呂昭
字は子展。東平の人《杜畿伝》。呂巽・呂安・呂粋の父《杜畿伝》。 才能・実績によって昇進を重ね、鎮北将軍になった。兗州刺史桓範は自分が冀州牧に昇進になりそうだと聞いたとき、かつて自分の後輩だった呂昭が上司になることを嫌がり、「むしろ九卿になって三公に拝跪するほうがいい。呂子展なんぞに膝を屈することなどできるか」と妻仲長氏に語った。妻が「君(あなた)が部下の徐州刺史(鄭岐)を殺そうとしたとき、みんな君の下にいることは難しいと言っておりました。今度はまた呂氏に屈服するのが恥ずかしいとおっしゃいましたが、それなら君の上に立つのも難しいことになりますね」と返したので、桓範は図星を突かれて激怒し、刀の柄で彼女の腹を突いて殺してしまった《曹真伝》。 黄門侍郎杜恕は、刺史は民政に専念して軍事に携わるべきでないと考えていた。ちょうど鎮北将軍呂昭が冀州刺史を兼任することになり、その機会に杜恕は言上した。「領土のうち荊州・揚州・青州・徐州・幽州・幷州・雍州・涼州はみな州兵を持っており、国庫充実と前線への補給を担っているのは兗州・予州・司隷・冀州だけです。兵を持った州は民政をなおざりにすることがあるので、別途将軍を任命すべきと申し上げましたが、陛下は冀州を呂昭へのご褒美となさいました。呂昭には才能があるのでまだましなほうですが…」《杜畿伝》。 【参照】桓範 / 仲長氏 / 鄭岐 / 杜恕 / 呂安 / 呂粋 / 呂巽 / 兗州 / 冀州 / 荊州 / 徐州 / 司隷 / 青州 / 東平郡 / 幷州 / 幽州 / 予州 / 雍州 / 揚州 / 涼州 / 九卿 / 黄門侍郎 / 三公 / 刺史 / 鎮北将軍 / 牧 |
路招
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建安四年(一九九)、袁術が徐州を通過して袁紹を頼ろうとしたので、曹操は朱霊と路招を劉備に付けて迎え撃たせたが、到着しないうちに袁術は病死した《先主伝》。 同十三年、曹操が荊州を征伐するにあたっては、于禁・張遼・張郃・朱霊・李典・馮楷とともに都督護軍趙儼に属していた《趙儼伝》。 同十七年、朱霊とともに行護軍将軍夏侯淵に属し、長安に駐屯している《夏侯淵伝》。 史書では名前に触れられるだけだが、朱霊と行動をともにすることが多く、于禁・張遼らとほぼ同格の高位の将軍であったと思われる。 【参照】于禁 / 袁紹 / 袁術 / 夏侯淵 / 朱霊 / 曹操 / 張郃 / 張遼 / 趙儼 / 馮楷 / 李典 / 劉備 / 荊州 / 徐州 / 長安県 / 護軍将軍 / 都督護軍 / 三国志演義 / 行 |
路昭
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