている なかでも約5mmの左右の脈管と、約10mmの中央脈管、合わせて「三脈」が特別大きい 左右の脈管は中央脈管と数カ所でかたく絡んでいる(これがいわゆる「輪」(チャクラ)であり、その数は4から8の間で諸説分かれるが、秘密集会聖者流では性器・ヘソ・心臓・のど・頭頂の五箇所をチャクラとみなす。この脈管結合部としてのチャクラでは、通常、左右の脈管から中央脈管に「風」(チベット語で「ルン」、インドで言うところの「プラーナ」)が入り込むのが阻止されており、中央脈管は真空状態にある。) なかでも心臓のチャクラの奥には、はるかな前世より相続した根源的意識が眠る「不壊の滴」(ミシクペー・ティクレ、古代で言うところの「アートマン」に相当)と呼ばれる微細極まる粒子が潜んでいる(この根源的意識は、通常、死に際して初めて生じる。) 左右の脈管から「風」(ルン)を心臓のチャクラに導き入れ、留めると、この「不壊の滴」(ミシクペー・ティクレ)が溶融し、根源的意識が解放される といった内容が想定される。 したがって、チャクラの脈管の結び目をゆるめ、「風」(ルン)を心臓のチャクラの奥にある「不壊の滴」(ミシクペー・ティクレ)に送り込んで溶融できれば、通常は死んで初めて到達できる根源的意識に、生きながらにして到達できるようになる。そうして様々な根源的境地・感覚を得ること、それこそがこの究竟次第において目指されるものである。
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