Shi Jianとは? わかりやすく解説

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実践 (人工衛星)

(Shi Jian から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/28 09:04 UTC 版)

実践 (Shijian)
中華人民共和国
組織 中国空間技術研究院(CAST)
目的 多岐にわたる試験
状況 継続中
概要
期間 1971年~現在
初飛行 1971年3月3日
成功 39
失敗 2
射場
宇宙機
打ち上げ機

実践: 实践: Shi Jian, SJ)は中華人民共和国人工衛星シリーズ。技術試験や科学探査などを目的とするが、詳細は不明なことが多い。

シリーズ初の実践1号は1971年に打ち上げられ、継続的に打ち上げが続けられている(2023年現在)。初期に打上げられた衛星は、既に機能停止し、軌道崩壊を起こしている。

通番では1号から23号が存在するが、3号[1]は打上げがキャンセルされて欠番、14号は理由不明の欠番になっている。19号は計画中で打上げ未実施。同じ通番で複数の衛星が存在し、打上げ失敗(判明しているのは11-04号と18号)、未実施、欠番もあることから、通番と衛星数は一致していない。

顕著な衛星

実践1号

1971年3月3日、実践1号が酒泉衛星発射センターから長征1号ロケットによって打ち上げられた[2]。太陽光発電や熱制御などの各種技術実証試験を行ったほかX線宇宙線の測定を行い、軌道上で8年間稼働した[3]

東方紅1号に続きこれが中国で2機目の人工衛星となった。

実践2号

1981年9月19日、実践2号、実践2号A(実践2号甲)、実践2号B(実践2号乙)の3機が酒泉衛星発射センターから風暴1号ロケットによって同時に打ち上げられた[4]。目的は技術実証とされる[4]

この打上げが風暴1号ロケットの最後の打ち上げとなった。

実践4号

1994年2月8日、実践4号が西昌衛星発射センターから長征3号Aロケットによって打ち上げられた[5]静止トランスファ軌道に投入され、荷電粒子などを計測して宇宙放射線環境が宇宙船へ与える影響を調査した[6]夸父一号の模擬衛星も同時に打ち上げられた。

この打上げは長征3号Aロケット初の打上げであった。

実践5号

1999年5月10日、実践5号が風雲1号Cと共に太原衛星発射センターから長征4号Bロケットによって打ち上げられた[7]

CAST968衛星バスを基礎とし、宇宙探査科学実験、衛星バス技術といったことを目的とする300kg程度の小型衛星である[7]。主に宇宙空間の荷電粒子測定やSバンド高速データリンク送信機の試験、大容量固体ストレージ試験、流体科学実験を目的として設計された[7]

実践6号

実践6号はAからHの8機が存在する。宇宙環境・放射線、およびその効果を調べ、宇宙の物理環境パラメータを記録し、宇宙実験を行うためのシリーズだったといわれる[8]

衛星のミッションにはELINT技術試験も含まれていた可能性がある[8]。打上げは全て太原衛星発射センターから長征4号Bによって行われた[8]

実践7号

2005年7月5日に酒泉衛星発射センターから長征2号Dによって打ち上げられた[9]

実践8号

2006年9月9日に酒泉衛星発射センターから長征2号Cによって打ち上げられた[10]

返回式衛星タイプの機体を元にした大気圏再突入可能な衛星で、215kg分の植物の種子や菌類を宇宙環境にさらすために使用された(生物衛星[10]

近地点187キロ、遠地点463キロの地球低軌道を周回し、突然変異育種実験や機序研究など宇宙空間での試験を行った後、打上げから15日間後の9月24日、実践8号の回収船が四川省遂寧市の予定回収区域に落下した。一方の軌道船はバッテリーが持つまで軌道上を運行し、宇宙空間の微小重力科学実験任務を引き続き遂行した [11]

実践9号

実践9号AとBは2012年10月14日にデュアル・ローンチで打ち上げられた技術実証衛星。CAST-2000バスを元に製造された実践9号Aは軌道上で電気推進、高精度・安定制御システム、高効率電力供給、先進熱処理技術の実験を行い、地球観測機器も搭載するもよう[12]。一方CAST-100バスを使用した実践9号Bは、冷却装置を備えた長波長赤外線(LWIR)カメラを搭載している[13]

実践11号

7機が個別に打ち上げられ、うち1機が打上げに失敗[14]

実践11号は中国航天科技集団公司所属の東方紅衛星公司が開発・製造した科学衛星で、主に軌道上で宇宙科学研究と技術試験などに使用される[15]

