Net/2と訴訟問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 08:46 UTC 版)
「Berkeley Software Distribution」の記事における「Net/2と訴訟問題」の解説
Net/1リリース後、BSD開発者キース・ボスティック(英語版)は、BSDのAT&Tとは無関係な部分をさらにNet/1と同じライセンスでリリースしようと提案した。そして彼はUnixの標準ユーティリティをAT&Tのコードを使わずに再実装するプロジェクトを開始。例えば、viはAT&T由来のedをベースにしていたので、全く新たにnvi (new vi) を書いた。18カ月でAT&T由来のユーティリティを全て再実装して置換し、カーネルにもAT&T由来のファイルは数えるほどしかない状態となった。それらのファイルを削除し、1991年6月、自由に再配布可能なほぼ完全なOSである Networking Release 2 (Net/2) をリリースした。 Net/2は Intel 80386 アーキテクチャへの2つの独立したBSD移植プロジェクトの基盤となった。1つはウィリアム・ジョリッツらによるフリーな386BSDで、もう1つは Berkeley Software Design(英語版) (BSDi) のプロプライエタリなBSD/386(後にBSD/OSに改称)である。386BSD自体は短命に終わったが、間もなくそれをベースとしてNetBSDとFreeBSDのプロジェクトが始まった。 BSDiは System V の著作権と UNIX の商標を所有する AT&T の UNIX Systems Laboratories (USL) との間で訴訟に見舞われることになった。USLとBSDiの訴訟 (en) は1992年に始まり、この訴訟が解決するまで、Net/2の配布は差し止められることになった。 この訴訟問題で約2年間、BSD系のPC-Unix開発にはブレーキがかかり、Linuxの急激な支持の原因を作った。リリースされたのは1992年だが、386BSDはLinuxより前から開発されていた。リーナス・トーバルズは、386BSDか GNU Hurd が当時利用可能だったら、自分でLinuxカーネルをつくろうとはしなかっただろうと述べている。
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