K-1・ボクシングルール両立時代
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「ジェロム・レ・バンナ」の記事における「K-1・ボクシングルール両立時代」の解説
1998年にはプロボクシングの世界2大プロモーターと評価されるドン・キングと契約を結んで、K-1と並行してボクシングにも挑戦。イベンダー・ホリフィールドのトレーナーを務めるドン・ターナー、ロバート・リーとも契約し、ホリフィールドらと練習を積んだ。ホリフィールドはバンナについて「強い選手だと思う。特にパンチ力は物凄い。パンチの破壊力だけなら俺が今まで戦った相手の中でも最強クラスだ。あとはどれだけテクニックを身に付けられるか期待してるよ」と当時語っていた。同年のボクシングでの戦績は4戦4勝3KOで、KOにならなかった試合はバンナがダウンを奪った後に相手がホールディングを連発したことによる反則勝ち。 1998年7月18日、K-1 DREAM '98にて、サム・グレコと再戦し、1ラウンドにハイキックとパンチで2度のダウンを奪われながらも、2ラウンドに左ストレートで逆転のKO勝利。 9月19日にアメリカ合衆国・アトランタで、ドン・キング主催のボクシング興行でイベンダー・ホリフィールド対ボーン・ビーン戦が行われたが、前座のキックボクシングマッチでブラジルのエスペディト・ダ・シウバと対戦して左ハイキックで1ラウンドKO勝ちし、WKNムエタイ世界スーパーヘビー級王者になった。 その後も1998年は11月28日に1試合、さらにマディソン・スクエア・ガーデンで行われた1999年2月20日のフェリックス・トリニダード対パーネル・ウィテカー戦及び3月13日のイベンダー・ホリフィールド対レノックス・ルイス戦の前座でのボクシングマッチ出場が予定されていたが、ドン・キングとの仲介役を担っていたフランス人マネージャーのジャン・クリストフ・クレージュの業務怠慢に対して抗議すると、干されて試合が出来なくなってしまい、当時のK-1プロデューサー石井和義に契約問題の解決を頼んでK-1に復帰した。
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