ただ詳細は明らかにされておらず、実験的な早期警戒衛星コンステレーションではないかという推測もある[14]

実践12号

2010年6月15日に酒泉衛星発射センターから長征2号Dによって打ち上げられた[16]

ランデブー技術のための衛星で、2010年8月に実践6号Fとランデブーを行った[16]。衛星同士の物理的な接触もおそらく達成されたとされる[16]

実践15号

2013年7月19日(UTC)に太原衛星発射センターから長征4号Cによって創新3号と試験衛星7号と共に打ち上げられた。

実践16号

2013年10月25日午前11時50分に酒泉衛星発射センターから長征4号Bによって打ち上げられた[17]。ほぼ同じ地球低軌道を少し離れて飛ぶペア衛星(実践16号A、実践16号B)である。遥感衛星と関連する信号諜報(SIGINT)衛星の可能性が指摘されている [18] [19]

衛星リスト

衛星
打上
げ日
機能 軌道 近点遠
点高度
軌道傾
斜角
SAT
CAT
COSPAR
ID
射場 打上げ機 現況
実践1 1971年3月3日 宇宙線粒子観測[20] LEO 266 km × 1826 km 69.9° 5007 1971-018A 西昌 長征1号 軌道崩壊
実践2 1981年9月19日 宇宙塵/デブリ及び電磁気学的研究[20] LEO 232 km × 1598 km 59.4° 12845 1981-093D 西昌 風暴1号 軌道崩壊
実践2A 1981年9月19日 宇宙塵/デブリ及び電磁気学的研究[20] LEO 232 km × 1615 km 59.4° 12843 1981-093B 西昌 風暴1号 軌道崩壊
実践2B 1981年9月19日 宇宙塵/デブリ及び電磁気学的研究[20] LEO 232 km × 1608 km 59.4º 12842 1981-093A 西昌 風暴1号 軌道崩壊
実践3 N/A 地球観測[21][22][23] キャンセル、CBERS ZY-1に代替[21]
実践4 1994年2月8日 宇宙放射線モニタリング[24][20] HEO 210 km × 36125 km 28.6º 22996 1994-010A 西昌 長征3号A 軌道崩壊
実践5 1999年5月10日 新型ミニ衛星プラットホーム試験、粒子観測[20] SSO 569 km × 849 km 98.8° 25731 1999-025B 太原 長征4号B 軌道崩壊
実践6-01B 2004年9月8日 宇宙環境モニタリングまたはELINT[25] SSO 585.4 km × 585.2 km 97.7° 28414 2004-035B 太原 長征4号B 運用中
実践6-01A 2004年9月8日 宇宙環境モニタリングまたはELINT[25] SSO 579.8 km × 596.7 km 97.7° 28413 2004-035A 太原 長征4号B 運用中
実践6-02A 2006年10月23日 宇宙環境モニタリングまたはELINT[25] SSO 591.0 km × 593.4 km 97.8° 29506 2006-046B 太原 長征4号B 運用中
実践6-02B 2006年10月23日 宇宙環境モニタリングまたはELINT[25] SSO 583.1 km × 587.7 km 97.8° 29505 2006-046A 太原 長征4号B 運用中
実践6-03A 2008年10月25日 宇宙環境モニタリングまたはELINT[25] SSO 576.5 km × 599.1 km 97.8° 33409 2008-053B 太原 長征4号B 運用中
実践6-03B 2008年10月25日 宇宙環境モニタリングまたはELINT[25] SSO 573.9 km × 600.1 km 97.9° 33408 2008-053A 太原 長征4号B 運用中
実践6-04A 2010年10月6日 宇宙環境モニタリングまたはELINT[25] SSO 585.9 km × 600.1 km 97.8° 37180 2010-051B 太原 長征4号B 運用中
実践6-04B 2010年10月6日 宇宙環境モニタリングまたはELINT[25] SSO 570.6 km × 606.8 km 97.8° 37179 2010-051A 太原 長征4号B 運用中
実践6-05A 2021年12月10日 宇宙環境モニタリングまたはELINT[25] SSO 467.5 km × 475.4 km 97.3° 49961 2021-122A 西昌 長征4号B 運用中
実践6-05B 2021年12月10日 宇宙環境モニタリングまたはELINT[25] SSO 467.5 km × 475.4 km 93.9° 49962 2021-122B 西昌 長征4号B 運用中
実践7 2005年7月5日 不明 SSO 557.4 km × 605.5 km 97.7° 28737 2005-024A 西昌 長征2号D 運用中
実践8 2006年9月9日 宇宙空間農業試験[26] LEO 177 km × 445 km 63.0° 29385 2006-035A 西昌 長征2号C 軌道崩壊
