SとYの接近
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:42 UTC 版)
「北九州市病院長殺害事件」の記事における「SとYの接近」の解説
事件当時、Sの釣具店や、Yの経営するスナック「ピラニア」の売上は順調で、両者ともに約800万円余の債務を背負ってはいたが、ともに金銭的に困窮しているような状態ではなかった。しかし、Sは当時、スナックホステスの愛人が2人おり、外車を乗り回して繁華街のバーやスナックなどで飲酒し、遊興にふけることを好んでいた。 Sは1978年10月2日、北九州市内で対向車に衝突される事故に遭い、むち打ち症で自宅付近の「A病院」に入院。この事故ではS側に過失はなく、相手側から示談金200万円が支払われたが、それまで大衆的なスナックに通うことが多かったSは、示談金を得てから高級クラブに行くようになった。また、Sは院長のAに依頼し、自身に有利な内容の診断書を書かせ、保険会社から不当な保険金を受け取っていた。やがて示談金が尽きると、Sは店の売上金にも手を付け、釣り餌や釣具を卸していた問屋への仕入れ金も滞りがちになった。当時、Sは営業資金名目で借金約900万円を抱えており、店舗の移転資金も必要としていた。 SとYは1979年夏ごろから親しく交際するようになったが、Yは、小さな釣具店を経営するだけでしばしば飲み歩いているSを羨ましく思い、店の営業時間中から売上金を持ち出しては、Sとともに他のスナックなどに出掛けて遊び回るようになった。そして、2人とも真面目に働くことが嫌になり、急いで返済する必要のなかった負債を一気に返還すること、店の経営を拡大することや、高級車を購入し、働かずして遊興にふける安楽な生活を送ることを望むようになり、そのために必要な大金を得る手段を考えた。そのため、Sはスナック「散歩道」のホステス甲と情交関係のあった歯科医師を脅し、金品を脅し取ることを考え、Yを誘ってその準備をしていたが、実行するとそれが甲(元愛人に暴力団幹部がいた)に知れることを考え、計画実行を断念した。 このように犯罪を犯してまで大金を得ようとした理由について、Yは小佐野賢治や児玉誉士夫を引き合いに、「こんな大物の人たちも最初は悪いことをしている。それなら(自分たちも)と……」と述べている。
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