PLANET計画の成立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 09:03 UTC 版)
「PLANET計画」の記事における「PLANET計画の成立」の解説
PLANET計画の具体的な構想は1975年に行われた「科学衛星シンポジウム」で開始されることとなる。このシンポジウムで東北大学の大家寛によって発表された「惑星探査の意義と計画」では、惑星探査を 1.惑星探検、2.惑星に対する科学知識の集積、3.惑星利用と実際面への応用という3段階に分割し、どの段階も重要であると述べた上で、日本は第2段階で参入すべきであると強調している。具体的な計画としては以下の様な探査機が提案された。 PLANET-A,B - 大気や太陽風との相互作用、太陽光、太陽風と惑星間空間の探査を目的とする2機の200kg級金星周回探査機。 PLANET-C - 電離層や磁気圏の探査、撮像を目的とする200kg級火星周回探査機。A,Bの技術を活用する。 木星探査計画 - 電波領域からX線領域、磁気圏とプラズマ領域等を目的とする1t級木星周回探査機。300kgの小探査機と直径3mのアンテナをもつ。 これを踏まえ、金星探査機のプロトタイプを想定し、後に「おおぞら」と命名されることになる中層大気観測衛星EXOS-C計画が提案された。これは1982年から1985年にかけて実施される「中層大気国際共同観測計画 (MAP)」に合わせたもので、1979年から開発が始められた。
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