実践9A 2012年10月14日 環境モニタリング、光学画像[27] SSO 622 km × 647 km 98.0° 38860 2012-056A 太原 長征2号C 運用中
実践9B 2012年10月14日 環境モニタリング、光学画像, 遠赤外線[27] SSO 623 km × 649 km 97.99° 38861 2012-056B 太原 長征2号C 運用中
実践10 2016年4月5日 微重力試験(サンプル回収)[28] LEO 234 km × 268 km 42.89° 41448 2016-023A 西昌 長征2号D 軌道崩壊
実践11-01 2009年11月12日 早期警戒衛星, 赤外線追尾[29] SSO 689.7 km × 708.1 km 97.9° 36088 2009-061A 西昌 長征2号C 運用中
実践11-02 2011年7月29日 早期警戒衛星, 赤外線追尾[29] SSO 678.5 km × 701.3 km 98.4° 37765 2011-039A 西昌 長征2号C 運用中
実践11-03 2011年7月6日 早期警戒衛星, 赤外線追尾[29] SSO 689.8 km × 704.1 km 97.8° 37730 2011-030A 西昌 長征2号C 運用中
実践11-04 2011年8月18日 早期警戒衛星, 赤外線追尾[29] (打上げ失敗) 西昌 長征2号C 打上げ失敗によりペイロード喪失[30]
実践11-05 2013年7月15日 早期警戒衛星, 赤外線追尾[29] SSO 689.4 km × 703.3 km 98.2° 39202 2013-035A 西昌 長征2号C 運用中
実践11-06 31 March 2014年3月31日 早期警戒衛星, 赤外線追尾[29] SSO 692.3 km × 713.6 km 98.1° 39624 2014-014A 西昌 長征2号C 運用中
実践11-07 2014年9月28日 早期警戒衛星, 赤外線追尾[29] SSO 690.6 km × 706.3 km 98.1° 40261 2014-059A 西昌 長征2号C 運用中
実践11-08 2014年10月27日 早期警戒衛星, 赤外線追尾[29] SSO 685.0 km × 701.7 km 98.2° 40286 2014-066A 西昌 長征2号C 運用中
実践12 2010年6月15日 科学調査[31] SSO 575 km × 599 km 97.68° 36596 2010-027A 西昌 長征2号D 運用中
実践13 2017年4月12日 高速通信試験[32][33][34] GEO 35,765.3 km × 35,823.8 km 0.1° 42662 2017-018A 西昌 長征3号B 運用中
実践15 2013年7月19日 目的不明のペイロードを配置[35] SSO 670.6 km × 678.4 km 98.0° 39210 2013-037C 太原 長征4号C 運用中
実践16-01 2013年10月25日 宇宙環境モニタリングまたはシギント[18][19] LEO 599 km × 616 km 74.98° 39358 2013-057A 西昌 長征4号B 運用中
実践16-02 2016年6月29日 宇宙環境モニタリングまたはシギント[18][19] LEO 596 km × 616 km 75.00° 41634 2016-043A 西昌 長征4号B 運用中
実践17 2016年11月3日 通信、デブリ監視、または対衛星攻撃試験[36] GEO 35,827.1 km × 35,835.4 km 2.2° 41838 2016-065A 文昌 長征5号 運用中
実践18 2017年7月2日 DFH-5型衛星バス試験, 通信[37] (打上げ失敗) 文昌 長征5号 打上げ失敗でペイロード喪失[38]
実践19 TBA 微重力試験(サンプル回収)[39][40] 未実施(計画中) 西昌 長征2号D 計画中
実践20 2019年12月27日 DFH-5型衛星バス試験, 量子通信試験[41][42] GEO 35,774.9 km × 35,814.1 km 1.347° 44910 2019-097A 文昌 長征5号 運用中
実践21 2021年10月24日 デブリ除去または対衛星攻撃試験[43][44] GEO 36,217.7 km × 36,217.7 km 8.580° 49330 2021-094A 西昌 長征3号B 運用中
実践21 (副衛星) 2021年10月24日 不明[44][45] 49382 2021-094C 西昌 長征3号B 運用中
実践23 2023年1月8日 Classified GEO 35,769.1 km × 35,816.8 km 0.6° 55131 2023-002A 文昌 長征7号A 運用中
実践23 (副衛星) 2023年1月8日 不明[46] 55180 2023-002C 文昌 長征7号A 運用中
出典: NORAD, NASA, USSPACECOM, Celestrak, Gunter's Space Page

