So Long, Astoria期(2003-2005年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/11/07 14:49 UTC 版)
「アタリス」の記事における「So Long, Astoria期(2003-2005年)」の解説
2002年、アタリスはKung Fu Recordsとの契約を解消して新たにコロムビア・レコードと契約する。そして2003年4月4日、ロウ・ジョルダンをプロデューサーに迎え4thフルアルバムでありメジャーデビューアルバムの"So Long, Astoria"をリリースした。短いスパンのツアー中でのレコーディングだったが、幅広い層から評価された。ロウが自身のギターパートの収録に5~8時間ほどかけたエピソードは良く知られる。リズムトラックの多くも現代のポピュラー音楽において使われるデジタル編集が行われた。 So Long, Astoriaは"In This Diary"や"The Saddest Song"などのヒットシングル曲が収録され、今までの作品よりは内面的な部分は抑えた楽曲が多く、Jimmy Eat Worldのようなより洗練された作風に仕上がっている。 また、このアルバムにはドン・ヘンリーの"The Boys of Summer"のカバーが収録されているが、元々"My Reply"を2ndシングルとして出そうとしていたところ偶然にもこの曲がラジオで放送され始めたため、この曲を2ndシングルとしてリリースした。このシングルは、ビルボードのデイリーチャート20位にランクインした彼らの最高売上シングルである。結果的にSo Long, Astoriaは約50万枚の売り上げを記録した。 2003~2004年初頭にかけては、そのほとんどをSo Long, Astoriaを引っ提げてのツアーに費やした。同年にライヴアルバム"Live At The Metro"をリリースし、スパイダーマン2のサウンドトラックにも参加するなどバンドとしての知名度や実力を着実につけていった。 2004年の夏~秋にかけて、バンドメンバーは音楽性の違いや経済的側面などを理由に別々の道を進むことを決断した。ダヴェンポートは今より激しい音楽に興味を持ち、Versus the Worldというバンドを結成し、ナップは音楽活動を止めサンタバーバラに戻った。ロウとコルラは休暇をとり、次のアルバム製作のためにニューヨークへと移った。
※この「So Long, Astoria期(2003-2005年)」の解説は、「アタリス」の解説の一部です。
「So Long, Astoria期(2003-2005年)」を含む「アタリス」の記事については、「アタリス」の概要を参照ください。
- So Long, Astoria期のページへのリンク