NASAへの復帰
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「リチャード・トゥルーリー」の記事における「NASAへの復帰」の解説
チャレンジャー号爆発事故の3週間後、トゥルーリーはNASAに戻り、1986年2月20日に副長官となった。彼の主要な役割は、スペースシャトルの飛行状態への復帰の監督であった。これとともに、彼はチャレンジャー号を取り替えるか否か、将来スペースシャトルが果たす役割、今後のミッションにおける使い捨て宇宙船とスペースシャトルの混合利用等という長期の問題にも責任を持って取り組んだ。事故の技術的な原因が決定されるまで数日しかかからなかったが、その中から根本的な原因を選ぶのはより難しかった。最終的に、トゥルーリーとNASAの"Return to Flight"計画は、1988年9月29日にSTS-26でディスカバリーの飛行に成功するまで、31ヵ月を要した。1986年3月、トゥルーリーはメモに、NASAが次のスペースシャトルを打ち上げる前に成し遂げることが必要なアクションがいくつかあると記した。その中には、「固体ロケットモーターのジョイントの再設計、重要部品の再検討、運用と維持のための機器の更新」が含まれていた。 トゥルーリーは、1989年5月に8代目のNASA長官に任命され、1992年5月までこの地位にあった。彼は、カール・セーガンによって、ボイジャー1号が主ミッションの終了の前に、最後の地球の写真を撮影するか否かで内輪もめがあった際に、それを仲裁したとされた。この時撮影された写真は、ペイル・ブルー・ドットとして知られることとなった。彼は、NASA長官になる直前に、中将として海軍を退職した。
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