参考文献

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  45. ^ Makichuk, Dave (2021年11月8日). “Space Force tracks Shijian-21 satellite 'companion'”. Asia Times. オリジナルの2022年12月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20221206065554/https://asiatimes.com/2021/11/us-detects-companion-orbiting-alongside-shijian-21/ 2022年9月2日閲覧。 
  46. ^ Jones, Andrew (2023年1月27日). “Classified Chinese satellite releases small object in orbit”. Space. オリジナルの2023年1月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20230127033310/https://www.space.com/classified-chinese-satellite-shijian-23-releases-subsatellite 2023年1月27日閲覧。 

関連項目


石鑑

(Shi Jian から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 13:35 UTC 版)

廃帝 石鑑
後趙
第6代皇帝
王朝 後趙
在位期間 349年 - 350年
姓・諱 石鑑
大朗
生年 不詳
没年 青龍元年(350年
武帝
年号 青龍 : 350年

石 鑑(せき かん)は、五胡十六国時代後趙の第6代皇帝石鑒とも。字は大朗。石遵の死後に皇帝に擁立されたが、実態は石閔(後の冉閔)の傀儡に過ぎず、翌年には殺害されて政権を奪われた。

生涯

中山王石虎の三男として生まれた。

333年8月、石虎は丞相・魏王・大単于となると、自らの諸子を王に封じた。この時、石鑑もまた代王に封じられた。

337年1月、石虎が大趙天王を自称すると、石鑑は義陽公に降封となった。

339年8月、征討大都督夔安は歩兵5万を率いて荊揚北部へ、騎兵2万を率いて邾城へ侵攻すると、石鑑は石閔・李農張賀度・李菟と共にその傘下に入った。9月、後趙軍は各地で東晋軍に大勝して多数の将兵を討ち取り、邾城・石城を陥落させて7千戸余りを引き連れてから帰還した。

後に関中の統治を任されるようになったが、石鑑はしばしば民を労役に駆り出し、さらに重い税を課していたので人心を失ってしまったという。

345年、友人である李松は石鑑へ「文武官で長髮な者から、その髪を抜いて冠纓とし、残りは宮人に与えるのです」と勧めた。石鑑はこれに従ったが、髪を抜かれた長史はこの一件を石虎へ報告した。これを聞いた石虎は激怒し、右僕射張離を征西左長史・龍驤将軍・雍州刺史に任じて調査を命じた。その結果事実であった事が判明すると、石虎は石鑑を更迭して鄴に呼び戻し、李松を逮捕した。代わって石苞が長安の統治を任された。

その後、天王太子石宣・右僕射張離らの画策により、石鑑・秦公石韜・燕公石斌・楽平公石苞の領する官吏は197人のみ・帳下兵は200人のみに制限された。これにより、みな恨みを抱いたという。

349年1月、石虎が帝位に即くと、石鑑は義陽王に進封となった。

4月、石虎が死去すると、弟の石世が後を継いだ。丞相張豺の勧めにより、石鑑は右丞相に任じられた。5月、彭城王石遵が石世を廃して自ら即位すると、石鑑は侍中に任じられた。

11月、石遵は石鑑・石苞・汝陰王石琨・淮南王石昭らを集めて鄭皇太后の前で会議を開くと「閔(石閔)の臣下に有るまじき振る舞いが次第に明らかとなって来た。今これを誅殺したいと思うが、どう思うか」と問うと、石鑑らはみな「そうすべきです!」と述べた。だが、鄭皇太后は「李城から兵を還した時(石遵は李城で挙兵し、鄴を攻略して帝位を簒奪した)、もし棘奴(石閔の幼名)が無くば、今日という日は無かったでしょう!少しの驕りは容赦なさい。どうしてすぐ殺そうとするのです!」と反対したので、取りやめとなった。石鑑は退出すると、宦官楊環を使者として石閔のもとへ派遣し、全てを密告した。その為、石閔は司空李農・右衛将軍王基と結託して石遵廃立を企てると、将軍蘇彦周成に3千の兵を与えて石遵を捕らえさせた。この時、石遵は南台において婦人と碁に興じており、すぐさま捕らえられた。石遵は周成へ「反したのは誰か」と問うと、周成は「義陽王鑑が立つべきです」と答えた。これに石遵は「我でさえこのような事になったのだ。鑑ならいつまで保てようか!」と言い放った。石遵は琨華殿において処刑され、鄭皇太后・張皇后・皇太子石衍(石斌の子)・孟準・王鸞・上光禄張斐らも纏めて殺害された。その後、石鑑は石閔により擁立され、帝位に即いた。大赦を下すと、石閔を大将軍・録尚書事に任じ、武徳王に封じた。李農を大司馬・録尚書事に、郎闓を司空に、秦州刺史劉羣を尚書左僕射に、侍中盧諶を中書監に任じた。この時、氐族酋長蒲洪(後の苻洪)は枋頭において勢力を保っていたので、石鑑はこれを憂慮して懐柔しようと謀り、都督関中諸軍事・征西大将軍・雍州牧・領秦州刺史に任じたが、蒲洪は応じなかった。

