MT破綻とワインバーグ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/21 02:06 UTC 版)
「ゴールドマン・サックス」の記事における「MT破綻とワインバーグ」の解説
1931年、マニュファクチャーズ・トラスト(Manufacturers Trust Company, 現JPモルガン)が破綻し、同社へ多額の投資をしていたGSTCがアトラスグループ(Atlas Corporation)に吸収された。1933年、アトラスはGTSCとウィリアムズのセントラル・ピラミッドを吸収合併した。また、ワラス・グラヴズ(Wallace Groves)のエクイティ・コーポレーションはユナイテッド・ファウンダーズを中心に吸収合併を進め、21の投信を傘下に収めた。ユナイテッドは、主にハリス・フォーブズ(Harris, Forbes & Co., 現JPモルガン)をスポンサーとして、セントラル・ピラミッド内部で会計上の循環により創出された利益を収束させる事業体であった。ユナイテッドは証券取引委員会の精査を受け、1940年投資会社法まで一連の規制をつくらせた立法事実として歴史に刻まれた。 投信ピラミッドを断罪されたゴールドマン・サックスであったが、その社会的地位を戦後にわたり保証する男がいた。1927年から共同経営者となったシドニー・ワインバーグ(Sidney Weinberg)である。親交のあったフランクリン・ルーズベルト大統領は1933年、ワインバーグにアメリカ商務省経済顧問計画会議(Business Advisory and Planning Council)を設立させた。この機関はニューディール政策をめぐり政府と民間の交渉を担当した。1942年、バーナード・バルークの肝いりで設立されたウォー・プロダクション・ボード(WPB)の議長補佐官にワイバーグが推された。ワインバーグは戦後フォード・モーターやゼネラル・エレクトリックのような数々の大企業に経営顧問として招かれた。この間にアメリカの投信は力を取り戻していった。
※この「MT破綻とワインバーグ」の解説は、「ゴールドマン・サックス」の解説の一部です。
「MT破綻とワインバーグ」を含む「ゴールドマン・サックス」の記事については、「ゴールドマン・サックス」の概要を参照ください。
- MT破綻とワインバーグのページへのリンク