F3〜F1参戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 07:04 UTC 版)
「デレック・デイリー」の記事における「F3〜F1参戦」の解説
ダンドラム生まれ。レース活動の資金を捻出するためオーストラリアの鉱山で働きながらフォーミュラ・フォードに参戦し、1976年のフォーミュラ・フォード・フェスティバルで優勝。翌1977年にイギリス・フォーミュラ3選手権に参戦し、この年のチャンピオンを獲得する。1978年にシェブロンからヨーロッパF2選手権に参加し、ヴァレルンガとムジェロで優勝してシリーズ3位の成績を記録。 また、同じ年のアメリカ西GPにヘスケスからF1に参戦を開始。ヘスケスでは予選通過できなかったが、シーズン途中にエンサインへ移籍、最終戦のカナダGPで6位完走してF1初入賞。1979年終盤にティレルへ移籍し、1980年は4位入賞を2回記録するが、モナコGPではスタート直後ブルーノ・ジャコメリと接触して宙を舞い、ザンドフールトでのオランダGPではタルザン・コーナーでフェンスを飛び越してタイヤバリアに突っ込む事故に遭遇する。 1981年のマーチを経て1982年はセオドールから出走していたが、引退したカルロス・ロイテマンの後任としてベルギーGPからウィリアムズに加入。8ポイントを獲得するが、この年限りでF1から去る。
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