石鑑は皇帝となったものの、実権は石閔・李農に掌握されており、傀儡政権に過ぎなかった。

12月、石閔・李農の専横を恐れた石鑑は、石苞・中書令李松・殿中将軍張才に命じて琨華殿にいる石閔らへ夜襲を掛けさせたが、成功しなかった。これにより宮中は大混乱に陥った。石鑑は石閔らの報復を大いに恐れ、この件に一切関係ないかのように振る舞い、その夜のうちに西中華門において実行犯の李松・張才・石苞を殺害した。

襄国を鎮守していた新興王石祗が石閔・李農の誅殺を掲げて反旗を翻すと、石閔は石琨・張挙・呼延盛らに討伐を命じた。

中領軍石成・侍中石啓・前の河東郡太守石暉は石閔と李農の誅殺を企てたが、事が露見して逆に殺害された。

龍驤将軍孫伏都・劉銖もまた石閔らの誅殺を企て、羯族の兵士3千人を胡人の居住区域に伏せて隙を窺った。この時、石鑑は中台にいたが、孫伏都らは30人余りの将を率いて台に昇ると、石鑑の身柄を確保して石閔らの討伐準備を始めた。石鑑は孫伏都が閣道を破壊しているのを見て、その理由を問うた。孫伏都は「李農らが反乱を起こし、既に東掖門におります。臣は衛士を率いてこれを討たんと考えており、謹んで先に知らせに参りました」と答えると、石鑑は「卿は功臣である。官(我)のために陳力するように。朕は台の上から観ている。必ずやその働きに報いよう」と述べた。その後、孫伏都らは石閔らを攻めるも敗北を喫し、退却して鳳陽門に立て籠もった。石閔らは数千の兵を率いて金明門を破壊し、中台へ向かった。石鑑は殺されるのを恐れ、すぐに石閔と李農を招き寄せ、門を開いて中へ迎え入れると「孫伏都が造反したぞ。卿らは速やかにこれを討つように」と命じた。李農は孫伏都らを攻撃すると、これを撃破してその首級を挙げた。鳳陽門から琨華殿へ至るまで屍が連なり、流血は川を成す程であったという。石閔は尚書王簡・少府王鬱に数千の兵を与えて石鑑を御龍観へ軟禁させ、食事については吊り下げて振る舞った。その後、石閔は漢人主導の政権確立を目論んで胡人の大量虐殺を始めるようになり、貴賤・男女・幼老の区別無く、20万人余りが殺害された。

350年1月、石閔は自らの独断で国号を「衛」に変更し、自らの姓を「李」と改めた。さらに、大赦を下して青龍と改元した。だが、太宰趙庶・太尉張挙を始め万を越える公卿が離反し、その多くは襄国の石祗を頼った。さらに、石琨は冀州へ逃亡し、撫軍将軍張沈は滏口へ、張賀度は石瀆へ、建義将軍段勤は黎陽へ、寧南将軍楊群は桑壁へ、劉国は陽城へ、段龕は陳留へ、姚弋仲は灄頭へ、蒲洪は枋頭へ拠り、彼らは各々数万の兵を擁して李閔へ反旗を翻した。

同月、石琨・張挙・王朗が7万の兵を率いて鄴へ侵攻すると、李閔は千余りの騎兵を率いてこれを迎え撃ち、両軍は城北において激突した。石琨らは大敗を喫し、軍を退却させた。さらに、李閔は李農と共に3万の兵を率い、石閔に反抗して石瀆に拠っていた張賀度を討伐した。

2月、捕らわれていた石鑑は李農らが不在の隙に鄴を奪還しようと企み、滏口に拠っていた張沈へ密書を書いた。だが、その使者となった宦官は寝返って李閔へ密告したので、李閔と李農は鄴へすぐさま帰還した。そして遂に石鑑を廃立すると、これを殺害した。その在位は103日だった。石虎の孫28人も皆殺しとなった。

宗室

父母

  • 父:太祖武帝(石虎

兄弟

参考文献




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